#1

首なき歌姫

――――



「やっ、これは……」

 現場に足を踏み入れた途端、瓦木紗綾は立ちすくんでしまった。今まで数々の事件を解決してきた紗綾にとってもこの現場は一種異様なものであった。確認するように藤原警部のほうを見ると、藤原警部もコクリと頷いたきりで、これ以上何も言うつもりはないらしい。

 紗綾はもう一度現場を見回した。そこは花畑であった。床には一面、赤や黄色、白の花が咲き乱れ、壁にも二、三の可愛らしい鉢。それぞれ白と紫の花が枝垂れている。角部屋にあたるこの部屋は窓が二つあって。その窓際の一つにはプランターが置かれている。その両わきにはちょこなんと丸いサボテンと、ハニワのような形のサボテンが控えている。ほのかな甘い香りに包まれている。そして、その中央に一人の女性が横たわっている。白い服を着て、おとぎ話に聞いたお姫様のように、美しい花々の中に眠っていた。

 否、それは眠っているというよりは、置いてあると言った方が正しいかもしれない。そう、紗綾が戦慄したのはこの鮮やかな花畑に、ではなかったのだ。


 首が無い。


 花畑に眠る姫には首が無かったのだ。首のあるべきところは空白で、花に埋め尽くされていた。それだからどうにもこの姫君は小さく見えるのだが実際のところどうだったのかを推し量る術はない。しかし、人間というのは完全であるからバランスがよく見えるようで、首を失ったその死体はとても不恰好に見える。まじまじと観察してみるのだが、首の先に目が行くと、どうにも口の中が酸っぱくなってくる。首の先には白い突起物が見え、グロテスクさに文字通り華を添えているのだ。

「これ、発見時のままなんですね?」

 紗綾が尋ねると、警部はもう一度うんと頷いた。紗綾の視線は再び死体に注がれた。その死体の胸元には、一輪の青い薔薇が置かれているのだ。

「青い薔薇……」

「そう、それ」

 警部もその薔薇が気になっているようで、紗綾の横に立つと、首を伸ばして、フムと唸った。紗綾よりも一回り小さなこの警部は、どうみても中学生くらいにしか見えない。警部はそのまま紗綾を見上げて顔を覗きこんだ。小動物を思わせるような動きである。

「それね、青マジックで塗られたものだそうよ。だから偽物なの。でも、わざわざ青い薔薇を作るなんて、何か意味があるんでしょう。それに、青い薔薇の花言葉は確か、『不可能』だったよね」

「いやぁ、それは一昔前の話ですよ、警部さん。青い薔薇は開発されたんです。それでその製作会社が新しく『希望』とか『神秘』とかっていう花言葉をつけたんですよ。犯人がそれを知っていたかはともかくとしてね……」

「でも、これだけの花をみていると、犯人は花に詳しい人なんじゃないかな。普通の人がこんなに花を買っていったら怪しまれるだろうし……、花屋の関係を調べた方がいいかなぁって」

 紗綾は一歩身を引くと、もう一度部屋の中を見回した。なるほど。これだけの花や植木鉢があって植物が嫌いという人はいないだろう。だがそれが職業と結びついてるかまでは何とも言えない。

「確かに、被害者と花屋の接点は調べて損はないでしょうね」

 足下の花は見たところで、アネモネ、ダリア、スイートピー、ユーストマ、フリージア、カーネーション、バラ、フヨウ、マリーゴールド、ヒヤシンス、アヤメ、それと紗綾に名前のわからないものが十種類ほど。死体の下にも花があるかもしれないし、見落としたものもあろう。なにせ、かろうじて茎葉の隙間に見えるこの部屋の絨毯は赤く、それすらも名の知らない小さな花のように錯覚してしまうのだ。そのすべてを目で数えようなんて、気が遠くなるような作業だ。

「そういえばまだ被害者の身元を聞いてないですね」

「あ、ああ、えっとね」

 警部はゴソゴソとポケットを探って、手帳を取り出した。

「被害者はこの家に住む三条昭代、年齢は二十四、職業はミュージシャンね」

「ミュージシャン?」

「そう、紗綾ちゃん知らない? 近頃デビューして話題になってるバンドらしいんだけど、『B・C』って」

「いいえ」

 確かに紗綾にこれを尋ねるのは間違っていたかもしれない。彼女が興味ある音楽と言えばもっぱらクラシックや一昔前の音楽であるし、家にあるテレビもニュースしか映さない。芸能には疎いのだ。

「警部さんは知ってたんですか?」

「うん、月9のドラマの主題歌やってて、それがデビューシングルだったって」

「へぇ」

 とはいうものの、紗綾はいたって無関心である。

「それで、そのバンドのメンバーとは連絡ついてるんですか?」

「それは大丈夫。これから聞き取りの予定だし、そもそも通報は彼らからあったから、向こうの部屋で待機してもらってるよ」

「死亡推定時刻は?」

「昨日の朝ね。さすがにこの季節だし、分単位まで時間を断定するのは難しいって言ってたけど、午前中であることは確かみたい」

「最後に被害者をみたのは?」

「それはバンドメンバーだけど……」

 そういって藤原警部は死体の方を見やりながら、

「そもそもこの死体が本当に三条昭代なのかもわからないから、それはあてにならないかもね」

 急に警部はまじめな顔をした。この童顔の警部はこれでいてなかなかのやり手なのである。

「それはつまり、首のない死体だからってことですか?」

「うん。今DNA鑑定をお願いしているところだから、じきにわかると思うけどね」

「その結果この死体が三条昭代のものでなかったとしたら、三条昭代を最後にみた時刻はなんらデータにならないと」

「そういうこと」

 警部はそこまでまじめそうな顔で語ると、急に気が抜けたように息をつくと肩を落とした。

「でも今の世の中そんなことする犯人なんてもう居ないよね。どこの誰もDNA鑑定なんて知ってるだろうし、死体の偽装はそううまくいかないよ」

 口には出さなかったが、紗綾もその言葉には頷いた。いくら彼女でも刑事ドラマぐらいは知っている。一シーズン放送すれば一度くらいは個人の特定にDNA鑑定という言葉が出てくるだろう。お茶の間にそういうのが流れるのだから、決してもう専門用語などではないのだ。

「死因は?」

「さっき警察医が来たけど、胴体に外傷は無かったみたい。早く首見つけろって怒鳴られちゃった。結局、首の発見が急がれるのね」

 と、溜息をついて、三度その視線を首無き姫君に注いだ。


 私の尊敬する推理作家が言うには、推理小説には大きく分けて三つのトリックがあるらしい。一つは密室。扉や窓、人の出入りできるサイズの口、すべてに鍵のかかった部屋。その中で死体が見つかるというものだ。これは主に、被害者の自殺を装う場合や、不可解な、幽霊などの仕業という状況を作るために用いられる。

 二つ目は一人二役型。これは、犯人Aが被害者Bを殺した後に、その被害者Bの役を自らすることによって、被害者Bがまだ生きていると関係者に錯覚させるものである。また、全く事件に関係のない人間Cに自分Aの役を演じさせ、犯行時間帯に自分のアリバイを作るというのもこれの亜種であろう。

 そして三つ目が首のない死体である。首がない死体、もしくは顔が火や劇薬などで焼けてしまった死体はその身元の判別が困難である。これを逆手にとって、AがBを殺し、Bと衣服を交換した後、そのBの顔を損壊すれば、誰かが「その死体は衣服からAである」と判断してくれる。すなわち実際死んだのはBであるのに、Aはこの世のものでないと扱われる。このとき、連続殺人であれば、以降Aはアリバイに関係なく行動することが可能になるのだ。

 しかし、この首のない死体のトリックは、首のない死体=犯人という構図が存在してしまう。そこで奸智に長けた犯人は、過去、あの手この手でこの問題を克服してきたのだが、今日においてはそれも難しくなってしまった。DNA鑑定の発達によって、死体の身元が正確に分かるようになってしまったのだ。

 紗綾だってこうやって私立探偵をやっているのだから、この三パターンのトリック、全て目にしたことがある。しかし、首のない死体に関してはやはりその絶対数が少ない。一番多いのは、一人二役型だろうか。

「これが仮に三条昭代だったとして、親族は?」

「それが、どうも居ないみたいなの。調べてみたら母子家庭で、母親は去年亡くなっている。父親が誰なのかは今調べているところだよ」

「と、するとやはりそのバンドメンバーというのが最も三条昭代につながりを持った人々ということですねぇ。とにかく彼らから話を聞くべきでしょう」

 紗綾はそう言うとくるりときびすを返して現場を後にした。



 リビングにはアップライトピアノが、壁にはギターが下がっている。先ほどまでの花畑とはうって変わって、ここには植物に一つもなかった。これは後でわかったことだが、この家はバンドの集会所にもなっていて、頻繁にメンバーが出入りするのだという。そういう場所だから趣味――音楽も趣味と言えば趣味だがそれを除いた三条昭代の趣味といえる花々――は排除されているのかもしれない。キッチンはキレイに片付いているが、そのほかは雑然としている。棚にしまいきれない食器はテーブルに置かれ、ホウキやチリトリ、水色のバケツが積み重なって床に転がっていた。

「警部さん。それでバンドのメンバーというのは?」

「うん、えっとね、ギターの高井平介、彼は三条昭代と交際していたらしいの」

 交際。世間のバンドの内情というのに紗綾は疎いが、そこに何か感情のもつれがあったのかもしれない。しかし紗綾は首を振ってその想像をふるい落とした。関係者に会う前に彼らの間に流れる感情のイメージを決めてしまうのは誤った推理のもとになってしまう。

「ベースの山田忠夫、キーボードの津野佑香、それにドラムの大平真実。メンバーはこの四人ね。大平真実は三条昭代と高校時代からの友人。残りは大学のサークル時代からの仲間だそうよ」

「それで、第一発見者は?」

「それはドラムの大平真実ね。どう、誰から話を聞きたい?」

「そうですねぇ、ベースの山田さんからにしましょうか」

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