第二章

 杜夫は夕飯を食べ終わると散歩に出掛けた。夜空は曇っていたが、月光だけは雲間から顔を覗かせ、町を照らしていた。初夏の快い、涼しい風が住宅地を吹き抜ける。彼は登下校時に通りかかる公園へ向かった。

「星哉は一緒に日食を見てくれるだろうか」

 練習試合が終わってから、杜夫はずっと星哉との日食観測のことを考えていた。

 百年に一度の天体観測。誰もいない公園。太陽と月が重なる。その瞬間を星哉と並んで観測する。彼に追いつこうと背伸びをしたが、肩の高さにすら届かなかった。星哉は笑っている。ずっとこのまま、隣に並んでいたかった。どこまでも二人で一緒に歩んでいきたかった。

 妄想は捗った。

 しかし、杜夫はまだ星哉を日食観測へ誘えていなかった。早くしなければ先約ができてしまうのに、誘う勇気がなかった。そうこうするうちに日食は三週間後に差し迫っていた。今彼が散歩しているのもこうやって夜風に当たって思案すれば、気の利いた誘い文句を思いつくかもしれなかったからである。

 公園に入ると、一人の少女がくるくると砂場の上を踊っていた。明滅する照明灯の下で、少女は両腕を水平に伸ばし、爪先立ちで、身体のバランスを崩しつつ周回する。首も円軌道に沿って忙しなく動いている。小さな足が、沈みやすい地面を踏み締めるたびに砂粒の軋む音が鳴る。彼女は首に絡まるイヤホンコードを物ともしなかった。音楽は大音量のため外に漏れており、それはどうやら器楽曲であるようだった。

 よく耳を澄ませると、流れている曲はムソルグスキー「禿山の一夜」だった。杜夫は、ディズニー映画「ファンタジア」を思い出した。幼少の頃に見たアニメである。セリフは一切なく、キャラクターたちがひたすら魔王に蹂躙され、妖しく踊り狂う映像だった。「禿山の一夜」はBGMとして添えられていたのである。幼かった杜夫はアニメの内容など忘れてしまったが、この曲が纏うおどろおどろしいメロディーだけは鮮烈に記憶していた。

 眼前の少女は、まさにそのムソルグスキーの音楽に合わせて、踊っているようだった。

 ここでようやく杜夫は、この奇行少女が同じクラスの天宮あまみやひびきであると気付いた。そして、彼女に遭遇してしまったことを後悔した。

 天宮響は今年の四月にH中学校へ転入してきた生徒だった。はじめこの転入生は、クラスメイトたちの退屈な日常を打ち払う存在として嘱望された。新たなキャラクターがクラスにどんな刺激をもたらすのか。一同は期待に胸を膨らませたが、それは転入早々に崩れ去った。

 響は落ち着きのない生徒だった。数学にしろ国語にしろ、授業中、じっとすることができなかった。授業が始まると、すぐに苛立ち、我を忘れる。首を左右に振って、手指を出鱈目に絡ませ、上靴を半分脱いで踵の部分をパタパタと音を鳴らす。彼女の癖だった。

 当然これらの行為は、三年二組に過度な緊張と授業進度の遅滞を招いた。教師陣はやけに優しい声で周りの迷惑にならぬよう諭し、男子生徒らは笑いを堪えて指差し、女子生徒らは心配そうな表情とは裏腹に、怜悧な視線を向けた。杜夫も苦笑いを浮かべて、クラスの雰囲気に同調した。

 だからこの一夜の出会いは非常に危険なものだった。竹田杜夫と天宮響が夜の公園で密会したらしい、という噂一つで彼の学校生活は終わりを迎える。卒業するまで嘲笑と揶揄の対象となり、バスケ部での立場もますます危うくなるだろう。当然星哉との天体観測も実現不可能となる。何としてもそれだけは避けなければならない。

 一方で危機的な状況にも関わらず、杜夫はどこか高揚感を抱いていた。夜の公園でクラスメイトの女子と二人きり。人生で初めての体験である。心臓は鼓動を早め、呼吸はみるみる浅くなった。

 響は踊り続けていた。杜夫は注意深く彼女の挙動を観察した。

 観察の結果、彼女の”踊り”は余りにも不規則で、余りにも即興的であることが判明した。両腕を広げ、夜空へ祈りを捧げたかと思えば、いきなり倒れ込んで額を地面に押し付けた。千鳥足で移動しているときはバランスを崩して何度か転倒した。しかし、すぐに起き上がると何事もなかったように、両腕を広げてスキップを踏んでいる。

 そこには一定のリズムや決まったパターンというものが存在しない。舞踏における基本や型を徹底的に無視していた。無視どころか侮辱しているほどだった。あらかじめ考えていたプランに沿って踊るわけではなく、即興で踊っているために破茶滅茶な動きになるのは必然だった。

 音楽が止まると、響は砂場に倒れ込んだ。それでも上体をくねらせたり指で砂をいじったりして動きを止めることはなかった。杜夫はこのまま気づかれぬようそっと立ち去ろうとした。

 すると突然、バチッと音が鳴り、明滅していた照明灯の光が力尽きた。公園内は真っ暗になる。杜夫は驚いて周囲を見渡したが、暗闇のせいで上手く状況を把握できなかった。

「ねえ竹田くん、『禿山の一夜』って知ってる?」

 その声は三メートルほど離れていた杜夫に向けられたものだった。彼は観客が舞台上の役者に話しかけられたような、物語に引き込まれる感覚を覚えた。

「知らないけど」杜夫は思わず嘘をついた。

「やっぱり竹田くんか、そこに立っていたのは」響は得意げに笑う。「そこにいるのはなんとなく分かったよ。でね、この曲はムソルグスキーって作曲家が作ったんだよ。ロシアの作曲家。聴いたことない? この曲を聴いてるだけで、あたし気持ち良くなっちゃうの。気持ち良くなっちゃって、あとのことはどうでも良くなっちゃうの。ムソルグスキーもお酒に溺れてたらしいから彼の音楽を聴くことは飲酒と同じなのかもしれない。未成年飲酒。まさに背徳!」

 杜夫は視界に浮かび上がる曖昧模糊たる輪郭を頼りに、モデスト・ムソルグスキーの知識を開陳する奇行少女の様子を伺った。顔は見えなかったがそこに落ち着きのない調子で、意気揚々としゃべる少女の姿を認識できた。

 すでに知っていることを自慢げに披露されることほど苦痛なことはない。杜夫は一刻も早く立ち去りたかったが、そういう訳にもいかなかったので他愛もない質問を投げた。

「天宮さんはここで何してるの?」

「分からない。自分でも分からない。気づいたらあたし、この砂場に倒れていたの。冷たい砂の感触であたしはようやくあたしの身体に戻ってきたの。ねえ、やっぱり踊っているように見えた? くるくる回って飛び跳ねてた?頭のおかしい、近寄りがたい転入生に見えちゃった? 『禿山の一夜』を聴いてると誰かに身体を乗っ取られちゃうの。肉体を正体不明の悪霊に預けちゃうの。悪霊はあたしの肉体に乗って好き放題遊びだすの。それって危険なことでしょう? でも、すっごく気持ちいいの。やめられないの。本当はずっと乗っ取られていたい。授業中も、休み時間も、給食の時間も、どんな時でも」

 響はそう言い終わると、興奮した状態で杜夫に接近した。彼女が鼻先一メートル手前で立ち止まると、イヤホンから再び「禿山の一夜」が流れ始める。どうやらiPodの設定がリピート再生になっているらしい。

 少女は両腕を水平に伸ばし、爪先立ちで、身体のバランスを崩しつつ周回する。首も円軌道に沿って忙しなく動いている。彼女は首に絡まるイヤホンコードを物ともしなかった。まるで止まったら死んでしまうかのように、悪霊の舞踏を続けていた。音楽に合わせて、杜夫の周囲をぐるぐると踊る。右から左へ、彼女の頭が杜夫の眼前を行き交う。呆然と立ち尽くす少年と彼の周りをくるくる踊る少女。傍から見れば異様な光景だった。

 杜夫はふと聴こえてくる音の連関に違和感を覚えた。個々の旋律には、魔女の饗宴と呼ぶべき混沌が内包されており、それはまさに一瞬の閃きであったが、一方でその閃きはどこか場当たり的な着想で、曲全体を構成する力が欠けているために、散漫で放埓な印象を受けた。

「そっかー竹田くんも知らないのかー。残念だなー。でもまあ仕方ないよね。『禿山の一夜』なんてマニアックだもん。普通の中学生は知らなくて当然だ当然だ」

 響は一人合点しながら言った。その語り口は落胆しつつも、どこか満足げだった。

「『ファンタジア』の音楽とは少し違うみたいだけど」杜夫は昔見たディズニー映画を引き合いに出した。知らない、と一度は言った手前恥ずかしかったが、言い出さずにはいられなかった。

「知ってるの!?」

 響は掠れた声を上げると、生まれて初めて出会えた同志の手を握った。彼女の汗ばんだ指が杜夫の掌に重なる。倒れ込んだ際に付着したであろう砂粒が指の腹に食い込んだ。

「知ってるんだ、竹田くん! やっぱりあなたは違う。他の人とは違う。隣の席の美術部の子とも学級委員長とも音楽教師とも違う。そう、あたしが聴いてたのは、あの数学みたいに硬くてつまらない、去勢されたリムスキー=コルサコフ版じゃなくて、ムソルグスキー本人が作った原曲版なの」

「へ、へえ......」

「ミッキーだのプルートだの、畜生が戯れてる映画に使われているようじゃ駄目なんだよ。本物はもっと過激でデモーニッシュよ」

「ディズニーは嫌いなの?」

「ディズニーもジブリもみんな嫌い。そもそもあたしテレビ見ないからよく分かんない」響は、はあっと溜息をついた。「ムソルグスキー。愛しいロシアの作曲家。あなたは繰り返しのない一度きりの快感を生み出す狂気の天才。一瞬の閃きで世界を変えてしまう魔法使いだった。それなのに、それなのに......つまらない人があなたの音楽を数学にしてしまったわ。予定調和でありきたりなものに。そんで今ではそれが有名になってる。理不尽よ。本当の『禿山の一夜』はこっちなのに......やれ構成だ、やれ形式だ。馬鹿みたい。数学ができる人ってそういうのがカッコイイと思ってるよね、気持ち悪い。あたしは馬鹿ですけど、音楽と数学が違うことくらい分かってるので」

「数学というのは褒め言葉だと思うよ」杜夫は思わず反論した。「数学のテストで計算問題を解いたときに出る快感とリムスキー=コルサコフ版から得られるそれはすごく似てる」

「計算問題?快感?このあたしが数学なんてできるとでもお思いか。」

 杜夫は返答しなかった。響のようなクラスメイトたちに嘲笑されている存在が、一方的な好意を押しつけて、親しげに話してきたことに不快感を覚えたからである。古めかしい中年紳士のような口振りも寒々しかった。

「音楽を語るのに数学の先生はいらない。なんでもかんでも数式や法則で片付けるのは間違ってる。北斎の浮世絵を語るのに黄金比はいらないし、あたしの病気を語るのに精神医学は必要ないんだよ」

「医者の言うことは聞きなよ」

「聞かないね!」響は声を張り上げた。「確かに医者って病気には詳しいよ。でもあたしのことは何も知らない。なんにも知らないのよ! 知能テストやCTスキャンで測定して、医学書の中からあたしの症状に一番近い病名や障害を見つけて宣告する。ADHDでも発達障害でもなんでもいい。とにかくあたしに名前を付けるの。その瞬間人々は名前のない怪物の正体を掴んで、掴んだ気になって安心するの。『この子はこういう障害だから他の子とは違うんだ。なるほど』と。そんなのふざけてる」

「それのどこがふざけてるの」

「ふざけてるじゃない。あたしに名前を付けるなよ。あたしには天宮響という立派な名前があるので! 他の言葉であたしを括らないで。あたしの行動がどれだけADHDぽくても発達障害ぽくても、決してあたしの病気はADHDとか発達障害とかいう名前ではないんだ。あたしの病気はあたしだけのもので他人が定義できるもんじゃあないんだ! そんでも名付けたいなら天宮響症候群って呼んでよ!」

 響は興奮のあまり、適切な音量で会話することが困難になっていた。ぐるぐる杜夫の周りを一周二周したり、手足とバタバタと動かしたりすることで、余計に興奮が高まり、怒りはますます燃え上がった。

「ねえ竹田くん。自分が産まれたときのことって覚えてる?」

「覚えてない」

「あたしはね、ちゃんと覚えてる。あたしは太陽の眩しい光の下に産まれた。そこはだだっ広い平原で、暖かな風を受けた夏草が気持ちよさそうに揺られていて、三六〇度、地平線の彼方まで遮るものがない無限に広がる空間だった。あたしはそこで産まれたの。嘘じゃない、ほんとのことだよ! 医者は『手術室の光のことだろう』なんて言って、信じてくれなかったけど、ほんとのことなんだよ! 信じて!」

「分かったから、そんなに大きな声で出すなって」

「ごめんなさい。でも聞いて。そこで産まれたときこう思ったの。『あたしはなんて不幸なんだろう』って。あんなに眩しくてだだっ広いところに生まれ落ちたなんて、吐き気を催すわ。だからあたしは闇を求めるの、もっと暗い場所へ、窮屈な場所へ」

 彼女はひとしきり感情を吐き出すと、少しだけ冷静になった。激しかった踊りも肩をゆらゆらと揺れる程度に収まっていた。

「夜は良いよね。思いきり音楽の世界に入っていけるから好き。夜の公園でムソルグスキーを聴くのがあたしの日課。誰にも見つからずに音楽を聴けるなんて最高だよ」落ち着いた調子で響は言った。

「おれに見つかったじゃん」

「竹田くんは別。だって友達だもん」

「友達? いつから?」

「ねえ、あそこに富士山があるよ」

 響はそう言って北の空を指差した。星一つ見えない曇天の夜に、ただ一つ月だけが闇を打払い、二人の中学生を照らしていた。自分の話したいことだけ喋り、相手の質問には答えない響の態度に腹を立てながらも、杜夫は空を見上げた。

「昼間だと、この公園のこの位置から富士が見えるの。だけど今は見えない。夜の闇が隠してくれているから......ねえ、竹田くん。あたしが富士山嫌いなのはご存知だろうけど、竹田くんも富士山嫌いだよね?」

「別にご存知ないけど」

「嘘。顔に書いてある」

「暗くて見えないでしょ」

「そりゃそうだ」

「第一おれ嫌いなんて言ってないよね」

「じゃあ好きなの?」

「好きでも嫌いでもない」

「嘘。顔に書いてある」

「暗くて見えないでしょ」

「そりゃそうだ!」響は笑い声を上げると腹を抱えて悶絶した。「ふふっ、ごめんなさい。まさか男子と漫才をするなんて、思ってもみなかったから」

 杜夫は我慢の限界だった。会話が進むにつれ、杜夫と響との関係は対等に近づいていた。それが彼の癪に触った。一刻も早くこの場から立ち去りたいと彼は考えた。

 響はiPodをいじると再び「禿山の一夜」を流した。不協和音が公園内に満ちる。落ち着いていた彼女の精神状態が乱れ、再び悪霊に取り憑かれた。響は夜空へ祈りを捧げるように腕を広げると、うずくまって額を砂に押し付けて小刻みに震えた。そして立ち上がると、杜夫の周囲をくるくると回り始める。行ったり来たり。暗くてはっきり見えなかったが、杜夫の眼前にはくるくると踊り回る一人の少女の姿があった。

「竹田くんは富士なんか好きじゃない。あたしたちはムソルグスキーを理解できる中学生で、そんな二人は富士山なんか嫌いだし、あえて富士山を貶めて訳知り顔をする人々を憎んでいるはずなんだよ。絶対そうに決まってる。ねえ知ってる? 富士山ってさ、活火山なんだよ。江戸時代に大噴火して何人もの人を殺したって。普段はあんな空かした態度取ってるのにさ、三百年ちょっと前は大爆発してるなんて意外だよね」

 響はここで息継ぎを入れた。踊りながら喋り倒すので息が保たないのである。

「あたし富士山が嫌いなの。でも期待もしてるんだよ。富士山には大噴火という最終手段がある。それで世界を滅ぼしてもらうという役目があるから。東海地震が起きれば、震度九くらい揺れるわ、そしたら富士の麓は真っ二つに割れて、南海トラフも滅茶苦茶になって、溶岩がどろどろと流れ出して、町を焼き尽くして、人々が築き上げてきたものすべてを跡形もなく破壊して、世界は滅びる、カオスに包まれる! ああっ、大きな声出してごめんなさい......でもね、こんな山がいつまでも永遠に在り続けるなんて、耐えらんない。滅びる運命にあるから富士山は美しいんだよ。永遠の美なんて糞喰らえ!」

 響は一気呵成にまくし立てると、寝転がったまま深呼吸をした。当然舞い上がった砂埃が肺に入るから彼女は血を吐く勢いで咳き込んだ。咳き込み方も必要以上に乱暴で、かえって喉を痛めつけるようなものだった。

「富士には月見草がよく似合ふ」杜夫は小さく呟いた。なんでそんなことを呟いたのか彼にも分からなかったが、呟かずにはいられなかった。

「なんか言った?」響は即座に反応した。

「別に......」杜夫はすぐにごまかした。

「ふーん、まあいいや。ところで、竹田くんは日食誰と見るの?」

 響は唐突に話題を変えた。喉の痛みはまだ引いてないらしく掠れた声だった。

「別に誰でもいいでしょ」

「まだ誘えていないのかな?」

「天宮さんしつこい」杜夫は後ろを向いて帰る素振りを見せた。

「ねえ竹田くん。十二日はここに来てよ」

「十二日に何するのさ」

「日食を見るの」

「誰と」

「あたしとです」響はそれまでのおしゃべりとは打って変わって、真面目で深刻な調子で言った。

「あたし予感がするの。日食の日に何かとんでもないことが起きて世界は滅びる。太陽の光が失われ、世界が闇に包まれるとき、みんな死ぬよ。学校にいる奴らもこの町の人もみんな。でも竹田くん、あたしといればあなたは助かる。だからお願いあたしと日食を見て。そして二人でこの世界から飛び出そう。ここではないどこかへ」

 二人の間に沈黙が訪れた。イヤホンからはちょうど魔女サバトが登場する混沌とした旋律が流れている。

 杜夫は彼女の発言に違和感を覚えていた。特に「太陽の光が失われ、世界が闇に包まれるとき」という部分に引っ掛かりを感じた。

「その日は友達と観測する予定なんだ」杜夫は答えた。

「友達? 星哉くんのことね。彼なら来ないよ」

「なんで言い切れるんだよ」

「あたしには分かるもん」

「なんだよそれ。さっきからずっと妄想ばっかりじゃん」

「来ないものは来ないの」

「もういいよ。今日は疲れたから」

「絶対来ないよ! だって星哉くんは――」

 そのとき消えていた照明灯の光がカンカンと音を立てて復活した。砂場は明るく照らされ、公園は本来の姿を取り戻した。暗闇に目が慣れていたため少し眩しかったが、徐々に照明灯の造形をはっきり認識できるようになった。

「じゃあね!」

 響はぼんやり照明灯を眺める杜夫に別れを告げると、足早に去ってしまった。杜夫は呆気た表情で彼女の後姿を見送った。奇妙な走り方で、頭がやや左に傾いているので身体の軸が曲がっており、脇が締まっていないので腕の振りが加速の役割を十分に果たせていなかった。

 散々会話を切り上げようとしたのに、結局先に別れを告げられたことにほんのり屈辱を感じつつ、杜夫は帰路に着いた。二十分ばかりの会話であったが、情報量が多く、思い出すだけで脳味噌は煮立ってしまいそうだったので、杜夫はそれらの委細をすぐに忘れることにした。

「絶対来ないよ! だって星哉くんは――」

 杜夫はこのセリフの続きが気になって仕方なかった。彼女は何を伝えようとしたのか。家に着くころには疑問は焦燥に変わり、杜夫を苦しめた。

「明日必ず星哉を日食に誘おう」

彼はそう固く決意した。気の利いた誘い文句は思い浮かばなかったが、とにかく行動するしか、この苦しみから抜け出す方法がなかった。

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