心を黒に染めた夜

とある中学生(わたなべ)

『この感情が無くなれば、きっと普通になれるのだろう』

『人を殺したい』


そう思い始めたのは高校生活1年目の夏だった気がする。普通は抱かないであろう欲望に満ちて、自分でもどうすることが正解なのか分からなかった。


犯罪者にはなりたくない。それを常に頭で唱えることで我慢をしてきたが、最近はそうもいかなくなってきた。どうにかしてこの欲望を消し去ろうと思ったが、先ず方法がない。家族はもはや赤の他人で、担任は僕が見えていないらしく、相談相手が何処にもいない。唯一の友達と呼べるあの子は、僕が『殺したい』という感情を抱いている人間だし、当然の如く無理だ。



何時かの殺人事件で、SNSにこんなコメントがあったのを思い出した。


『殺すなら自分を殺せ』


その当時は僕もそう思っていた。そして、如何して人を殺すのか分からなかった。人の幸せを奪う等、人間がすることではない。そんな奴はこの世から1人残らず消えてしまえ、と。あの頃の僕は正常だったのだろう。学校にいる同級生と何ひとつ大きく変わらない、所謂普通の人間だったのだ。それが今となっては……。如何してこうも変わってしまったのだろうか。全て自分のせいか、それとも……?



この世は不公平だ。

少しの努力もなしに名誉だとか、財産だとか、羨ましがられる様なものを手に入れることができる人がそれなりにいる。反対に、誰もが目を大きくして驚く程の努力をしてきたのに、名誉も財産もない。そんな人は大勢いる。恐らく、僕もその中の1人だ。神様から与えられた試練に、僕は酷く苦戦している。何故、神様は人を殺したいと思う様な必要性の感じられない感情を与えたのか。何が神様だ。この世で1番の悪者ではないか。神様がいなければ、この世は公平になるのか。きっとそうだ。


くだらない考えを胸に。そして、1本の縄を手に。僕は玄関のドアを背後にして空を睨み、何度も訪れたことのある一軒家に足を運んだ──、

























ここに立つのはこれで最後だろう。

僕は深く深呼吸をし、下に向けていた視線を目の前のドアに移した。すぐ横にはインターホンがある。これを鳴らせば全てが始まり、全てが終わる。僕は弱虫だった。いや、今も弱虫だ。自分自身に負けたのだ。勝つ方法は何処にもなかった。これが言い訳だ。左手に持っていた縄をズボンの中に隠して、インターホンを1回押した。そして、もう1回。更にもう1回……。ドアが遠慮がちに開いたことに気付き、僕は思わずインターホンから手を離した。

出てきたのは、僕も何度か見たことがある、あの子のお母さんだった。


「……あら、どうしたの?こんな夜遅くに」


「……追い出されたんです」


「そう……。あの子は寝てるけど……取り敢えず上がって?」


「ありがとうございます」


嘘をついた。これで何度目かも分からない嘘を。

罪悪感に飲み込まれながらも、僕は家の中に足を踏み入れた。


「部屋で寝てるわよ。普通に起こしちゃっていいから」


やわらかい笑顔でそう言う。

貴方の笑顔を見るのはきっとこれが最後だ。

今から僕は、貴方の子供を殺すのです。


僕も口角を上げて笑顔を見せた。




























このドアを開けるのは初めてかもしれない。

いつも部屋に入る時は、ドアの先にいるあの子が開けて、先に入れてくれていたから。


静かにドアを開ける、はずだった。

思ったよりも大きな音が出てしまって、僕は思わず動揺してしまった。




「……んん………あれ…どうしたの…?」


「あ……ごめん。起こしちゃった」


「平気だよ。……何かあったんでしょ?」


「……追い出されたんだ」



僕は部屋に入るとドアを閉めて、先程と同じ様に嘘をついた。



けれど、君は頭をかいて言った。













「……嘘つき。


























ズボンに何か隠してるでしょ?」












「……な……っ……」













「もしかして、俺を殺しに来たとか?」


「……」


「……冗談のつもりだったんだけど……図星?」


「……さあ」


「……何を隠してんだよ。ナイフ?包丁?見せてみろよ」


「……ん」






「なーんだ、縄か。縄で殺そうとした訳?」


「まあ、そう……です。」


「ふーん。……で、何でこんなことを?」


「……人を殺したかったから。ただそれだけ」


「俺を殺したら満足?もう他の人は殺さないか?」


「……多分」


「多分じゃダメだ。約束しろ、誰も殺さないって」


「……分かった」


「絶対に破んじゃねえぞ」


「うん……」


「……」


「……」


「殺して……いいよ」


「何言って──」


「そのつもりで来たんだろうが。早く殺せよ」


「……っ」


「別にお前になら殺されてもいいぜ……って、何言ってんだか。まあ、俺も死んだ方がマシだし、それに疲れたし……。あのババアさえいなければなあ」


「……どういうこと?」


「ああ……いけねえな。何でもない。はやく殺せよ、こっちは待ってんだから」


「じゃ……殺す……よ?」


「……ああ」





























訳の分からない感情だった。

『死んだ方がマシ』『疲れた』

その言葉に込められた意味は何だったのだろう。

初めはそう思っていたが、段々と笑いが込み上げてきた。









この子……。いや、コイツは、縄で首を絞めると数十秒後には目を大きく開いて、本能的なものなのか、抵抗してきた。僕はそれが愉快で、面白くて、快感で、堪らなかった。これが生き甲斐なんだろう。僕に残されたのはこれしかない。










僕はコイツの首から縄をするりと引っ張って外し、無意味にタンスの奥深くに隠した。そして、真っ暗な窓の外を見て呟いた。















「約束って何だったっけ──。」


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心を黒に染めた夜 とある中学生(わたなべ) @Watanabe07

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