91.迷宮都市レストーネア―5


 なんだかんだありつつたどり着いたギルドは、まだ朝早いうちとあって人が賑わっていた。

 何もここ数日、街中探検と宿探しばかり行っていたわけではない。ダンジョンの情報を集めつつギルドに掲示される依頼を確認し、その相場や需要などを頭に叩き込んである。もちろんこの街のギルドにも各地にあるように資料室が用意されていたので、ユウと手分けして知識を詰め込み、夜に情報交換として重要そうな内容は話し合っている。


 当然、まず調べたのは『赤の塔』の情報であった。


 赤の塔は踏破された迷宮であり、その階層は地上二十五階である、というのが通説だ。そう、通説であって、事実ではないが、多くの人間は疑ってもいないだろう二十五階建て迷宮であるというこの話……私とユウは、それが違う可能性も視野にいれている。

 というのも、グリモワールのことを知っていたあの依頼者シアンが、赤の塔の隠し部屋と言っていたことが気にかかるのだ。

 この世界ではこれほど高い建築物は珍しい。よって、窓もない赤の塔の外見からその正確な階数を推測するのは不可能だ。たとえ一階ずつその高さを調べていったとしても、中は複雑である上に階段だけではなく傾斜やらなにやら利用した作りで上に登ることになるらしく、かなり強い魔物もいる中で正確に計測する技術はこの世界にはないと思われる。

 だがさすがに、一階ごとの広さはそう誤魔化せるものではない。感覚が鋭い者の多い冒険者たちも、どこかの階層が感覚的に狭いと感じれば隠し部屋を疑い徹底的に調べるだろうが……そのような噂が集まっているのは、地下が有名な青の塔と、そしていまだ踏破されていない白と黒の塔だ。あとは弱い魔物が多く中に樹が生える為吹き抜けで高さがあるだけの緑の塔なんてものもあるが、そちらは主に自然の恵みが採れるなんて迷宮にしては不思議な理由で人気がある迷宮であり、むしろ調べつくされているといった印象である。

 つまり簡単に言えば、赤の塔に隠し部屋があるとすれば、存在しないと思われる地下もしくは最上階と呼ばれる二十五階のそのが怪しいのだ。


 それにしても、赤だの青だの黒に白と、まるでギルドで用いている階級を表す色のようだが、ギルドでは一番下のランクである黒がいまだに踏破されていない超難関迷宮の一つとは。まぁ、赤の迷宮はその名の通り、赤ランク冒険者が推奨されている迷宮であるらしいけれど。

 白と黒の塔以外は入場制限がないらしく、推奨ランクが公表されていても入場に問題はないらしいけれど……まぁ、緑が入場制限で引っかからなくてよかった。思った以上に緑から青に上がるには時間がかかり、そしてなんだかんだと依頼に集中できない日々が続いていたせいで見通しも立ってない。情報を集める中で街周辺の依頼はいくつかこなしたが、どれもほとんど手応えはない、といった依頼ばかりだ。やはりこの街の依頼のほとんどは迷宮内に集中しているのだろう。


 別に迷宮に挑むことを臆しているわけではないのだが、一度でも挑んでしまえばまた何に邪魔されて時間を奪われるかわからないので情報収集はできるうちにやるのが吉である。

 なにせ、ゲームかラノベかそれとも少女漫画か、これでもかというほどテンプレ事象に巻き込まれる主人公属性なユウと、その事象の原因にわりと大きく貢献している私の二人パーティーなのだ。

 そう、認めてしまおうではないか、原因だと。具体的に言うと、まぁ……


「よう兄ちゃん。テイマーなんて連れて子守も大変だろ? 俺たちのパーティーにどうだ?」


 だとか? いやこれはまだマシだ。狙いもユウのようだし、ユウに任せてほっとこう。


「お? はは! 可愛い顔してんじゃねぇのお嬢ちゃん! まだちっせぇのに迷宮都市たぁ大変だなぁ? 俺と一緒に気持ちい……楽しいことして兄ちゃんの帰り待ってようぜ」


 ……だとか? うん、これはアウトである。


 ちらりとユウを見れば、視線が絡んだ瞬間頷かれる。と同時に、私は跳んだ。


「え?」

「楽しいことってなに? 私がいくつに見えてるの? ね、変態さん」


 背後をとってその首筋に杖を突きつける。かなりの速度であったので、首筋に触れた風は鋭いものであっただろう。それこそ突き付けられたものが杖なのか刃なのか、判断がつかなかったに違いない。

 完全に油断し私の動きを追えなかったのだろう、きょろきょろと見当違いの方に視線を向けている彼らの不意を突くのは容易で、その胸に輝くランク章の色も確認済みである。緑と青のパーティー……迷宮都市ではよく見かける色合いだ。


「え、え、なんで」


 仲間の一人の首元に突き付けられているのが杖とわかって安心したのかそれでも混乱しているのか、唖然としたまま動けぬ仲間の中央で、楽しいことをしようなんて言っていた男が困惑したまま声を上げる。後ろを振り返ることができないのか固まってしまっているその体は隙だらけで、私はユウの視線を受けてそのまま杖を下ろすとその横をさっさと通り過ぎてユウのそばへと合流した。


「この街で見た目で判断するなよ、素人か」


 ユウの言葉は強烈な正論となって相手を打ちのめし、小柄な子供と思われる女一人に首を狙われた男たちはそのまま呆然と私たちを見送る。そう、ノクトマにいた頃に決めた対応が、本格的に日の目を見たのである。


 そもそも風を受けて被っていたフードが脱げたのが問題だったのだから、風の魔力でフードが飛ばないようにしてみようかなんて術の考案をしつつ十分距離をとったところで、私はとうとう大きく息を吐き耐え切れず項垂れる。


「つ、疲れた」

「よく頑張った」


 ふは、と笑うユウにうつむく頭を撫でられる。

 そもそも私は他人に関わるのが嫌なのだ。怖いものは怖いし、ごめんなさいと罪悪感は抱くものの信用しろと言われても無理な話なのだ。怖いという感情はそう簡単に消え去るものではないし、呪いの種のこともある。

 ただ、あれは徹底して私を孤独にしようという意図もあるようだけれど、恐らく定着する前に出会った、悪い感情がなく私の恩人という位置である案内人ユウには効力を発していない。

 だから好きになった、というわけではないが、おかげで私は孤独ではなかった。好きという感情は怖くもあるが、私を私として支える一つとなって胸の奥で静かに育っている気がする。

 ……そうだと思えばあとは、勇気が出ないわけがない。魔物を倒す冒険者は荒くれ者も多く、前々世の魔術師であった頃の私があの手の火の粉を振り払うのにどうしていたか、それを思い出して実行に移すだけである。

 前々世の全盛期には劣るが、たとえテイマーという見下されがちな職と、攻撃職と見做されない付与術士という職が適正であろうと、その辺りの冒険者に負けるようなぬるい修行はしていないし、前々世の知識はそれ以上に強力、いっそ凶悪だ。

 やれなくはない。呪いの種を知ってむしろ悲観に怒りが加わってやる気も出た。ユウの隣に立ちたい。ユウと冒険者として生きたい。様々な理由が力となってこうして対応できるようになったのも、ユウのおかげである。


 ユウはこの数日で街の様子を探り、私たちが隠していた力の一部を解放することに決めたのだ。例えばこれまでは基本的に後衛として動いていた私自身の戦闘力(稀に披露する機会のあった師匠直伝フルスイングなどだ)を隠さないことと、刀に魔力を乗せる戦い方が多かったユウの魔法の解禁など。そもそも隠していたのは、例によって「低ランクのくせに!」というおかしなやっかみが面倒だったからである。今後は必要とあればグリモワールの出番も出てくるだろうし、迷宮都市での用事が終わる頃には完全にグリモワールも解禁する予定である。

 決め手となったのは、多くの冒険者が集まるこの迷宮都市では、確かに実力がそれ以上でも段階を踏んで上がっている途中の力ある冒険者がちらほらといることだ。それが先ほどユウが放った「この街で見た目で判断するな」に繋がるわけである。


 機は熟した、なんて言葉でかっこつけるわけではないけれど、いつまでもユウの後ろに隠れてはいられない。ともに並び立つ、それが理想だ。


 だから頑張らないといけない。


 ――お前だけ幸せになるつもりか。


 ユウは私を信じて隣にいてくれている。


 ――お前が殺したのは俺たちだけじゃない。あの世界は俺たちが最期の希望だった。


 違う。違わないけど違う。私は殺してなかった。私を殺したのは――!



「ミナ」


 ふ、と届いた声に、唐突に体の強張りが解けて自由になり、そこで初めて自分が『声』に囚われていたことに気付く。どっと疲れが押し寄せ、魔道具である防具によって快適な体感温度である筈の体からぶわりと汗が噴き出すのがわかった。好きな異性に見られたいものではないが、零した息が乱れて落ち着かない。


「ミナ、大丈夫だ。無理はしなくていい」

「……だいじょうぶ」

「じゃないだろ、いや、あのバカどもの対応はいいんだ。ただ、もし『声』が聞こえるなら一人で耐えようとするな。俺がいる。干渉させろ、必ず守る」


 普通はできることじゃない。だがユウは、私がユウの魔力を拒絶しないと知っているからこそ、問答無用とばかりに私を抱き寄せると魔力で干渉しはじめた。種の呪いを、抑え込もうとしているのだろう。以前ユウは砂粒のような小さな、それでも確かに呪いとして私の魂に刻まれたそれを発見しているので、いろいろと対策を練ってくれていたのかもしれない。

 今は呪いを解く方法がわからないので、気休めだとユウは口にする。だが確かに全身に広がるユウの魔力は私の心を落ち着かせる効果があって、じわりじわりと落ち着いていく。


「……本当に、もう大丈夫」

 そろりとその胸から体を離せば、いつの間にかあまり人のいない路地裏にいることに気付いた。恐らく私が声に囚われ始めてすぐに人目に付く場所から移動したのだろう。


「ごめんね、ユウ」

「感謝のほうがいいな。あと、もう一度言うが、俺が言えるのは『よく頑張った』だよ」


 苦笑するユウの表情を見てほっとする。

 そのまままた歩みを進めながら、拳を握った。強くならなきゃいけない。怖いのは仕方ない。でも怯えて動けないのは駄目だ。大丈夫。『好き』を口にできたのだから、怖いことに怯えるだけの私は終わったのだ。


 この日、ある程度の情報は得られたとして、私たちは明日から迷宮に挑むことを決めた。一日一階攻略したとして、ちょうど依頼までに赤の塔を攻略できるかどうかといったところだが……それだと休みなしという環境になってしまう為、実際はもう少し早いペースでの攻略となるだろう。護衛する側となる私たちが、迷宮内の構造がわからないままというのは危険なのだから急ぎとなるのも仕方ない。


 今日も聞こえる、迷宮都市の賑わう声。人が多い環境ながら、ドルニグにいた頃よりは抱く恐怖心は落ち着いている。いや、大丈夫だと、立ち向かおうとできているのだと思う。


 迷宮都市赤の塔は、まさしく迷宮ともいえる複雑な構造であり、白黒の塔に続く強敵揃いのダンジョンだという。午後には武器屋を巡って、主にユウが暗殺者スキルを発揮する為に使うだろう暗器を揃え、私も矢の補充を行う。ノクトマではあまりいい武器に巡り会えなかったユウも、ここでは『そこそこ使える』と本人も納得できる武器を手に入れることができたようだった。

 明日に備えて早めに宿に戻れば、またあの少女が頬を染めてユウを見る。いつも通り完全に無視するかと思われたが、ユウは珍しくそこで足を止めた。


「なにか用があるのか」

「え、えっ!? 違います。その、すみません、わたしってば」

「……俺は冒険者だ。用もないのに見られても警戒するだけだし、探られているようで不愉快だ」

「す、すみません……」

 表情は変わらないが、確かに怒りのようなものを感じる声音に、少女がさっと青褪める。思わず私が慌てるほどであったが、恐らくユウのこの怒りは私の為だ。

 少女が何か言うのであれば、ユウもはっきりとした態度をとれるだろう。ただ実際こうして宿で顔を合わせるたびもの言いたげな視線だけを向けられ、食事中まで何度も視線を感じていたことを考えれば、そういったものに敏感なユウが疲れるのも無理はない。まして目の前にそれを怖がる私がいたのだからなおさらだろう。

 と、そこで受付の奥にいたらしい宿の女将さん……恐らく母親が慌てて出てくると、すみません、と娘と共に頭を下げる。


「この子、助けられたってので舞い上がってしまったみたいで。仲睦まじい女性を連れたお客様の気持ちも考えず、大変失礼いたしました。しばらくは裏で作業させますので」

 その言葉の途中でびくりと少女は肩を震わせたが、顔を上げることはなかった。ユウはしばらく悩むと、それなら、と言葉を続ける。


「とても休みやすい部屋だった。あなたが言うように、俺は大切な女性に何の心配もしてほしくないし、あまり見られ続けると仕事柄警戒してしまうんだが……それがないならしばらく世話になりたい」

「もちろんでございます。今後このようなことがないように致しますので」

「……とりあえず七日、世話になる。もしかしたら伸びるかもしれないが」

「かしこまりました」


 話が決まるとユウはその場でまとめて少し多めの料金を支払い、そのまま部屋へと足を運んだ。


「勝手に決めて悪い」

「ううん。あちこち宿を変えてられないもん、……ごめんね」

「お前が謝ることじゃないって。あれで大丈夫だと思うけどな」


 あの時すでに、少女に嫉妬の炎はないように見えた。ただの憧れが、直接話したことで変化したのかもしれない。悩みながらも一歩一歩進んでいるのはきっとユウも同じだけれど、いつも守ってくれるユウに私も早く並び立てるようにならなければ。


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