57.ノクトマとスビアイ山―4


「似たような宿を探すのは難しいな」

「そうだね、ドルニグの時もお風呂とかついてない部屋だったけど、わりと快適だったというか……女将さんいい人だったし」


 ドルニグの宿を懐かしむ私たちが現在いるのは、到着したばかりのノクトマにあるとある宿の一室。その部屋はドルニグの部屋よりもやや広く、しかし全体的に古く歩くと床がきしむ音がする。

 ちなみに三階なのだが、窓ガラスはあるものの小さく歪んでおり、若干隙間風まで吹いている。まぁこの世界はガラスがものすごく高値というわけでもないのか、一般家庭の窓でも見かけるものだ。が、前世で見たような美しく均一なものというのは今のところ森の隠れ家でしか見たことがない。

 つまり多少歪みがあってもおかしいわけではない。前々世なんてガラスは貴族の持ち物だったからそれよりは断然マシだし、こちらでは薬などが不揃いでもガラスの小瓶で売られているくらいだ。で、何が言いたいかといえば……この宿、古い。ドルニグでお世話になった宿よりはどうにも落ち着かない雰囲気だ。


 これまた補強と補修の跡が目立つベッドは、木枠はあるが藁を敷き詰めシーツを敷いたもので、それが三つ。そう、三人部屋だ。それ以外の家具はサイドテーブル一つのみ。

 壁と壁の間が広いので以前のように仕切りを作って身を清める……という方法も若干取りずらい上に、壁自体もぼろぼろで紐を張るのが不安になる。まぁ崩れはしない……のだろうが、この辺りに地震がないからこそだろうな、というユウの呟きには同意だ。危うい感じがする。


 別に安宿というわけではなく、三人部屋を貸し切った状態ではあるが一人当たりの値段もまたドルニグの二倍近かったりする。ドルニグでは常宿として数週間分支払って利用していたが、今回はないなということで早々に退散予定で、ひとまず一泊だ。やっぱり都市は高いということだろうか。


 何軒か見て回ったのだが二人部屋はあまり空きがなく、大部屋か三、四人の部屋はあっても高額のわりに受付カウンターからして不衛生だったりと、管理が行き届いてない宿が多かった。

 多少お金を持っている冒険者たちは私たちが見ている区画よりもう少し中央寄りの少し高めな宿屋に行くことが多いらしい。……別にお金が足りないわけではないのだが、空いている保証がない以上探す時間が足りなかった。

 既に満室を回った後だったというこもあって、たまたま空いていた三人部屋を一つ借りたのだが、入って早々なぜか濁った茶色のシーツを清浄の水で洗うところから始まった。ちなみに乾かしたのはユウです。


 隙間風が鬱陶しいので目に見えてひどい穴には適当に使わなくなった布を詰め、そのまま私たちは外食へと繰り出した。希望すれば宿でも食事が出されるのだが別料金だったので、それなら観光がてら外に行こうとなったわけである。

 幸い食べ歩くにしてもどこかで落ち着いてお腹を満たすにしても、場所は門前の中央通りで間違いない。

 宿から出て大通りへと顔を出せば、間もなく日も落ちるというのに街は賑やかで明るい。よく見れば大通りを兵士たちが巡回しながら、街灯に魔力を流し明かりを灯して歩いているようだ。

 この辺りはドルニグより手間もお金もかかっている……が、ものすごく煌々と、とはさすがにいかないようだ。それでも治安維持にはなるだろうし、何より夜はこれからと言わんばかりに、酒を取り扱う店が気合を入れて店先を明るくし客を呼び込んでいるので、夜でも見えないなんて心配はなさそうだ。


「何食うかな……」

「チーズがいっぱいある……!」

「あ、確かに。ドルニグに比べて肉の店が少ないな」

 ユウの言葉に天月がしょんぼりと耳を下げるが、部屋でも食べれるからねと宥めたそばから露店の店主がらっしゃいと大きな声を張り上げ、わんちゃんにどうだい! と焼いた肉で呼び込まれた。天月のきらきらとした視線に負け、丸焼きだった肉を味付け前に大きく切り取ってもらう。スビアイ山のふもとに住むという黒豚の肉らしく、一応魔物だそうだ。

 せっかくだからと私たちの分も購入すれば、人間用は小さく切り分けたそれを串に挿し、軽く表面を炙った上で調味料を振ってから手渡された。

 口に含めばやや硬い歯ごたえだが、肉の臭みはほとんどなく噛めば噛む程旨味が溢れるようで、調味料のピリリとした辛さと共に口に広がっていく。

 サイズが小さかったこともあって満遍なく調味料が絡んだのだろう、初めに感じた硬さもすぐ気にならなくなって最後まで美味しく食べたところで、せっせと店の脇で食べさせてもらっていた天月が満足げにぺろりと口の周りを舐めていた。

 ちなみに調味料は塩と胡椒……ではなく、スビアイ山の中腹でとれるという果物をすり潰して乾燥させ塩を混ぜたものらしい。果実ではなく果物と表現されると違和感があるほどぴりりとしていたが、少し興味が湧いてしまう。


 その後もチーズやパン、肉をいくつか多めに購入して楽しみつつ、酒場などは避けてそのまま宿へと帰還。見たいところは多いが、この街にはあまり長くいる予定ではないので、明日も朝早いのだ。


 部屋に戻り、ルリには木の実、天月に追加の肉を渡しながら自分たちも摘まみ、余った分はすべて収納にいれる。いつもより苦戦して部屋の仕切りをつけたところで身を清め終えると、洗濯をしている間にユウがいつも通り私の髪を乾かしてくれる。

 いつものこと、なのだが、なんだか最近は少しそわそわと落ち着かない。しかしそんな落ち着かない私が見透かされているのではと思うほど、ユウは普段通り次々と話題を振ってくる。そのおかげでぎこちない空気になるようなことはあまりなく、今日の話題は明日の予定だ。


「そろそろ調合に手を出してみたらどうだ? この街なら材料も揃ってるし、未開の森で集めた薬草も黒本……グリモワールに一杯入ってるだろ?」

「うーん……できるといいなぁ」

 ユウに勧められたのは言葉通り薬の調合である。

 この世界では、既製品のポーションを冒険者自らが自分用に掛け合わせ、分量を調整し合わせることを『調合』と称することもあって、冒険者にとって調合とはわりと身近だ。だがユウが言っているのは、本当に薬草などの素材から薬を作る調合のことである。

 実は薬の調合という作業は、繊細な魔力調整や望み通りの効果を得る補助の為の付与など、付与術士向きの仕事である。それは理解していたし、隠れ家でも本を読み、師匠やおじいさまに習って勉強だけはしていた。もっと言うなら生まれ育った集落では薬屋なんてものはなく、各家庭で多少の薬の調合を行っていたし、森にほぼ住みついていた私も得意な方だったと思う。

 ポーションなどの調合の際に魔力を用いるいわゆる魔法薬は、作る何かに魔力を流し込める技術があれば、一応誰でも作ることができるとされている。が、当然それに特化した付与術士は天職であるし、付加効果にも期待できる。そうした理由からこれまでも未開の森で薬の材料だけは集めまくっていたのだが、冒険者の旅に出てからというもの私が消極的だったこともあって縁遠かったのが調合だ。……手を出していなかったのは理由がある。

 薬の調合は、魔力調整がとんでもなく難しいかつめんどくさいのだ。

 いや、そもそもただの薬であれば調合自体は故郷でしていたし、手順が大変だからこそ効果があるのだとも思う。ちゃんと使えるものを作り上げていたのだから、そのあたりは理解できる。

 問題は、前々世の記憶を得た私が一度死んでから得てしまった、爆発的に増えたんだか解放されたらしい魔力を、いまだに扱いなれていないことだ。量が多すぎて、長時間細い糸のように魔力を注ぐのが、とてつもなくつらい。私の根底にある魔法の使い方が、前々世が基準であることもなおさら拍車をかけている。


 前々世の私の職業……いや、適正というべきか。それは間違いなく超戦闘特化型魔術士だった筈だ。あるだけ練り上げて魔力をぶっ放す、大雑把職でもあったかもしれない。

 とはいえあの世界はこの世界のように自分の才能を職業という形で表していてくれたわけではないので推測だし、あの世界の適正はこの世界の分類より随分と曖昧で、付与術士の能力も魔術士として一括りにされていたくらいである。

 あくまでそうだっただろうなと思う根拠は、とんでもない攻撃力を持った当時の超高位魔術をばんばん使えていたせいだ。そのせいで勇者パーティーにいたのであるが。

 この世界は前々世よりわかりやすい。占いに区別されるのだろうがステータス開示により適正職業が示される。しかしあの世界より魔法、魔術といった技術が、雑だ。非常に雑で簡易だ。そもそも魔術と魔法がごった煮状態であり、根本的な理も恐らく違う。

 なんとなくで魔法を使う人物を魔法使い、魔法と剣を扱える人物を魔法剣士と呼び分けているが、その違いを理解……というより分けて考える人があまりいない。分かれていない。これは、初めから適正がわかる環境の為に研究が進んでいないせいではないかと考えている。

 私のいた過去の世界では精霊に願い力を借りるのが魔法、術式を組み上げ自然界の力そのものに干渉し事象を起こすが魔術であり、私は勇者パーティーの一員としてそれをさらに複合して使っていた。……はずだ。

 この世界には恐らく精霊というものが明確にはおらず、周囲に存在する魔力に魔力で干渉し事象を願い生み出す、複合とは違う魔法と魔術のいいとこ取りが、一般的に普及している魔法という力だ。しかし威力は弱い。

 使いやすさに傾いて威力を捨てたような、使い手は多いが弱体化した、そんな世界において一般的以上の膨大な魔力を持つとどうなるか……制御自体に苦戦するだけではない。そもそもとして既存の技術を使おうとすれば、圧倒的な魔力量の差に誤差が生まれて扱いにくくなるのである。

 薬だなんて繊細な魔力調整が必要なもの、既存のやり方を教わったところでできるわけがない。もっともっと魔力を集中的に絞って使わなくてはならない。つまり……レベルが足りない、と言い換えればわかりやすいか。

 私がグリモワールの中に使えないページが多くあるのも、ユウが人に収まらない魔力を持ちながら制御にいくつものアイテムを要して苦戦しているのも、同じ理由だ。力はあっても器が育っていなければ、蛇口を破裂させる勢いで水を噴射しているようなものである。


「……調合、爆発させそうだな」

「……一応聞くが、何を作るとそうなるんだ?」

「え、回復ポーション」

「…………ん、わかった。そのうち金が貯まったらどっかの森の中に一軒家でも建てて試すか」


 調合できれば、間違いなく便利だ。私とユウはどちらも治癒系の力が付け焼刃程度のものしかないので、薬というのは冒険の上で必須アイテムである。

 なんだか図らずもユウと家を買う話になった気がするが、きゅんとできない破壊前提の購入話になんとも微妙な感情を抱くことになったのだった。

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