第14話 精霊の誓い

エレスが、リリアを見つめる。


「リリアが見つけてくれたから」


「どういう事?」


「私には仕事がある。そうでなければ私などという存在は生まれない」


「エレスの……精霊王の仕事?」


「そうだ。常に世界のバランスをとるのが私の仕事。だから私は基本的に精霊界にいたし、こちらに降りてきたのは……百年ぶりくらいだな。長い時は千年くらい向こうにいる」


「待って、エレスってどれくらい生きてるの?」


「生きている時間で言えば、この世界と同じ程度だ。起きていた時間はそう長くもないが」


「……」


途方もない話でスケール感が全くつかめない。

リリアの知っている世界といえば村の中と、時折やってくる行商人や旅芸人からの話を子供たちから又聞きするくらいだ。


「私はしばらく精霊界にいたから、こちらまで手が回らなかった。本当はまだ精霊界でやる事があったんだが、やけにこちらの精霊が騒がしくしていてな。少し様子を見に来たところで、まあ運悪く傷を負ってしまった」


「傷!? 大丈夫なの?」


エレスはどこかを悪くしている様子はなかった。

精霊が怪我をするのかどうかも分からないが、もし傷をそのままにしているのなら危険な場合もある。

人の姿をしているのでリリアに出来る事もあるだろう。


「私の手当てでだめそうなら村のお医者様に」


「そう、あの時リリアが手当てしてくれたから私は微睡みから覚めた」


エレスは穏やかにリリアを見つめ、微笑んだ。

万人が見惚れる美しさだが、リリアはそれどころではなかった。


手当て? 今さっき傷の事を知ったのだから何もしていない。

そもそもエレス程目立つ人と出会っていれば気づくはずだ。


「あの時はまだこちらに来たばかりだったしな。意識も上手く固定出来ず、とりあえずこちらの世界を見て回っていたんだ。まあそれで狩人に見つかってしまったのは……我ながらどうかと思うが」


相当ぼんやりしていたらしい。

エレスの歯切れの悪さから、寝起きでふらふらしていているような状態の時に猟師に見つかったんじゃないのかしら、とリリアは思った。


あ、とリリアの中で何かが繋がる。


「……森で会ったあの白鹿さんってもしかしてエレスだったの?」


「気づいていなかったのか?」


そういえばあの時の白鹿も目の前の精霊王も白銀の毛をしている。

様々な色が溶け合うような透き通る紫の瞳も、思い出してみれば同じだ。


こんな不思議な色合いの共通点に気づかなかった迂闊さに、リリアは少し落ち込む。


いやでも、鹿と人間が同じなんて思わないじゃない。


人間ではなく精霊なのだが、それは一旦置いておくリリアだった。


「手当てしてもらっていた時はまだ完全に目覚めてはいなかったのだが、その後徐々に目が覚めてな。傷も治っていたし、その時にようやくリリアが私の乙女だと気づいた」


「怪我、もう治ったの?」


「リリアのおかげで思っていたより早く良くなった」


矢傷が数時間で治るなんていくらなんでも早すぎるが、相手は精霊王だ。

そういうものなのかもしれない。


もしかしてエレスって寝起きが悪いタイプなのかしら。


エレスが寝ぼけていた時リリアは山賊に殺されそうになっていた。

もう少しエレスが寝ぼけていたらと思うと背筋にひんやりしたものが流れる。

それともこの呑気さからすると、リリアが思っていたより余裕があったのかもしれない。


そもそも精霊は時間の感覚が人とは大きく違うようだ。

リリアは自分の身の丈に合わせて理解しようと努める。

朝が苦手な人が10分ぼんやりしている間に朝ごはんが用意されていたような感覚で、数日ぼんやりしていたら矢傷を負わされて手当てされていたような感じなのかもしれない。

だとしたらすさまじい寝ぼけ具合だ。


「あの森でリリアが私を見つけてくれたから数年早く目が覚めた。気づいてからは急いでいたから祝福も手荒になってしまって申し訳ない。他の精霊が祝福する前に…と思ったらな」


「15年も放っておかれたんだから急がなくても良かったわよ」


「それでも一刻も早くリリアに祝福(口づけ)したかった」


熱い視線がリリアに向けられたが、しかしその瞳もやがて伏せられる。

きゅ、とリリアに繋がれたエレスの手が強張った。


「……精霊を恨んでいるか?」


「え?」


おそらくそれがエレスの一番知りたかったことらしかった。


エレスはあくまで穏やかに微笑んだままだ。

それはリリアが素直に恨み節を吐けるようにというエレスなりの配慮なのだろう。

思う存分罵れるように。


だからリリアは素直な気持ちを口にした。


「……分からない」


自分の境遇の原因についてエレスに明かされても、リリアにはいまいちピンとこなかった。


「私はエレスへのご馳走として無加護だったのよね。そのせいで異端視されて大変な事もあった。本当はもっと違う人生だって可能性はあったはずで、エレスの寝起きが悪いせいで危うく死ぬ所だった」


「そうだな」


エレスの美しい手はリリアの手をすっぽり覆う程大きい。

指先一つで大男をどうにでもしてしまえる手が、今はひどく不安定に思えた。


ふっとそのまま風にかき消えてしまいそうな。


リリアはエレスを繋ぎとめるように、空いている方の手をエレスの手に重ねる。

そしてリリアはエレスの目を夜空の瞳で見つめた。


覚悟を決める。



「恨まないわ」


リリアの凛とした声が丘に響く。


「なぜだ?」


この世界で最も偉大で貴ばれる精霊王、エレス。

そんな彼が断罪を待つ囚人のような顔をしている。


不遜な王のようで、素直な子犬のようで、まっすぐな精霊王はリリアを見る。


リリアは所詮、人間の一人でしかない。

精霊王が聞くなと言えば聞けないし、ちょっとした嘘をついて騙す事なんて造作もないはずだ。


だからこそ、正直に全てを話した事がリリアに対して誠実であろうとしている証だと思えた。


「確かにひどい目にあってきたと思うわよ。加護がないのは仕方ない事だと納得していたけど、どうして私だけって思ったりもしたわ。

でも、私に辛くあたったのは精霊じゃない。私が無加護なのは精霊の事情でも、それで私が大変な思いをしたのは人間の事情よ。そうでしょ?

私は精霊から何もされてないわ。まあ……それに関しては良くも悪くもって所だけど」


だから、精霊を恨んでいるかと聞かれてもリリアにはよく分からなかった。

あまりにも遠い世界の話だったものが急に目の前に現れて選択肢が出来た。


だったら自分が苦しくない方を選びたい。


「リリアはそれでいいのか?」


「そりゃ、やろうと思えばエレス達のせいだって恨む事は出来るわ。でも加護をありがたがってるのは、それこそ人間の勝手だもの。私だって精霊の勉強してこなかったわけだし、お寝坊さんと不真面目で丁度いいと思わない?」


「リリア……」


「山賊に殺されそうなのだって、助けてくれたじゃない」


「どうして許せる。全ての原因は私たちにあると詰ってもいいんだが」


まだ思う所のありそうな精霊王に、リリアは困ったように笑う。


「こうして今エレスに会えたんだもの。私は幸福だわ。それでもご不満なら」


そこまで言って、リリアはしまった、と思った。

不安そうなエレスを元気づけようとしてつい余計な事まで口をついて出てしまいそうだった。

いやすでに半分出てしまっていたが。


「不満なら?」


だがエレスが不思議そうに見つめてくるのですう、と息を吸い込む。

覚悟を決める。


「……15年分のお釣りが来るくらい、これからの私を祝福してちょうだい」


それは今までのリリアでは考えられない程大胆なお願いだった。

だがエレスはそこでようやくほっとしたように力を抜く。


さらりとエレスの髪が流れるのを見た直後、リリアの視界がエレスの着ているローブのようなものの白色に覆われた。

エレスの腕が壊れものを扱うようにそっと背中に回るのを感じたリリアは、抱きしめられているのだとやっと理解する。


微かな甘い花の香りと、夜明けの心地良い空気に包まれているような心地だ。

だがどうしたらいいのか分からずリリアは硬直してしまう。


「私の乙女リリア。幸せにすると誓う」


耳元で炎のように熱い言葉が甘く響いた。

その熱にあてられたようにじんわりとリリアの心も温まる。


「ありがとうエレス……」


顔の熱に気づき身じろぎして丘を見る。

自分を抱き込む精霊王の隙間から、日が傾きかけてリリアの頬を赤く照らしていた。エレスが、リリアを見つめる。


「リリアが見つけてくれたから」


「どういう事?」


「私には仕事がある。そうでなければ私などという存在は生まれない」


「エレスの……精霊王の仕事?」


「そうだ。常に世界のバランスをとるのが私の仕事。だから私は基本的に精霊界にいたし、こちらに降りてきたのは……百年ぶりくらいだな。長い時は千年くらい向こうにいる」


「待って、エレスってどれくらい生きてるの?」


「生きている時間で言えば、この世界と同じ程度だ。起きていた時間はそう長くもないが」


「……」


途方もない話でスケール感が全くつかめない。

リリアの知っている世界といえば村の中と、時折やってくる行商人や旅芸人からの話を子供たちから又聞きするくらいだ。


「私はしばらく精霊界にいたから、こちらまで手が回らなかった。本当はまだ精霊界でやる事があったんだが、やけにこちらの精霊が騒がしくしていてな。少し様子を見に来たところで、まあ運悪く傷を負ってしまった」


「傷!? 大丈夫なの?」


エレスはどこかを悪くしている様子はなかった。

精霊が怪我をするのかどうかも分からないが、もし傷をそのままにしているのなら危険な場合もある。

人の姿をしているのでリリアに出来る事もあるだろう。


「私の手当てでだめそうなら村のお医者様に」


「そう、あの時リリアが手当てしてくれたから私は微睡みから覚めた」


エレスは穏やかにリリアを見つめ、微笑んだ。

万人が見惚れる美しさだが、リリアはそれどころではなかった。


手当て? 今さっき傷の事を知ったのだから何もしていない。

そもそもエレス程目立つ人と出会っていれば気づくはずだ。


「あの時はまだこちらに来たばかりだったしな。意識も上手く固定出来ず、とりあえずこちらの世界を見て回っていたんだ。まあそれで狩人に見つかってしまったのは……我ながらどうかと思うが」


相当ぼんやりしていたらしい。

エレスの歯切れの悪さから、寝起きでふらふらしていているような状態の時に猟師に見つかったんじゃないのかしら、とリリアは思った。


あ、とリリアの中で何かが繋がる。


「……森で会ったあの白鹿さんってもしかしてエレスだったの?」


「気づいていなかったのか?」


そういえばあの時の白鹿も目の前の精霊王も白銀の毛をしている。

様々な色が溶け合うような透き通る紫の瞳も、思い出してみれば同じだ。


こんな不思議な色合いの共通点に気づかなかった迂闊さに、リリアは少し落ち込む。


いやでも、鹿と人間が同じなんて思わないじゃない。


人間ではなく精霊なのだが、それは一旦置いておくリリアだった。


「手当てしてもらっていた時はまだ完全に目覚めてはいなかったのだが、その後徐々に目が覚めてな。傷も治っていたし、その時にようやくリリアが私の乙女だと気づいた」


「怪我、もう治ったの?」


「リリアのおかげで思っていたより早く良くなった」


矢傷が数時間で治るなんていくらなんでも早すぎるが、相手は精霊王だ。

そういうものなのかもしれない。


もしかしてエレスって寝起きが悪いタイプなのかしら。


エレスが寝ぼけていた時リリアは山賊に殺されそうになっていた。

もう少しエレスが寝ぼけていたらと思うと背筋にひんやりしたものが流れる。

それともこの呑気さからすると、リリアが思っていたより余裕があったのかもしれない。


そもそも精霊は時間の感覚が人とは大きく違うようだ。

リリアは自分の身の丈に合わせて理解しようと努める。

朝が苦手な人が10分ぼんやりしている間に朝ごはんが用意されていたような感覚で、数日ぼんやりしていたら矢傷を負わされて手当てされていたような感じなのかもしれない。

だとしたらすさまじい寝ぼけ具合だ。


「あの森でリリアが私を見つけてくれたから数年早く目が覚めた。気づいてからは急いでいたから祝福も手荒になってしまって申し訳ない。他の精霊が祝福する前に…と思ったらな」


「15年も放っておかれたんだから急がなくても良かったわよ」


「それでも一刻も早くリリアに祝福(口づけ)したかった」


熱い視線がリリアに向けられたが、しかしその瞳もやがて伏せられる。

きゅ、とリリアに繋がれたエレスの手が強張った。


「……精霊を恨んでいるか?」


「え?」


おそらくそれがエレスの一番知りたかったことらしかった。


エレスはあくまで穏やかに微笑んだままだ。

それはリリアが素直に恨み節を吐けるようにというエレスなりの配慮なのだろう。

思う存分罵れるように。


だからリリアは素直な気持ちを口にした。


「……分からない」


自分の境遇の原因についてエレスに明かされても、リリアにはいまいちピンとこなかった。


「私はエレスへのご馳走として無加護だったのよね。そのせいで異端視されて大変な事もあった。本当はもっと違う人生だって可能性はあったはずで、エレスの寝起きが悪いせいで危うく死ぬ所だった」


「そうだな」


エレスの美しい手はリリアの手をすっぽり覆う程大きい。

指先一つで大男をどうにでもしてしまえる手が、今はひどく不安定に思えた。


ふっとそのまま風にかき消えてしまいそうな。


リリアはエレスを繋ぎとめるように、空いている方の手をエレスの手に重ねる。

そしてリリアはエレスの目を夜空の瞳で見つめた。


覚悟を決める。



「恨まないわ」


リリアの凛とした声が丘に響く。


「なぜだ?」


この世界で最も偉大で貴ばれる精霊王、エレス。

そんな彼が断罪を待つ囚人のような顔をしている。


不遜な王のようで、素直な子犬のようで、まっすぐな精霊王はリリアを見る。


リリアは所詮、人間の一人でしかない。

精霊王が聞くなと言えば聞けないし、ちょっとした嘘をついて騙す事なんて造作もないはずだ。


だからこそ、正直に全てを話した事がリリアに対して誠実であろうとしている証だと思えた。


「確かにひどい目にあってきたと思うわよ。加護がないのは仕方ない事だと納得していたけど、どうして私だけって思ったりもしたわ。

でも、私に辛くあたったのは精霊じゃない。私が無加護なのは精霊の事情でも、それで私が大変な思いをしたのは人間の事情よ。そうでしょ?

私は精霊から何もされてないわ。まあ……それに関しては良くも悪くもって所だけど」


だから、精霊を恨んでいるかと聞かれてもリリアにはよく分からなかった。

あまりにも遠い世界の話だったものが急に目の前に現れて選択肢が出来た。


だったら自分が苦しくない方を選びたい。


「リリアはそれでいいのか?」


「そりゃ、やろうと思えばエレス達のせいだって恨む事は出来るわ。でも加護をありがたがってるのは、それこそ人間の勝手だもの。私だって精霊の勉強してこなかったわけだし、お寝坊さんと不真面目で丁度いいと思わない?」


「リリア……」


「山賊に殺されそうなのだって、助けてくれたじゃない」


「どうして許せる。全ての原因は私たちにあると詰ってもいいんだが」


まだ思う所のありそうな精霊王に、リリアは困ったように笑う。


「こうして今エレスに会えたんだもの。私は幸福だわ。それでもご不満なら」


そこまで言って、リリアはしまった、と思った。

不安そうなエレスを元気づけようとしてつい余計な事まで口をついて出てしまいそうだった。

いやすでに半分出てしまっていたが。


「不満なら?」


だがエレスが不思議そうに見つめてくるのですう、と息を吸い込む。

覚悟を決める。


「……15年分のお釣りが来るくらい、これからの私を祝福してちょうだい」


それは今までのリリアでは考えられない程大胆なお願いだった。

だがエレスはそこでようやくほっとしたように力を抜く。


さらりとエレスの髪が流れるのを見た直後、リリアの視界がエレスの着ているローブのようなものの白色に覆われた。

エレスの腕が壊れものを扱うようにそっと背中に回るのを感じたリリアは、抱きしめられているのだとやっと理解する。


微かな甘い花の香りと、夜明けの心地良い空気に包まれているような心地だ。

だがどうしたらいいのか分からずリリアは硬直してしまう。


「私の乙女リリア。幸せにすると誓う」


耳元で炎のように熱い言葉が甘く響いた。

その熱にあてられたようにじんわりとリリアの心も温まる。


「ありがとうエレス……」


顔の熱に気づき身じろぎして丘を見る。

自分を抱き込む精霊王の隙間から、日が傾きかけてリリアの頬を赤く照らしていた。

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