第5話  辿り着いた場所には

小屋についたのは結局、日が暮れてからだった。


距離自体は大した事がなかったが荷車の持ち手部分に泥がつき、滑ってなかなか進まなかったのだ。


ついたと同時くらいに日が完全に落ちたが、慣れないせいか夜の森はどこか恐ろしく不気味にも思えた。




「まあ薪やパンは積んでるし、細かい事は明日からでもいいわよね」




ランタンはあるが泉を探すことまでは難しそうだ。無理をして怪我をしたら元も子もない。


今日は泥を落とすことは諦めよう。暖炉が使えれば火を焚いてシーツに包まって床にでも寝て、全ては明日だ。




「あれ?」




そこでリリアは気づいた。なんと小屋の中から灯りが洩れている。


木こりが休憩しているのだろうか。だとしたら今夜は荷車で野宿も覚悟しなきゃ、とリリアは思った。




挨拶した方がいいのかしら。




しかしいきなり無加護の自分に話しかけられると気分を害するかもしれない。




孤児院でのリリアは喜捨に来る貴族の使いがいる時は絶対に外に出てはいけないし、物音も立ててはいけなかった。


呪われた無加護がいる孤児院にお金を落としたい人間などいないからだ。




リリアを初めて見た人の反応は大体いつも同じようなものである。


怯えられるか、憎まれるか、攻撃されるか。




今は初夏だけど、森は冷えるのよね。もう肌寒いし。




リリアは悩んだが、ずっと野宿をするわけにもいかないので挨拶する事にした。


もしかしたら隅っこを貸してもらえるかもしれない。




穴こそ開いていないが朽ちかけて、ところどころ腐っているようなドアをノックする。




トントン




「あの、すみません」




………………




反応がない。




もう一度ノックしてみたがやはり同じだった。


たまたまいないのだろうか。それにしては中から奇妙な気配を感じる。




もしかして…とリリアは思った。


やはり自分は警戒されているのだろうか。


無害な事だけは伝えておきたいとリリアはドアを開ける。




「勝手にすみません、私…………」




そして小屋の中を見て絶句した。




ろうそく一つだけの薄暗い部屋の中でなんと3人もの大男が(小さな小屋の中で非常に窮屈そうだ)こちらをギロリと睨みつけていたのだ。


木こりや休憩といった雰囲気ではない。




「なんだァ嬢ちゃん…。一人かい?」




暗褐色の髭の大男がにたりと笑う。前歯が数本無かった。


警戒していたのはどうやら警護隊が他にいるかどうか確かめていたのだろう。


リリア一人だと分かると途端に下卑た笑いが浮かんだ。




「おいおい見ろよ、黒髪黒目だぜ」




山賊だ。


殺される……!




「こいつ噂の無加護の嬢ちゃんじゃねえかァ?まだ生きてたんだな」


「ま、無加護でも女は女だ。どっかの物好きか、見世物小屋でも買い取ってくれるだろうよ。その前にちょいと味見でもすっかな」


「俺たちも呪われるかもしれねえぞお?」


「ちがいねえ!ぎゃっはっは!」




小屋が壊れるんじゃないかというほどの笑い声が響く。


大男たちはそれぞれ手に斧やロープを持って、既に目の前の少女がいくらで売れるかを楽しみにしているようだ。




リリアは足がすくんで動かなかった。




やはり無加護の自分では不運に見舞われる定めなのだろう。


今まで無事だったのは精霊の加護のある人々が沢山いる、あの村が守ってくれていたのだろうか。




ああ、失って初めて気づくっていうけど本当だわ。




「さあて、そんじゃやるか」




髭もじゃの大男が斧の背を振りかぶる。


リリアには全てがスローモーションで見えた。




ああ、素晴らしい…とは言えないけれど精一杯生きた人生でした。


精霊様、せめてなるべく痛くないように安らかに逝かせてください!




リリアは思わず目を閉じて精霊に祈った。


自分に加護がない事は分かり切っているが、それでも死の直前に奇跡が起きないかと願ってしまう。




「精霊様!お願いです!最後の最後にどうか奇跡とお慈悲を!」




リリアがそう叫んだ瞬間。






ゴオッ








突如暴風が小屋を襲った。






「ふむ、まあ奇跡くらいなら構わんがな」




そして、その場に不釣り合いな程、凛とした声がリリアの隣から響く。


静かな声だがどこまでも透き通るような。


聴いた耳から全身がゾクゾクとうち震えるような、あるいは爽やかな風のような声だった。




「えっ……?」




思わずリリアが目を開けると目の前で今にも斧を振り上げていた大男が倒れていた。


いや、よく見ると三人とも倒れている。




「怪我はないか、乙女」




またさっきの声だ。声はリリアの右隣から聞こえる。


一体誰なんだろう、別の山賊だろうかと、現実逃避にのろのろ顔を声の方に向けようとする。


しかしあまりに色々起こりすぎてリリアの身体は言う事をきかなかった。


ぐらりと視界がまわって足の感覚がなくなる。




「乙女!」




腕と背にしっかりした感覚があった。


頭に衝撃も来ないので支えてくれたのだろうかとリリアが考えていると。






「んんっ…!?」




唇に何かが当たる。


逃れようと顔を背けると追いかけるようにまた唇に何かが当たり、口の中に何かが入ってきた。




雪解けの清水のような、熟れた果実のような、不思議な感覚が広がる。




気持ちいい。




正体不明の何かに口内を荒らされているのだが、その清らかさにリリアは思わずうっとりと身をゆだねる。


まるで触れた所から全身が浄化されているような感覚だ。


ふんわりと森の新芽の香りがする。


そして徐々に身体の内側から熱が生まれる。


強張っていた身体が解され、じんわりと温められているような感覚だ。




熱で癒され、清浄な空気で深呼吸したような心地に、リリアの感覚や思考もすっきりしてきた。




しかしその天国のような口づけは始まった時と同じように唐突に終わる。




「こんなものか。大丈夫か、乙女」




「は、はい……?」




呼びかけられてゆっくりと目を開ける。


クリアになったリリアの視界めいっぱいに人知を超えた美貌があった。




光を受けて輝く白銀の髪。様々な色が溶けた神秘的な紫の瞳。


間近に現れた神々しいまでの容貌に、リリアは本日二度目の絶句をすることになった。


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