第92話 幕間:キラキラ王子の腹の中―⑨


 昼の海はあたたかく穏やかに、どんな俺も受け入れてくれる気がするのに、なんで夜の海は冷たくどこまでも深いところに引きずり込まれていく気がするのだろう。


 気の向くままに歩いて辿り着いた浜辺で一人。宿屋街から外れたこの場所は街灯も少ないが、満月の今夜はいつもよりも明るくて、困ることは何もない。むしろ、もう少し暗い方が気分に合っているのに……と頭上のお月様を少し恨めしく思った。


(結局、バラバラにしちまったな――)


 不信感を与えたくなかったのに、結果としてミコトは傷つき、ニッキーからは疑われるこの始末。


(もし、伝えていたら何か変わったのだろうか――)


 押し寄せる波を見ながら、選ばなかった可能性について考える。どんな方向性で考えても悪い結果しか思い浮かばない。これだと上手くいったかも、と想定しても波が引いて目の前に広大な闇に消えていく様子を見ていたら……その光も泡のように消えて無くなっていく。


(あぁくっそ!! 引きずり込まれるな……)


 これ以上海を見たくなくて、勢い任せに砂浜へ寝転んだ。


 ――プヨンッ


「……ってうおぉっ!!」


 背中に想定していたはずの固い衝撃は訪れず、何か柔らかいものに吸収された。


「なんだ、ハルちゃんか……」


 俺を心配してきてくれたのか、音もたてずに忍び寄っていたハルちゃんが俺の身体を受け止めてくれていた。


(砂の感触よりこっちの方が断然いいね……)


 そのまま身を任せて、夜空を見上げる。昼間は太陽うるさいと思っていたけど、月も中々にうるさいことに気づいた。その優しい銀色の光はまぶしくて、やたらと胸に染み入ってくる。


「なぁ……ハルちゃん……俺はみんなに伝えるべきだったのかな……」


 ハルちゃんは答えない。ただプヨプヨと俺を包み込んでいくだけだ。返事が返ってこないけど、その沈黙は荒れ狂った波を穏やかにする力を持っている。


「誰に? どこまで言っていいと思う? 」


 目に染みる輝きを放つ月を直視出来なくて、ハルちゃんに身体を預けて目を閉じた。


「信じる……か…………」


 単純なその言葉が、こんなに難しいことだと思わなかった。闇魔法の影響や威力がどこまでなのか――情報があれば出来るのだろうか。


「これはいつまで続くんだろうな……」


 どこまでいけば、全てを打ち明けられる日が来るのだろう。


 ザーッと押し寄せる波、リズムよく訪れるかと思いきや、不意に感覚が間延びすることもある不正確なBGM。生ぬるい風が草木を揺らす音と合わさって奏でる、夏の音楽に耳を傾ける。この胸の中の重たい荷物を忘れて、そのまま眠ってしまいたい――


 ――ザッザッザッザッ。


 そんな俺の気持ちと裏腹に……始めはかすかに、次第にどんどん大きくなっていく異なるテンポにそっと目を開けた。


「んっ……」


 仏頂面のニッキーが、手に持っていた1つの袋を黙って差し出す。


「……なんだよ。」


「んっ!! 」


 無言で俺に押し付けられた袋は、何やらあたたかくて――とてもいいにおいがする。


「若、いつも言ってんじゃん。腹が減ってるとろくなことが起きねぇって。」


 俺から顔を背けながら、ぶっきらぼうに言い放ち、ニッキーはその場に座り込む。


(そう言えば……今日は朝以来、ご飯を食べていないな……)


 すっかり忘れていた。空腹に気づいた腹の虫が途端に騒ぎ出す。ハルちゃんから降りて、その隣へ座る。友達の上でご飯なんて……食べれないしね。


 袋の中を覗くと、白い円形のパンに挟まれた大量の薄切り肉。染み出した肉汁が、ふわふわの白いパンを少しだけ茶色く染めている。2つ入っていたので1つはニッキーに渡す。


 手に持ったそれは、大量に肉を挟んでいるせいか、柔らかいのにずっしりと重たい。大口を開けてかぶりついた。


「うまい……」


 噛めば噛むほどに、硬めに燻製された肉から旨味が溢れてくる。歯ごたえ抜群の硬さだけど、薄く切られているからか食べやすく、フカフカのパンに合うちょうどいい塩気だ。ピクルスや玉ねぎのピリッとしたアクセントも、そのハーモニーを邪魔せずに、美味しさを倍増している。


 お互い無言で、あっという間に平らげた。久しぶりにあたたかいものを入れたお腹は、活発に動き出して――食べきったのに物足りなさを覚える。


「……足りない。」


「そういうと思ってさ。」


 ニッキーが別の袋を開ける。中から取り出したのは片手じゃ抱えきれないくらい大きな銀紙の包み。その包みを開くと、茶色く照り輝いた骨付き肉が顔を出す。


 また無言でかぶりついた。


 さっきの燻製肉とは違って、こっちは甘辛いタレで、舌の上で蕩けるほど柔らかく煮込まれている。骨の周りの肉もかぶりつくだけで簡単にはがれ、タレと合わさった極上に甘い肉の油を味わう。骨周りの軟骨さえ、余すところなく食べきった。


「さすがにお腹いっぱいだな……」


「んだな……」


 満たされたお腹は、夜風で冷えた身体だけでなく心まであたたかくなる気がした。


 とどめとばかりに手渡された金香酒の炭酸割りを、瓶から直接喉に流し込み、その芳香と舌に残るわずかな苦みを堪能する。


「さっきの肉と楽しみたかったな。」


「悪いな……忘れてたんだよ。」


 罰が悪そうに、頬を掻きながらニッキーが答えた。


 2人で夜の海を見つめる。さっきみたいに沈黙は続いているけど、苦痛じゃない。


「俺の言いたかったこと、先にミコトに言われちまったな……」


 あぁあ~と言いながら、ニッキーが寝ころぶ。俺もそれに続いて横たわった。さっきと違って、少し冷えたサラサラの砂を背中に感じる。


「んで、何を隠していたんだ? 」


 夜空を見上げたままのニッキーに聞かれる。


「言えない。言っていいか……わからないんだ。」


 月を見上げたまま、自分の口からすんなり出てきた気持ちに驚く。そうか――俺は言葉にすることで、現実になりそうな気がして怖いんだ。ミコトと、アルと、ユキちゃんと、ニッキーと――この関係性を崩したくない。


 疑っていることを知られたくない。お互いの心に――闇の花を咲かせる種を蒔きたくないんだ。


 そのことにやっと気づいた。


 ミコトも守れなかった俺に、そんなこと出来るのだろうか。


「そうか……」


 お互いに、お互いの方は向かない。ただ同じように夜空と、輝く月を眺める。


 もうこれ以上、ニッキーが聞いてくることはない。その距離感をいいことに、結論の出ないこの迷いにそっと蓋をした。


 夏の音を、先ほどより柔らかく感じる月を、背中の砂の感触を、2人で味わいながら、ただゆっくりと時が過ぎていく。


「なぁニッキーが……俺に尋ねるのっていつ以来だ? 」


 思い返せば、小さい頃は“ねぇ、なんで?”、“どうして?”とたくさん質問してくるかわいい子だったのに。大人になったら、わからないことも増えてしまった。


「さぁな……」


 照れくさいのか、後悔しているのか……小さい声で返事が来る。自分に都合が悪くなると、声が小さくなるのは、幼いときと何も変わらない。


 懐かしいニッキーがそこにいる。


「フフッ……」


 図体ばかり大きくなっても変わらない。かわいらしい俺の影の様子に、思わず笑いが零れた。


「何笑ってんだよ! 」


 上体を起こして不貞腐れたニッキーが俺の方を覗き込む。


「ごめんごめん……」


 謝るけど笑いは止まらない。


「つーか、そんな久しぶりの質問なのに……答えてくれないのかよ! 」


「いやぁ……ごめん。」


 クッソ――と悪態をつきながらニッキーが立ち上がり、笑い転げる俺に手を差し伸べた。その手を取って、俺も立ち上がる。


「いつか――ちゃんと教えろよ。」


「あぁ――もちろん。」


 帰ろうか、ハルちゃん――プヨプヨついてくるハルちゃんと一緒に帰路に就く。



 ――俺は、信じてるぜ


 少し前を歩くニッキーからそんな言葉が聞こえた気がしたけど、足取りを緩めないからその真偽を確かめることは出来なかった。


 視線を落とした先の足元に、影を作る光。その光をたどると先ほどと変わらず照らし続ける大きな丸い月。


(俺と同じ銀色のくせして――輝きすぎだこの野郎!! )


 目を背けずに悪態つけるくらいには元気になった。美味しいものは偉大だと、改めて思いながら宿までの道を2人と、1匹で歩いた。




 ♢♢♢



「……ただいま。」


「ジーク……!! 」


 戻ってきた俺たちの様子を見て、ホッとした様子のユキちゃんとアル。ユキちゃんは明らかに安堵した表情を浮かべ、アルは少し眉を下ろしただけだが――かわいくない男だ。


「心配かけてごめんね~ユキちゃん。」


 そのフワフワの髪の毛を撫でまわす。


「やめろ! 少し気になっただけで……心配とかそんなんじゃないから! 」


 うっとおしそうに俺の手を掴んで抵抗してくるユキちゃんを抑え込みながらアルの方に顔を向ける。


「アルはもう少し……気にしてくれたっていいと思うけど? 」


 ソファに座り込んで腕を組み、難しい顔をしている過保護ライオン。その興味が今どこに向いているのか……丸わかりだ。


「喧嘩でも仲直りでも何でもしろ――俺は今、お前らに構ってる余裕はないんだ。ミコトで手一杯だ!! 」


 俺らには聞こえない、ミコトのすすり泣き声に耳を傾けては、頭を抱えて「まだ泣いている……」と独り言のように呟いた赤獅子の姿を見ていると、こっちの気が抜けてしまう。


 でも困ったな――


「ミコトに謝りたいんだけど……」


「落ち着くまではそっとしておいた方がよさそうだ……俺がついているからお前らはもう寝ろ。今日は大変だっただろう。」


 それをいうなら決勝戦で大活躍して、ミコトも救出したアルの方が……って思ったけど、ガーゴイルのようにミコトのいる部屋を守るアルの迫力に何も言えなくて、今夜はその言葉に甘えることにした。



 ♢♢♢



 ミコトと碌に会話できないまま、海絆祭ラウトアンカー当日の朝を迎えた。


 ミコトはご飯は食べに出てくるけど、それ以外は部屋のベッドで丸まっていて、話しかけに行けば返事はするけど会話が続かない。俺にだけじゃなくて、アルにも他の人にも同じ態度で……正直お手上げだ。


 アルが言うにはあまり眠れていないらしいし、そのせいもあるのだろうか。


 本調子じゃないミコトを休ませてあげたい気持ちと、ミコトがいないと至宝を探せない情けない俺たちへの気持ち、そしてこの状況を作ってしまった俺自身のふがいなさで――夜が開ける前に目が覚めてしまった。


 まだ寝ているニッキーとユキちゃんを起こさないようにそっと部屋を抜け出しキッチンに行って紅茶を入れる。


 夏の朝からそれを飲むのかよ――とニッキーはいつも嫌そうな顔をするが、俺はやっぱりこれがないことには一日が始まった気がしない。


 湯気のたつカップを手に、窓辺で味わう。少しずつ青さを取り戻していく海。今日俺らは、どんな海の顔を知ることになるのだろう。海底都市の化け物――闘技大会で優勝した逞しく自信満々な男がそのことについて尋ねた瞬間、顔を青くし、震える声で絞り出したキーワード。他の戦士や巫女たちは、その単語すら漏らすことなく口を閉ざしていたので……彼は勇気があるのか口が軽いのか。それか誰かに話すことで楽になりたかったのか――


 万全とは言い難いこの状態で、無事に至宝を探し出せるのだろうか。


 次から次に不安が押し寄せる。


(やめよう――ご飯だご飯。)


 考えだしたらキリがない。モヤモヤする思考回路を振り切るかのように、足早にキッチンへ向かう。チラリと振り返ると、朝日に照らされて、キラキラと、今までで一番輝いている海。俺らのことを歓迎しているのか、はたまたからかっているのか、無邪気に笑っているような錯覚を覚えた。


 その感覚を不思議に思いながら、キッチンに立つ。いつもより時間があるから――豪勢な朝食でも作ろうか。全てが解決したら、宴でもしよう。ミコトも、ニッキーも、アルも、ユキちゃんも、騎士団もみんなで笑顔で――


 ミコトはまた笑ってくれるだろうか――


 ――ガチャッ


 部屋のドアが開いた。ミコトが顔を出す。久しぶりにミコトと目が合った。その黒い瞳が俺を射抜く。


「ミコト――――っ」


(体調は? 朝早いけどちゃんと寝たのか? お腹はすいたか? 今朝ご飯作っているけど何が食べたい――)


 いろいろ聞きたいこと、かけたい言葉がたくさんで迷っているうちにミコトが近づいてきた。そしてそのまま……


 ――――パンッ!


「うぐぅっ――!? 」


 的確に鳩尾狙って、鋭いパンチを極められた。衝撃に思わず膝をつく。


「1つ貸しだからな――腹黒ドS鬼畜王子!! 」


 その言葉に驚いて顔を上げると、しょうがないなぁという顔で、前みたいに笑っているミコトの笑顔があった。


 その笑顔に、言葉に、今までの俺が救われたみたいで――心臓がキューッと苦しくなる。誰が何と言おうと、やっぱりミコトが聖女だよ。そのことに、しょうもない俺は、今気づいた。


「俺の持てるすべての力で――君の望みは叶えるよ。」


 聖女様の望みなら、この国の代表として俺が何でも叶えてやるよ。ちょっと滅亡の危機で傾いてはいるけれど、王家の権力を存分に行使して、来たるべき時に俺はミコトの力となろう。


 俺の気障なセリフに笑うミコトを見ていると、こっちまで楽しくなってくる。俺らの笑い声につられて、他のみんなも起きてきた。


 ――まだ朝ご飯の準備出来ていないのになぁ。


 まぁいいか。ダンジョンの時みたいにみんなで準備すればあっという間に終わるはずだ。

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