亡失特異点 ~Lost Singularity~
不死鳥ふっちょ
序章
先程まで食卓に並んでいた鹿肉は非常に美味であった。果物の入ったパンはいささか飽きが来ていたものの、今夜は新しく雇った料理人が鶏の炙り焼きに挑戦したようだった。好みの味付けに仕上がっていたことから、少年はあとで料理人を褒めてやろうと考えていた。
扉が開き、マグデブルクの城の晩餐に招いた客人の最後の一人が部屋に入ってきた。それで客人が全員集まったことを確かめると、少年は椅子から立ち上がった。
「さてそれでは、改めて……今宵は快く集まってくれたこと、感謝しよう」
年齢に似つかわしくない言葉遣いで、少年は居並ぶ者たちを睥睨する。ある者は座し、ある者は壁にもたれ、そして酒杯を傾けつつも少年に視線を向けている。
少年の名はオットーといった。
齢は十四。ギリシア帝国(注1)の帝位に就いているものの、実際の執政は祖母アーデルハイトが大司教とともに行っていた。しかし今、少年は自ら親政を行う決意を固めていた。
「父王に続き、私もまた皇帝としての務めを果たそうと思う……しかしそれに先んじて、君たちに伝えたいことがある」
オットーは傍らの小卓に置かれた小箱を手にとった。それを両手で包み込むように持ったまま、言葉を続ける。
「私は神に導かれる帝国を創り上げたく思う。神により愛され、神の寵愛を受ける帝国……私は目指しているのは、
居並ぶ者は異を唱えようとはせず、ただ黙って幼き皇帝の話の続きを待っていた。
自らの言葉が十分に届いたことを確かめるように間をとり、頷くと、オットーは愛おしげに小箱を撫でた。
「それには十分な準備が必要となる。君たちには私とともに、千年紀を迎える帝国を祝ってもらいたい」
今度は無言の動揺が部屋の空気を揺らした。
箴言するか、それともさらなる言葉を待つか。
とある男が選んだのは前者であった。
「ご忠告申し上げます。今年は西暦にして697年……陛下のおっしゃる千年紀まで、あと数百年はありましょうぞ」
「それが、間もなく千年紀を迎えるとしたら、どうだ?」
意味がわからない。皇帝といえど数を数えられるくらいはできよう。しかしどういうことなのだ。何を言っているのか。
「私は祖父王生誕の年を912年とする。祖父王、そして父王と続く世界に刻まれた時の刻印を、私が改めるのだ……それにより、残り数年で我が帝国は千年紀を迎える」
為政者でなくても、考えたことくらいはあろう。
現実がもし違っていたとしたら。しかしそれが夢物語でしかないことは、物心のついた子供でも理解できる。世界を変えることなどできない。過去をやり直すことなど、書き換えることなどできはしない。
「私にはそれができるのだ……我が母テオファーヌより譲り受けた、これがあれば」
オットーは小箱を掌に乗せ、そして留め金を外した。
箱は小さな軋み音を立てて開く。オットーは指を中に入れ、そっと摘まみ上げた。
現れたのは、褐色の布切れであった。相当に古いものらしく、ほころび、今にも朽ちてしまいそうな品だ。
「陛下、それは」
「|Senatus Populusque Romanus《セナ―トゥス・ポプルスクエ・ロマヌス》(注2)の初代王、ロームルスの産着の切れ端だ。これを持つ者こそが、古き帝国を蘇らせることができると私は信じている」
オットーは再びそれを小箱に戻した。
「期待しているぞ、ジェルベール」
オットーは最後に部屋に入ってきた男に向き直り、微笑んだ。
紫の法布を肩からかけ、ゆったりした服を纏った男―ランスの大司教、ジェルベールと呼ばれた年配の男は、両手の指を組んだまま頷いた。
(注1)後世において東ローマ帝国と呼ばれた国が当時、西欧において呼ばれていた名称。文化的側面においてギリシア化が加速していったことからこのような名がつけられた。
(注2)後世において古代ローマ帝国と呼ばれた国が当時、正式な名称とされていた名。ラテン語で「元老院ならびにローマ市民」という意味である。
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