第三章5 『銭湯に行こう』
もなかの準備も終わり、女三人がそろって店の奥から出てくる。
あしの目は特にトウフウに釘付けになった。
めんこい容姿に武士の衣装などどうなのかと思っとったが、まあやっぱり侍という感じはせん。ただ素材がいいから、洒落た雰囲気にはなっとる。
袖から覗く小さな手や、袴が花のようにひらひら揺れる様は、なかなか愛らしい。
髪を後ろで一つに結わいている様も、思わずほうとため息が出るぐらい素敵じゃった。
「その恰好、よう似合っとるな」
「えへへっ、ありがと」
『本当、よくお似合いです』
一緒に戻ってきた美甘の賛辞にさらに舞い上がるトウフウ。
「でっしょー。あたしってほら、元が可愛いから何を着ても似合っちゃうのよね」
『そうですね。髪も長くてきれいで、いじりがいがありますし』
「ふふん、もっと褒めていいわよ……ってあれ、もなか何持ってるの?」
「風車だよ。ねえねえ、トウフウちゃんも回してみてよ」
「ふふっ、女神の吐息を見せる時が来たってわけね」
さらっと髪を掻き上げたトウフウは、もなかから受け取った風車を顔の前にやり。
思いっきり息を吸い込み、頬を膨らませ。
「――っぶふぅうううううッ!」
口をタコみたいにして羽に息をぶっかけた。唾が飛ぶんじゃないかってぐらいの勢いで顔なんか真っ赤にしちょる。
そんだけ必死こいてやってるのに、風車はほとんど回っていない。おそらく息を吹きかける場所が悪いのだろう。
『……トウフウさま。もっと力を抜いて狙いを定めた方がいいですよ』
「はぁ、はぁ、わかったわ……。すぅううっ、ふぅうううううッ!」
まだ多少力んでいる感はあったが、美甘の助言のおかげで風車は緩やかな速度で回り始めた。もなかどころかあしの速度にも満たないが、見てないトウフウは人類初の偉業を成し遂げたかのようにしたり顔になっていた。
「はぁ、はぁ。ど、どう? しっかり回転、はぁ、はぁ、したわよ」
『はい、お見事です。さながら牧歌的な大地に建っている風車が陽気の香りが漂う春風を受け、流れる雲を追いかけるようにくる、くると羽を回している情景が目に浮かぶようでした』
「ん? まあ、そうね。よくわからなかったけど、そういうことよ」
知らぬが仏を絵に描いたような顔で笑うトウフウ。美甘の素知らぬ顔のお辞儀。
知ったが病という語句がまっことならば、あしは黙っているべきなのじゃろう。
じゃけんどあしがもっとも好かん言葉は、井の中の蛙大海を知らずである。
「のう、もなか。もう一度風車を回してみてくれんか」
「いいよー」
「ふふん、これ簡単そうに見えて、すごく難しいんだから。素人のもなかにちゃんと回せるかしら?」
「うん、頑張る」
トウフウから手渡された風車をもなかはさっきとぶっちゅうように自然体で息を吹きかけた。今度は洪水が起きて川が荒れ狂った時の水車のように、尋常じゃない速さで羽が回りだしおった。
息が途切れてなお、羽は目まぐるしく自転を続けとる。
その様をトウフウはあっぽろけた顔で眺めとった。
永遠とも思える間回り続けた羽が止まり、さらに時間の経った後、トウフウは思い出したように口を動かした。
「……なっ、なっ、なんなのよ今の?」
「いつもより余計に回しておりますー、だよ」
「そういう次元の話じゃなかったでしょ!? ど、どんな小細工使って見せたのよ!?」
『……隙間風でも入ってきたんでしょうか』
心配そうに店内を見回す美甘。
あしはさっきもぶっちゅう光景を見とったがやき、その心配が杞憂やっちゅうことはもう知っとった。
トウフウと美甘が風車を不思議がり、その二人の様子にもなかが首を傾げている。
その三人にあしは言った。
「のう、銭湯行くなら早(はよ)うしよう。もたもたしちょったら、戦闘試験に遅刻して失格とか笑えんオチになってまう」
「銭湯に戦闘。むう、座布団二枚ぐらい継愛の膝下から引っこ抜きたいわね」
「ふざけとるわけじゃのうてな」
「冗談よ。さ、行きましょ。ふふ、お風呂、継愛とお風呂♪」
「……男湯と女湯で分かれとるじゃろ、多分」
●
銭湯の二階の客間であしはくつろいどった。
広い畳敷きの部屋。ちゃぶ台が点々と置いてある。
窓の外からは街の営みから生まれた音が膜を通したように薄っすら聞こえ、階下からはがたごと、ちゃぷんちゃぷんと風呂場の響き、誰かの話声などが頻繁にした。
和装本にゃ、うろ覚えの松尾芭蕉の句があしの筆跡で並んどった。
振るい毛や 蛙飛び込む 水の音
夏草や 兵どもが 湯気の跡
雲斬りの 暫時百景を 突くし蹴り
なんかどうも違う気がするが、湯上りでぼうとした頭は霞がかっとる。ただこれはこれでありな気もするし、書事態はいい感じに力が抜けて、しなやかさがあっていい。
まあ、草葉の陰から恨み節が聞こえてきたら頭を下げればいいじゃろう。
和装本を閉じ一息ついて湯のみに口をつけた時、複数人が階段を上るとんととんとととと強弱入り混じった不規則的な節奏が聞こえた。
やがてそれは妙に反響する音から平ったいもんに変わり、障子が少し乱暴に開かれた。
「お待たせ継愛! 待った?」
「……今来たところじゃとでも言えばええんか?」
『すみません、つい長湯をしてしまいまして』
「書をしとったきに、別に退屈はしとらん。待たせたとか、気にせんでええ」
「そ、そんな……。あたしがいなかったのに、寂しくないなんて……」
「……別れて日もまたいどらんじゃろうが」
『トウフウさま。面倒な女というのは一定の需要はありますが、度が過ぎればただウザいだけかと』
「へー、そうなの。じゃあここは……剥いで攻めるのが正解ね!」
「服に手をかけるのやめい。ここは公共の場じゃぞ」
『お色気も度が過ぎればただの変人ですよ』
「えーっ、じゃあどうすればいいのよ」
『そうですね……』
考え込み始めた美甘の横から、てってってともなかがやってきた。
「ねえねえ、トウフウちゃん、ズルいと思う」
「こすいって、なして?」
「だって、お兄ちゃんに背中に文字書いてもらってるもん」
頬を膨らませたもなかに睨まれて、トウフウは腕を組み鼻高々に胸を反らす。
「いいでしょー」
「別に体に文字を刻んどっても、ええことないと思うがのう」
『もなかみたいな小さな女の子が入れ墨してたら、変な子って思われるわよ』
「……え、あたし、そんな目で見られてたの?」
軽い衝撃を受けているトウフウに慌てて美甘は言う。
『い、いえいえ、そんなことないですよ。継愛さまの字はとても素敵ですし、きっとみなさま羨望の眼差しをトウフウさまに向けていたことと思います』
「そっかぁ、よかったー」
「やっぱりずるいー、もなかもお兄ちゃんに体に字を書いてもらうの~」
『え、ええと……』
図らずも自爆してしまった美甘は挽回の言葉を探そうと視線を彷徨わせる。けんど結局その努力は実らなかったようで、助け船を求めるような視線をあしに向けてきた。
「のう、紙にじゃったら好きなだけ字を書いたるから、そいで我慢できんか?」
「やだやだやだー。体に字がいいの、体に字ー!」
駄々っ子のように喚きだすもなか。
お手上げの意であしは両手を上げた。
「どうしたもんか……」
「ケチケチしないで、書いてあげればいいじゃない。ただ墨で書くだけなら、洗って落ちないってこともないんでしょ?」
『落ちないことはないですが、かなり労力を要しますね』
「結構落ちにくいんちや。冬場に手についた墨を落とすのは、なかなか地獄じゃぞ。寒気で冷えた水との格闘だからのう」
「でも、銭湯ならお湯があるでしょ」
『一日に二回も三回も入ってたら、さすがに経済的にかなり辛いです。それともトウフウさまが払ってくださいますか?』
「え、えーっと……。だったらあたしの時みたいに普段見えない場所に書いて、次銭湯に来た時に落とせばいいんじゃない?」
「……まずまずの案じゃな。どうじゃ、美甘?」
美甘は軽く肩を竦めて、もなかを見やって言(ゆ)うた。
『仕方ないですね。今回だけよ、もなか』
「わーい、ありがとうお姉ちゃん!」
「ほんで、どこに書けばええんじゃ?」
「やっぱり、見えないところといったら背中かしら?」
『もなかが痴女になるのは、ちょっと……』
「えっ、あたし痴女だったの!?」
『すみません、また話がこじれるのはイヤなので、今回はそういうことにさせてください』
「ガガーン……ッ! あ、あたしだってあんま酷いこと言われたりされたら、傷つくんだからね!!」
怒るトウフウとあしらう美甘を他所(よそ)に、あしはもなかの傍に寄った。
「ほんじゃ書くが、場所は……着物で隠れる、右の腕がええか」
「どこでもいいよ」
了解をもらい、あしは彼女の着物の裾をたすき上げした。文字を書くのは、上腕の肩に近いところじゃ。
筆と硯を持ってきて、毛先に墨をつける。
「なんちゅう字がええ?」
「トウフウちゃんと同じの!」
「魂か。わかったよ、飛び切りええのを書いちゃるきな」
「うん!」
もなかは嬉しそうに腕をこちらに見せつけてくる。これだけ楽しそうにされると腕が鳴るっちゅうもんじゃ。
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