第三章3 『茶之間仁庵』
あしとトウフウは若葉色の暖簾(のれん)をくぐって店ん中に入った。
店内は木材の温かな茶と春の青い葉を思わせる常盤色の二色が主に使われており、洋風の“てーぶる”と“そふぁ”が並んでいてもどことなく和の雰囲気を感じられた。
机を拭いていた美甘は杏(あんず)色の着物を着て、もなかとぶっちゅう“えぷろん”をつけとった。
彼女はあし達に気付き、ぺこりと頭を下げて出迎えてくれた。
『いらっしゃいまし』
「店でも絵魔保を使(つこ)うてるんじゃな」
『はい。これはわたくしの口同然です』
「……くんくん、くんくん」
「どうしたが、鼻をひくひくさせて」
「匂う」
「ほう。字の匂いか」
「違うわよ、これは甘いお菓子の匂いね!」
『ええ、まあ。ここは一応、甘味が主力商品ですので』
「どら焼き、羊羹、あんみつ……、あとお汁粉に甘酒、みたらし団子もあるわね」
「すっ、すごいトウフウちゃん! 匂いだけでそこまで当てるなんて……」
「……おまん、もしかして犬並みの嗅覚を持っとるんか?」
「まあ、鼻が利くってのはあるかもだけど……」
そこで言葉を切ったトウフウはもなかの顔に近づき鼻を鳴らして。
「今日の茶之間仁家の朝餉は卵雑炊にたくあん、さつまあげに山菜の煮物。あと、温かいほうじ茶を飲んでるわね」
「えっ、な、なんでわかったの!?」
「口の中から漂ってきたのよ、匂いが。もなか、朝歯を磨かなかったでしょ」
『……もなかったら。虫歯になったらどうするの』
「だ、だってぇ、面倒くさいんだもん」
『罰として、おやつ抜きね』
「ええっ、やだぁ! 今すぐ磨いてくるからぁ」
もなかは駆け足で店の裏に引っ込んでいった。
「なんちゅうか、子供じゃのう」
『ええ。まあ、お店を手伝ってくれたり、年不相応にしっかりしている部分もあるんですけどね』
「ねえ、そんなことよりせっかく喫茶店に来たんだから、早くお菓子食べましょうよ」
「……おまんも大概じゃな」
『いえ、せっかく来ていただいたんですから。あ、その前にお店の暖簾を下ろして戸を閉めてきますね』
「暖簾を下ろす?」
『はい。この辺では、営業時間は店先に暖簾や鈴などを出して、閉店時にはそれをしまうことで、その店が開いているかどうかお客さまに知らせしているんです』
「なして店を閉めるんじゃ?」
『今日は継愛さまの戦闘試験が行われるんですよね。ですから、応援に伺おうかと』
店の奥から「もなかも行くー!」と声が飛んできた。
「それは嬉しいし心強いが、まだ試験までかなり時間があるぜよ」
『ええと、話が前後してしまいました。今日お二人をお呼びしたのは……』
「じゃっじゃーんだよ!」
いきなり飛び出してきたもなかが、手に持っていたものを見せつけてきた。
木の盆に乗っている器、そこには餡子に色とりどりの果物に寒天と、ごっつう美味しそうなあんみつが盛られとった。
「わっ、すっごい美味しそうじゃない! えっ、なになに、これ食べていいの!?」
『はい。お二人が試験の緊張をほぐせるよう、ささやかながら当店自慢の甘味をいくつかご用意させていただきました。よろしければ、召し上がっていただけたらと』
「よろしいも何も、食べるに決まってるじゃない! 据え膳食わぬはなんとやら、よ!」
「……ちなみに、お代はいくらぐらいになりそうじゃ?」
頭の中に巾着の中身を思い浮かべて冷や汗を流していると、美甘は首を横に振り。
「お代は結構です」
「そ、そういうわけにはいかんぜよ」
『わたくしが継愛さまに食べていただきたくて、していることですので。それでも気がお咎めになるというのなら、これはもなかに字を教えていただいたお礼ということにしてください』
「いやでも、まだ釣り合わんじゃろ」
『そんなことはございません。継愛さまと出会ったことで、あの子は自分の名前を書けるようになったんですから』
「お姉ちゃーん、もうどら焼きは持って行っていい?」
『ええ。どら焼きは早く出しても大丈夫でしょうし。でも気を付けて持ってきてね』
「はーい」
元気のいい返事してすぐ、店の奥からもなかが出てきた。
「お待ちどおだよ! はい、茶之間仁庵のどら焼き!」
「ねえ、その茶之間仁庵っていうのが、このお店の名前なの?」
「うん、そうだよ。いい名前でしょ?」
『少々軽っぽい響きで……お恥ずかしいです』
「いいや、あしは結構気に入ったぞ。茶之間仁庵、なかなか語呂がいいのう」
「茶之間仁庵。まあ、悪くはないわね」
「でしょでしょ、茶之間仁庵って口にすると楽しくなるよね」
『……そうでしょうか。いまいち自信が持てないです』
「まあ、看板を背負ってると客観的には見れなくなってしまうかもしれんのう」
「あむっ……うん、美味しいわね!」
手始めにとどらやきを口にするなり、トウフウは歓喜の声を上げた。
「これ、いただきますぐらい言い」
「ふぁいふぁい。いただきまふ」
「ほんで今度は口にものを入れながら話すと……。ある意味死角がないのう、おまんは」
『これをぜひ戦闘試験で発揮してほしいですね』
「そういえば戦闘試験っちゅうのは、一般にも公開されるんじゃな」
『はい。前日までに入場券を買わなければいけませんけどね』
「もぐもぐ……ごくん。ってことは今日は、スサノオの時みたいに大観衆の前で青龍と戦うってわけね」
「ううっ、胃が……」
ずきずき痛むそれを腹の上から押さえる。
「継愛って、意外と重圧に弱いわよね」
軽く肩を竦めて笑うトウフウをあしはちっくと恨みを込めて睨む。
「……おまんは平気そうじゃのう」
「当然よ。ベ、べ、別に緊張なんて、す、するわけないじゃない」
……よう見たら脚がガタガタ震えとった。
『別に今はまだ、強がらなくてもいいんですよ?』
「はあ? つ、強がってなんてないし!?」
手にさえ震えが広がっていく。こんなにも緊張しとるのを見ると、逆にこっちは冷静になってくる。
「落ち着き。まあ確かに亮大は殺す気まんまんで来るかもしれんけど、本当に危なくなったら他の係官が止めに来るじゃろう。……多分」
「多分って何よ、多分って何よぉ!?」
『相当混乱してますね……。本当に大丈夫なんですか?』
「……もし本当にダメそうじゃったら、係官に別の神さんを頼むしか……」
「はっ、はあ、何言ってんの!? 継愛の隣にあたし以外の神がいるとかダメッ、絶対に許さないんだからねッ!!」
『ご本人の士気は絶好調ですね』
「大丈夫、お兄ちゃんとトウフウちゃんならきっと勝てるよ!」
根拠のないもなかの励ましに、あしの肩の力はふっと抜けた。
『やる気十分なのは結構ですが、それでも備えあれば患いなしです。対策は何か考えられているんですか?』
「……対策」
あしがぽかんとしとるとトウフウは鼻を鳴らし。
「そんなの当たり前じゃない。昨日のスサノオに託した策はダメだったけど、継愛なら別の作戦の一つや二つ、もう考えてるわよ。ねっ?」
期待に輝く眼差しを向けられ、あしはとっさにうなずいてしもうた。
「もっ、もちろんじゃ。新しい作戦はしっかと考えておいたぞ」
「ほらっ! だから何も心配いらないわ」
つうとひやい汗が背を伝う。まさか今更、一晩中書に没頭して現実逃避しちょったき、実はなんも考えちょらんかったなんて言えん……。
『さすがですね。それで、どのような作戦なんですか?』
「まっ、まずはじゃな」
頭を車輪のごとく回転させて、どうにか案を捻りだす。
「実はひとつ試してみたいことがあったんじゃ」
「えっ、なになに? あたしとやりたいこと? したいこと?」
「……訊き方がどうにも腑に堕ちんが、まあええ。ほら、秋山とかいうヤツがおったじゃろう」
「ん? ああ、あのコソ泥の親玉っぽいヤツ?」
「そうじゃ。あいたぁ確か、自分の好きな字体や単語を見ると力が格段に増強するとか言うてなかったか?」
「あー、確かそんなこと言ってたわね」
「じゃから、あしもトウフウが好きな言葉を書けが飛躍的にトウフウを増強させることができるじゃかと思ったんちや」
「へえ、いいわね。じゃあ、早速試してみましょう」
「そうじゃな、試合まで時間もないしのう」
あしは傍らに置いとった風呂敷から和装本と筆を取り出し、紙面にある単語をさらさらと書いてトウフウに見せた。
「どうぜよ!」
「……おでん?」
トウフウが字を詠みあげた途端、背中の後ろの、おそらく魂の字から赤い光がぼうと発せられ。
直後、いきなり彼女はお腹を押さえて呻きだした。
「うっ、う、ぐ……」
「とっ、トウフウちゃん?」
「具合悪いんか!?」
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