第三章2 『つたない手紙』

 あしの戦闘試験の開始時刻は暮れ六つとかなり遅い。

 そのため朝餉を食べた後もまだ時間はたっぷりとあった。


 さてどうするかと悩んだ時。

「ちょいと、手田さん」

 旅籠のおかみさんが声をかけてきた。年は五十ぐらいじゃろうか、髪には白髪が混じっている。


「なんじゃ?」

「手紙を二通預かってるんで、受け取ってくだせえ」

「おう、わざわざすまんのう」

「いえ、お仕事ですんで。はい、確かにお渡ししましたかんね」


 念押ししておかみさんは立ち去っていった。

 あしは受け取った封を確認した。

 確かに差し出し先には『手田』と『ただ』と書かれとる。あの人はどうやら字が読めるらしい。

 封には書字者の印が押してある。内外どちらの字も検閲済みっちゅうことじゃろう。

 『手田』の方は師匠から、『ただ』の方には差出人の名前がない。


 ……無性に後者が気になるが、とりあえず師匠からの手紙を先に読むかと、あしは部屋に戻った。

 部屋に着くと先に戻っとったトウフウが十二単姿でごろついとった。

 室内を埋め尽くしちょった書道紙は一枚も見当たらない。


「こういう場合はまず感謝すべきなのか、注意すべきなのか……悩ましいのう」

「あっ、継愛お帰り。きれいなお花はつめた?」

「そういうことは訊かんでええ」

「えー。好きな人のことはなんでも知りたいって思うのが、乙女心ってヤツなのに」

「もしも火之本の女子がトウフウみたいなヤツばかりじゃったら、大和撫子なんて言葉は死語になるじゃろうな……」


「次の時代に来るのはヤマトオウカか、はたまたヤマトアジサイか……」

「おまん、無視される理由を少しは考えたらどうじゃ?」

「ん? あれ、何持ってるの」

「……その意趣返しは予想しとらんかったぜよ」

 トウフウは「ふっふーん」としたり顔を浮かべた。

 それには反応せず、手の中のものをひらひらと振って言うた。


「こりゃ、手紙じゃ」

「へー。誰から、誰から?」

「一通は師匠、もう一通は名無しの権兵衛からじゃ」


「……ちっ、あたし以外にも敬愛を狙うヤツがいるってことね」

「そのお雛様姿で舌打ちするのはやめい」

「まあ、お内裏様がそう言うなら」

「あしはお内裏様やないぜよ」

「はいはい、照れ隠しねわかってますよー」

「……照れ隠しでもなくてじゃな」

「それよりほら、早く手紙見せなさいよ」


 なんで他人の手紙見る気まんまんなんじゃと思うたが、これ以上まともにやりあうのも疲れるので、諦めて従うことにした。ため息が一つ漏れたのは致し方ないじゃろう。


 師匠の手紙は万葉へ寄り道した叱責と、書字者試験に関しての激昂だった。

「この人の字、敬愛のと全然違うわね。なんかすっごいどっしりしてる」

「師匠は重厚感を大切にしとるからのう。書をしちょる時も近寄り難い空気をとかく放つもんじゃから、猫でさえ一目散に逃げだしとったな」

「うわぁ、会いたくない……」


「まあ、平時も雷親父って呼ばれてみんなからも煙たがられとったが、決して悪い人じゃないんじゃよ」

「……こうして弟子を心配して手紙を送ってくれてるわけだし、そうかもしれないけど。……で、もう一通は誰からなの?」


「ちっくと待ち。こっちは差出人もわからんし、見せてもええもんか先に確かめる」

「うわぁっ、やっぱり恋文なのね! この浮気者、ふたまま!」

「ふたままって……。って、なんじゃこりゃ?」


 封から出てきた紙には、ひょろひょろしたひらがなが無秩序に書かれとった。

 字に安定性がないだけじゃなく、軸がどれもぶれぶれで列を成してないため、下手な暗号より判読が難しそうじゃった。

「……読み終わる頃には全身骨折じゃな」

「えーっと。『もなか、ちゃのまにあんでまってる。ぜったいきてね。にまいめにちずかいてあるから もなかより』って書いてあるわよ」


 あしは思わず目ん玉ひん剥いてトウフウの方を見やった。

「おまっ、これ読めるんか?」

「え? あー、うん」

「ど、どうやって読んどるん?」

「なんかこう、感覚的に?」

「げに不思議な技能を持っとるのう……」


 あしはその紙を調べ、封の中を覗き込んだ。ちょうどそこに、取り出し損ねた二枚目の紙が入っとった。

 開いてみるとようわからん線が交差したもんがでてきた。


「……のう、トウフウ」

「ごめん。これはあたしもわかんないから」

 全て言い切る前に遮られて、頭を下げられてしまった。

「いや、謝る必要はないじゃろ。差出人と、目的地の名前がわかったのはトウフウの手柄なんじゃからな」

「ふふーん。お礼は今夜あたしと同衾するってことでいいわよ」


「……変わり身早いのう。っちゅうか、毎日三食食えとるんは誰のおかげだと思うとるんじゃ」

「ケチぃ。ぶーぶー」

「ほれ、行くぞ」

「行くって、ちゃのまにあんってところに?」

「せっかくもなかが手紙を書いて呼んでくれたんじゃ、時間もあるし行ってみんか?」

「それもそうね。スサノオのことも、一応伝えなきゃだし。でも場所はわかるの?」

「旅籠の人に訊けばわかるじゃろう。さ、支度せい」


「ふんふんふーん、敬愛と一緒にお出かけ~。あ、これってもしかして、“でぇと”ってヤツじゃない?」

「なんじゃそれは?」

「想い人同士が仲睦まじくなるように、二人でお出かけすることを言うんだって」

「……あしはそこまで体重は重くないから、“でぇと”ではないのう」

「ちょっ、わかっててとぼけてないッ!? ちょっ、待ちなさいよ、まだ荷物持ってないから~ッ!!」


 背中に情けない声を聞きつつ、あしは廊下に出た。

「あっ、継愛! 筆置いてってるよ!!」

「――なんたることじゃッ!」


 あしは駆け足で部屋に戻ったが、机上に筆はない。

 はてどこにと見回しだすと。

「うっそぉ。ちゃんと持ってってたわよ」

 と、トウフウはあしが背負っている風呂敷を指差した。


 ぷっつん、額の辺りから何かが切れた音が聞こえた。

 踵を返し、どっどっどっと音を立てて廊下を走る。

「ちょっ、まっ、速い速い! あたし十二単なんだから、もうちょっとゆっくりぃ……」

 トウフウの声が聞こえなくなるまで、あしはひたすら駆け続けた。


   ●


 大通りから脇道に入り、何度か角を曲がった場所。

 あしは目的の建物を見つけ、脚を止めた。


「ぜいっ、はぁっ、ぜいっ、はぁっ……」

 背後で深刻な息切れを起こした呼吸音がする。

「ふっ、ぜい、ふっ、ぜはぁ、ふっ……」

 顔を真っ赤にし、白い顔に透明な水玉が伝っとる。自慢しとっただけあって、髪だけはまったく乱れとらんかった。


「一旦、深呼吸でもせい」

「ぜぇ、ぜぇ……すぅううはぁああ、すぅううはぁああ」

 手を大きく広げ脱力を何度か繰り返すと、たちまち汗が引き呼吸が整っていった。


「ふぅ。もう、急に走り出さないでよね」

「……回復早いのう。ところで、どうしてあしの場所がわかったんじゃ?」

 胸を張ってトウフウは言い切る。

「そりゃ、愛の力に決まってるでしょ」

「ふぁああ……」

「ちょっ、なんで欠伸!?」

「すまんすまん、寝不足でつい、な」

「にしては狙いすましたような感じだったけど……」

 ジトっとした目線を払うようにあしは手を振る。


「気のせいじゃ。で、本当は?」

「字みたいに素直になればいいのに。まあそういうところも好きだけど」

「…………」

「むっ、無視は心にぐさってくるから、やめてっ……」

「じゃあ、はよ言い」


 ぶすっとして唇を尖らせながらもトウフウは言った。

「……継愛からは墨の匂いがするから、それを辿っていけばどこにいるか自ずとわかるってわけ」

「ほほう。そういえば、初めて会った時も墨の匂いがするとか言ってたのう」

 今でもありありと思い出せる。客車の窓に突如現れた少女の顔。あれは今思い出しても並みの怪談より恐怖ちや。


「え? そんなこと言ったかしら……」

「……ああ、あれは記憶を失う前のことじゃったか」

「ふーん、記憶喪失前のあたしが……」

 じっとトウフウが考え込み始めた時、がらっと店の戸が開いた。


「あっ、やっぱりお兄ちゃんとトウフウちゃん!」

「おう、もなか」

 桃色の着物に白い“えぷろん”と喫茶店員姿のもなかがおった。こんまい出で立ちにその服装はやや不釣り合いな気もしたが、見た目はめんこくて似合っとった。


「来てやったわよ、感謝なさい」

 偉そうにふんぞり返るトウフウに軽く笑みを零したもなかは入り口の前から少しずれて。

「ささっ、入って入って。今ちょうどお客さんいなくて、貸し切りだよ」

「じゃあ、お邪魔させてもらうぜよ」

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