第二章1 『魂印と魂約』
「昨夜はぎょうさんお愉しみでしたなあ」
宿屋の主人の言葉をあしは濃いクマができた顔で聞いとった。
「んー? お楽しみって、何かして遊んでたの?」
『しっ。もなかにはまだ早い話よ』
「そうよ。これは大人の話なんだから」
「……おまんも見た目は大して変わらんじゃろ」
「支払い済ませたなら、さっさと行こうぜ。統京に行くんだろ?」
「ほんでなしてスサノオは当然の顔して、あし等につれころうとしとるん?」
「俺様もちょうど統京に行こうと思ってたからだ。旅は道連れ世は情け、って人間界じゃ言うんだろ?」
「そか。あしはトウフウや美甘達がええならかまん(構わん)が」
「あたしは別にいいわよ。ただし、昨日決闘で負けたんだからあんたはあたしのていしゃだからね!」
ビシッと指を突きつけ、決まったと爽快感に浸る表情のトウフウ。
「……ていしゃって、お車停めること?」
『多分、舎弟と言いたかったんじゃないでしょうか』
「そっ、そうよ、舎弟よ舎弟! スサノオ、あんたはあたしの舎弟ね!」
「やなこった」
「なんでよ!?」
「昨日の決闘は二対一だったろ? まあ、一対一でお前が勝てたら、舎弟でも奴隷にでもなってやるけどな」
「へえ、上等じゃない。いいわよ。ギッタンギッタンにしてやるんだから!」
「おい、おまん等。ここでお始めたら他の客の迷惑になるじゃろ」
慌てふためいている主人に代わって言ってやると、スサノオは肩を竦めて。
「まあ、そうだな。じゃあ、腕相撲だったらいいか?」
「……って言うてるけど?」
「へえ、まあ、それぐらいでしたら構わんです」
「外野は文句ねえみたいだが。小娘はどうだ?」
「あたしはそれでいいけど。準則はどうするの?」
「三本先取、先に三回勝った方の勝利だ。そこの机を使って、右腕一本の身を使っての対決ってわけさ」
「いいじゃない」
「うしっ、じゃあ横槍なしの直接対決としゃれこもうじゃねえか」
スサノオは犬歯を見せてにやりと笑った。
「ほら、荷物持ち。ちゃっちゃか歩け」
「ふええ……、ちょっと待ちなさいよぉ」
右手を真っ赤に腫らしたトウフウが遅れながらついてきちょる。
清々しい青空の下、あし等は一路統京に向かっとった。
畑ばかりだった光景は徐々に街らしい様相になり、土を固めたような粗末な道も今は石畳に変わっとる。道の両端に立っているのはガス灯じゃろうか、西洋風でなかなか洒落た造形ぜよ。
「スサノオお姉ちゃん、すっごく強かったねえ」
『十戦十勝とは、恐れ入りました』
「あの小娘相手じゃ赤子の手をひねるようなもんだったしな。あと九十戦やっても負ける気がしないぜ」
「ぜい、ぜい……ちょっと、聞こえてるんですけどッ!?」
「いい運動になってるだろ? それぁ少しでも体を鍛えられるようにっていう、俺様からの気遣いだぜ」
「わー、いと嬉しー……ってなるかぁッ!? ……ぜえ、はあ」
顔から絶えず汗をかき、足取りもふらついていて危なっかしい。
まあ、当然ちや。五人全員分の荷物を背負っているんじゃから。
「トウフウちゃん、大丈夫?」
「へ、平気よ……。まだまだ、全然、余裕なんだから……!」
『スサノオさま、さすがにトウフウさまもそろそろ限界では?』
「限界? まさか。おい小娘、お前もうへばったのか?」
「平気だっつてんでしょーがッ!」
「だとさ」
トウフウは強がっとるが、脂汗をびっしょりかいているうえにふらついている様を見せられちゃあ、放っておけん。
あしは歩みを緩めてトウフウの隣に並んで声をかけた。
「のう、トウフウ」
「ぜえ、はあ、ぜえ、はあ……。な、何よ?」
「荷物、貸し」
「……え?」
「持っちょる言うとるんちや」
トウフウはざんじあしと荷物を交互に見とったが、やがて迷いを振り切るように大きく首を横に振った。
「ダメよ。これは、あたしが負けて持つことになったんだから。それにこれで体を鍛えて今度こそ、今日の雪辱を晴らすの!」
「ごっちゃになっとるぞ。第一、それで体を壊したら果たせる屈辱も果たせなくなってまうぞ」
「大丈夫よ、あたしは神なんだから。この世界じゃ、負傷することもないんでしょ?」
「いいや、そのままじゃったら、体を壊す」
あしは脚を止め、トウフウの肩をつかんで言った。
「今、トウフウをいじめとるのはトウフウっちゅう神さん自身じゃからちや」
「あたしが、あたしを……?」
疲労で定まらぬ目を真っ直ぐに見据え、あしはうなずく。
「ほうじゃ。神は神によって傷つけられる。おまんは、神なんじゃろ? やったら自分をいじめるなんて、やったらあかん」
「……でも」
頑なに荷物の入った風呂敷をつかむトウフウの頭に、あしは手を置く。
「おまんはもう十分に頑張った。じゃき、もう休め。あとはあしが運んだる」
「これはあたしが受けた罰なのよ」
「トウフウが受けた罰なら、あしの受けた罰でもあるじゃろ」
「どうしてよ? 継愛には関係ないじゃない」
不快かつ不可解そうに眉をひそめるトウフウに、あしは黒く艶やかな髪に指を掻き分けるよう彼女の頭を撫でて言うた。
「ほがなことないぜよ。あしとトウフウは書契結んだ棒組じゃろ」
トウフウはちっくとあっぽろけた顔をした後、軽く噴き出した。
「棒組って、ぷぷっ……」
「こっちじゃ使わん言葉じゃったか?」
「さあね。あたしは記憶ないけど、そこでその言葉を選ぶなんて……ぷぷっ」
『なかなか独特な感性の持ち主だとは思いますね』
いつの間にやら美甘達もあし達の傍に来よっていた。
「西洋じゃ、こういう時は“ぱーとなー”とかいうらしいぜ」
「“ぱーとなー”か……。あまり舌に馴染まんのう」
「お友達とか親友じゃダメなの?」
『もなか、一夜を共にした間柄にそれはあまり適さないのよ』
「そうよ。ここはビシッと婚約者とか、夫婦みたいな言葉を使うべきじゃない?」
「あしはおまんと婚約結んだ覚えはないんじゃが……」
「えっ、昨日あんな激しいことしたのに……?」
「捨てられた子犬みたいな目はやめい、おまんが勝手にやってきたことじゃろう!」
「そんな……、あたしとのことは遊びだったのね」
「あー、お兄ちゃんトウフウちゃんのこと泣かしたー」
『継愛さま、ここは夫として妻を慰めるべきでは?』
「あし達は婚姻しとらんッ! ……ん、婚姻? ……婚約」
はたとあることを思いつき、あしはトウフウの背から自分の風呂敷を下ろし、そこから矢立と和装本を取り出した。
書の準備を済ませ、和装本の真っ白なところを開き、筆を走らせる。
一枚の紙に、大きめの文字で二つの単語が書き上がる。
意図通りしなやか字に仕上がり、あしは満足気な思いでそれをみんなに見せた。
「どうじゃ、この造語は」
トウフウ達が一斉に紙を覗き込むが、ほぼ同時に四人の首が傾く。
「……うえっ、字かよ」
「お姉ちゃん、読める?」
『さあ……』
「えーっと……。たましいじるしと、たましいやく?」
「造語って言うたじゃろ、トウフウ。『こんいん』と『こんやく』って読むんちや。こっちは結婚のこんが魂に、婚姻のいんが印になっとるぜよ」
説明通り、紙面には魂印(こんいん)と魂約(こんやく)と書かれとった。
『そういえば、一番上の文字はトウフウさまの背にも書かれていましたね』
「あれ、そうなの?」
「昨日の夜に話したじゃろ……」
「だって、あんな激しいことされたら、何を話されてもすっ飛んじゃうわよ」
「それはおまんが勝手にやってきただけやろ……はぁ」
「んで、この二つの言葉はどういう意味なんだ?」
「文字通りの意味じゃ。魂の印に、魂の約束。それぞれ魂印者、魂約者と言いなれた感じで発音できて、覚えやすいじゃろう」
「別にそんな面倒な言い回しをしなくても、今すぐ婚約結ぶんじゃダメなの? あたし継愛とだったら、……いいよ?」
「あほう」
「もう、いけず~」
肉食獣のごとき瞬発力で体を摺り寄せてくるトウフウ。あしはどうにかはがさんと四苦八苦する羽目に。
「おまんさっきまでバテてたじゃろうが、どこにそんな力余らしとったッ!?」
「継愛のこと好きーって思ったら、急に元気出てきちゃった~」
「離れい、暑苦しい!」
「なんか楽しそー、もなかもやるー」
さらに一人分、反対から体重がかかる。こんまい少女とはいえ、いやだからこそ体温が高くて暑苦しさ倍増やき。
「ったく、遊んでねえでとっとと行こうぜ」
『まあ、統京はすぐそこですから。……わたくし達も参加しましょうか?』
「なんでお前までうずうずしてんだよ、はあ」
「おまん等、見ちょらんではよ助けい!」
願いは届かず、あしはひさに二人から人形がごとき扱いを受けるのじゃった……。
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