初恋
初恋
永きにわたる時の中でのほんの一瞬の生命の輝き、
イネの花風
あなたの初恋は、いつですか。
それは、どんな恋でしたか。そのお相手は、どんな方でしたか。
私の初恋は、私がまだ小学校にも上がらない頃――。
彼は、私が物心ついた時からずーっと一緒だった。
お風呂にはいる時も、寝る時も、お散歩に行く時も。私はどこに行くにも、彼と一緒だった。彼は私の一番最初にできた友達だったし、大切な家族の一員だった。
私は毎日のように、彼と遊んでた。一緒に本を読んだり、おいかけっこをしたり、おままごとをしたり。でも、彼が一番好きだったのは、たぶんキャッチボール。よく一緒に、布団の上でじゃれあったりなんかもして。幼かった私は、遊び疲れて寝てしまって。彼はそんな私の横で、いつも見守るように寝そべってくれていたらしい。
物静かで優しかった彼。
私は大人になったら彼と結婚する、だなんて言って。よく両親に困り顔をさせていた。でも、本当に結婚するんだって、あの時の私はそう思ってた。
でも。彼は私が大きくなるにつれて、少しずつ元気がなくなっていった。
外で遊ぶ回数は減り、彼の大好きだったキャッチボールの回数も減った。
彼は家で寝てばかりいるようになり、もともと物静かだった彼は余計に静かになった。
次第に、一緒に遊ぶ時間も減っていった。それでも、私にとって、彼といる時間は特別で、大切な時間だった。
半分寝ている彼の隣で、騒いだりつついたりしながら。私は彼と遊んでいた。
今思えば、きっと面倒だったろうに。優しい彼は、そんな私に文句の一つも言わずにつきあってくれていた。
本当に幸せな時間だった。
そんなある日、事件は起きた。
あの日は、とっても暑かった。
私は家の外にビニールプールを出して貰って、お母さんが洗濯物を干しているかたわらで水遊びを楽しんでいた。
彼はというと、そんな私を見守るように、少し離れた日陰で静かに涼んでいた。
彼が一緒に水遊びをしてくれないことが、私は少し残念だったけれど。久しぶりのビニールプールに私はすぐに夢中になり、そんな不満はあっという間にどこかへ吹き飛んでしまった。
お母さんは洗濯物を干し終えると、そんな私の相手をしてくれた。
しばらくお母さんと遊んだ頃、家の中で電話が鳴った。
お母さんは私に大人しくしているように言うと、家の中へ入って行った。私はその言いつけを守らず一人ではしゃいでいた。そして、水の中に沈んでいたおもちゃを踏んで転んでしまったのだ。
目にも鼻にも口にも一気に水が入ってきて、パニックになった私は、立ち上がることもできずに溺れてしまった。
ぼやけた視界。薄れていく意識の中で、私の耳に最後に聞こえたのは、彼の声だった。
幸い命に別状はなく、何の後遺症も残らなかった。やはり、すぐに助けられたことが大きかったのだという。それは、彼のお蔭だった。
後からお母さんに聞いた話によると、もう長いこと走ることも吠えることもしなかったジョンが、突然激しく吠えながらすごい速さで家の中に入って来たため、何事かと思って外に出てみると、ぐったりした私がビニールプールのそばで倒れていたのだという。
ジョンは溺れる私を引きずり出して、お母さんを呼んでくれたのだ。
そう。私の初恋の相手。それは、犬のジョンだった。
ジョンはその後、間もなくして死んでしまった。
ジョンが死んだ日、私は今までにないほどに泣いた。冷たくなったジョンの体に抱きついて、わんわん泣きじゃくった。
私があの日、溺れなければ、もう少し長く生きれたんじゃないかって。そう思うと、余計に涙があふれてきた。
私がジョンからなかなか離れないから、両親はとても困ったらしい。
それでも最後は、ちゃんとお墓をつくって。私はジョンと、さよならをした。
今、私には好きな人がいる。もちろん、犬じゃない。ちゃんと、人間の男の子だ。
同じクラスの男子で。イケメンじゃないけど、優しくて、とっても真っ直ぐな人。……ちょっと、犬に似てるかもしれない、なんて。
彼のほかにも、私には大切な人がたくさんいる。友達、家族、学校の先生や部活の先輩に後輩たち。
あの日、私が溺れなかったら。それは、今でも考える。でも、大切な人たちのことを思うと、少しジョンの気持ちもわかる気がする。私がジョンの立場だったら、きっと同じことをした。そして、それを悲しんでほしくはない。
それでもやっぱり後悔はしちゃうけど。後悔せずにはいられないけど。でも、その後悔があるから。一日一日を、大事にできてる気がする。もう、あんな後悔はしたくないから。
それだけじゃない。私はジョンから、数えきれないほどたくさんのものを貰った。どれも大切な、かけがえのないもの。
この先、つらいことや苦しいこともたくさんあると思う。けど、ジョンから貰ったたくさんのものがあるから。私はきっと、頑張れる気がする。
初恋の相手が犬だなんて、笑っちゃうけど。でも。でもね。
ジョンと過ごした日々は、私の初恋の思い出は。とっても、とっても大切なもの。
大事な記憶――。
あなたの初恋は、いつですか。
それは、どんな恋でしたか。
――――――――――――――――――――
二〇一六年 六月二二日
二〇一六年 七月 七日 最終加筆修正
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