体験談
みなさん、こんばんわ!
ノヴァウーテル自治区、ティタート区にて女子進撃首長をさせて頂いておりますウルナ・エル・マ・ティクンタです!
本日は、この様な場所で体験談を発表できるという栄誉を賜り、心からの歓喜に躍動を覚えるとともに、あまりの誇らしさから、身の引き締まる想いでございます。
本日は微力ではございますが、虚心坦懐如蒼天の想いをみなさんにお伝えできましたら、恐悦至極にございます!
(拍手。会場には3000人近い人々がいる)
私は、生まれも育ちもノヴァウーテルで、医師家族の娘として、父と母、兄との4人家族として生を授かりました。
ノヴァウーテルは俗習が蔓延り、俗信に満ち、その為に痩せた貧しい土地ではありましたが、中央第一大学にて医学を学び、偉大なる中央委員会より名誉ある当地の直轄公営病院の第三管理室室長を拝命致しました父の下、何不自由無く、いえ、寧ろ裕福な程の生活の中、すくすくと成長させて頂きました。
(後ろのスクリーンには家族写真や同地の岩ばかりの風景が映される)
しかし、今思い返しますと何とも恥じ入るばかりなのですが、当時の私はその恵まれた環境と、自らの無知蒙昧と怠惰のせいで痩せている私の生まれ故郷を見比べ、その差が生起する根本原因を理解しようとも、いえ、寧ろ、想像すらできず、また、その使命に邁進する父の尊さを理解できずに「中央委員会がそんなに偉大なのなら、何故こんなにも酷い人達が生まれ、父が苦労してそれを修正・処理しているのだろう」との我慢と疑念に囚われ、尊敬する事ができずにいました。
その遠大深遠なる思想を理解した現在からみれば、父の帰りが遅かったり、時に記憶を喪失する程の忙しさに身を投じていたのは、その遠大な目標と自身の使命を自覚し、偉大なる中央委員会と自己とを合一させる父の素晴らしさがそこには現れていたのだ、と思えるのですが、当時の幼く、眼前に生じるエゴに執着した私の拙劣な眼には、それが到底理解できなかったのです。
もしかすると、進撃の当初からの人民から幾世代も経た我々と同世代でしたら、幼少期にその様な妄動に囚われた私と同じ様な同志も、これをお聞きの中にはいらっしゃるかも知れません。
私もそんな妄動派、走妄派の一人でした。
なので、その様な過去をお持ちの皆様、ご安心下さい。そんな中でも特に辺境の悪縁に晒された私でも、ここで体験談を発表できる程度には立派になれるのですから!
(会場一同、爆笑)
そんな迷いに満ちた私の青春期に変革の兆しが訪れたのは、私が18歳の時、兄も入学し、家族に期待された中央第一大学医学部の受験に失敗した事でした。
今、振り返れば、先程お話しました様な猜疑心に凝り固まった脆弱な精神と、中途半端な目標の理解では、自治区を含めた世界中から集まる、研鑽も努力も全速力で行っている精鋭同志に叶う訳が無いのは当然なのですが、当時の低劣な土地や人民の中で秀でていると勘違いし、慢心に陥っていた私には、とても信じられない、驚天動地、世界の終わりの様に感じられ、とても受け容れられる物ではございませんでした。
幸い、併願していた公立ヴァルダーガ大学病理・生理学部には合格していた物の、贅沢な事だと恐悦至極なのですが、同じ首都にあるとは言え、中央第一大学という名誉ある大学はおろか、他の中央大学の医学系学科にすら通らない自分に酷く憤慨し、合否発表の当日には唇を噛み切り、その血で自分の受験票を滅茶苦茶に塗りたくったのを、今でも憶えております。
もっとも、葛藤を乗り越えた現在、その事を思い出すのは、自らの不摂生の為に口内炎ができて、美味しい料理が食べられないときだけなのですが。
(会場一同、爆笑)
いまでは笑い話のその事も、当時の私には絶望的で屈辱的に思われました。
しかし、劣等少数民族と比較している程度の私の傲慢さは、中央首都の大学に通う事で激烈に破砕されました。
中央で私等とは比べ物にならない程の血のにじむ様な努力を重ねられた同志達は、同じ大学の同じ学部とは到底思えない程優秀な人達ばかりだったのです。
父から頂いた大切な血筋ではありますが、私に劣等少数民族の血脈が有る事をこれ程呪った事は、後にも先にも、入学当初の最初の四半期以上にはありませんでした。こちらが努力している、と思っている何倍もの勉学を、中央出身の、私が凡庸と見下していた学生達は当然の事して日々を過ごしていたのです。全寮制で衣食住も保証された恵まれた環境であるとはいえ、慣れない都会生活に追われ、講義で疲れ惰眠を貪る私に比して、彼等はその間にも図書館に通い、或は教授の書籍を読み、研鑽を深めていたのです。
第一大学でないから、医学部でないから、と侮っていた私の空虚な優越感はこの最初の三ヶ月間で打ち砕かれ、お父様、お兄様の偉大さを遅ればせながら認識すると共に、自身の愚かさに気付かされました。
スタートでの体勢を崩し、無様にのたうち回るしか無い私は、当然肝心な最初の四半期を散々な結果で終えるより他にありませんでした。初めて見る低い成績に心胆寒からしめられたのを思い出しますと、今でも冷や汗が出ます。
(ここで一口、水を飲む)
それでも、劣等民族の血が流れるこの私にも、教授や職員の方々は優しく受け容れて下さり、日々励ましてくれました。新年休暇返上で取り戻そうと慌てる私に付合って頂いた教授や講師の方々の親切さを思い出すと今でも胸がこみ上げます。
そんな中で「人は血に依るのでは無く、偉大なる思想を受け容れられるか否かで決まる。貴方は偉大なる中央委員会の思想を一度は疑い、しかし今はそこに血道を上げている。それだけでも素晴らしいのです」との言葉を掛けて頂いた、マォ・イェングァン教授の御言葉は、今でも私の支えになっております。
(感極まり、涙を拭く)
お見苦しい姿を……失……失礼…致しました。
(会場より応援の声)
さて、そうやって中央委員会の暖かさを感じつつ、それなりの成績で大学を卒業し、病理医学者としてのキャリアを始めた私は、中央委員会の意思決定に従い、故郷であるノヴァウーテル自治区に戻り、父が拝命されております直轄公営病院付属再教育機関でその最初の一歩を進めさせて頂きました。
今、この会場にお集りの皆さんの中には、再教育機関と聞きましても何の事かピンと来ない方も多いかと思います。
私も、配属当初はそうでした。
再教育機関とは、少年期の義務教育期間中に中央委員会の偉大さを理解できなかったり、長生しても頭や精神が未熟で、中央委員会に反旗を翻す走妄派のような精神的劣等因子を抱えてしまった哀れな人々に再度生活向上と進撃への挑戦の機会を与える福祉機関なのであります。
病理・生理学を修め、国家試験にも合格した私が、何故その様な頽廃的精神衰弱者が集まる福祉機関への配属になったのか、最初は疑問でいっぱいでした。
「ここは私のいるべき所では無い」「周りは誰も私の真価を見てくれない」最初の1年は、そんな邪念ばかりが去来し、ただただ不満ばかりが溜まって行きました。
そんな邪念に支配された私にさらに追い打ちを掛けたのが、適合不可能者の処理と有効活用でした。
妄想に支配された劣悪な脳が使い物にならないのは当然として、偉大なる中央委員会に反逆する事ばかりに酷使され、労働力としても不適格な彼等の、充分な栄養摂取も怠ったばかりか、時にニコチンやアルコール、最悪の場合では薬物に侵された臓器の中から使えるもの選別し、新鮮な内に処理するのは何とも骨の折れる事の連続でした。
衛生観念も無くただ自らの肉体を徒に使い潰す彼等の悪臭は凄まじく、腐臭にすら近い体液を掻き分け、何とか使える臓器を探し当てる為に、恩寵の白衣がダメになった事は、両手どころか両足の指を合わせても足りません。
そんな日々が続き、「何故私はこんな穢らわしい愚か者達の処理をしているのだろう?」「何故、こんな下らない者達の為にこんなに消耗しなければいけないのだろう」、私の胸に、かつての挫折以前の妄動が鎌首をもたげ始めたのです。
その悪魔の囁き声は遂に、彼等と同じ血が通う自分自身への嫌悪感さえ連れて来てしまい、私は一時的にまったく動けなくなってしまいました。
その結果、レクリエーション施設での3ヶ月の長期休暇を助言され、私もそれを受け容れました。
頂いた三ヶ月の休暇の内、最初の一ヶ月は何をしていたのか、今でもよく憶えていません。ただ、偉大なる中央委員会が下賜して下さった豊かなるレクリエーション施設で浴びた暖かな日差しだけははっきりと記憶されています。
何とか答えを得ようと偉大なる御金言や書籍を拝読しつつ日が過ぎ去り、とうとう文字自体が目から滑り始めた頃、豊かな自然と軽やかな小鳥の囀りの中、ふと窓の外を見ていたとき、ある考えが去来したのです。
それは、彼等の中にある暗愚は私自身の傲慢さであり、彼等は私の鏡なのだ、と。
そして、苦痛に満ち満ちた様に感じるこの作業は、偉大なる中央委員会が私のその愚かさを修正する機会を与えて下さり、より高次元での自己批判を可能にさせて頂いているのだ、との天啓にも似た感動でした。
そのひらめきを得てから、再度御金言や御書籍を拝読致しますと、それまで幾度も私の目から滑り落ちていた御言葉が、御意志がすらすらと入って来たのです。
その時に私の両の目からは感激の涙が滂沱と溢れ出し、躍動の想いが奥底から漲ったのです。
晴れやかな気分でレクリエーション施設を出てからの私は非常に溌剌としており、怠惰と頽廃にまみれた彼等の中に己を通じて劣勢因子を見出すと、大学で学んだ病理・生理学の助けも有り、有効活用部位を見付けるのが早くなり、腐臭や腐敗の苦痛も、自己を鍛錬する歓喜的精錬作業に変化していきました。
更に、病理・生理学的観点から適合不可能者と判断された者の中からでも、投薬等適切な施術によって再教育に耐えうる者を発見・変革できるようになり、有効活用の幅を広げる事もできました。
医学部に入れず、一等の教育を受けられなかったとの悔恨も、躍進的変革後の私の目からは、寧ろ劣勢因子を持つ暗愚的妄動派に躍動の機会を与えることが可能な光り輝く宝石となったのです!
周囲の蒙昧的退行民族や風土に晒され、暗愚に囚われた為に眠らされ、閉じ込められていた宝石を磨く機会を賜り、本来的自己を取り戻す精製環境を与えて頂いた偉大なる中央委員会の素晴らしさには感謝しかございません。
(会場より盛大な拍手)
迷妄が晴れた私の人生は改天換地、一切が好調に回り始めました。
生理的観点からの劣性因子の更正により、最終処理施設の負担が軽減するばかりでなく、再教育施設での生産性も向上し、私の同僚同志も含めた職場環境が改善されました。
その事を評価して頂いた私は、進撃記念日での中央での式典に勿体なくも御招待頂き、喜躍抃舞の凱旋式に参列させて頂きました。その式典の後、響宴の席で出逢ったのが、当時、軍警察治安維持隊辺境方面第8軍団所属のディオジェ・イム・マ・ティクンタ中尉でした。
彼の同志は職務遂行能力もさることながら、中央委員会への忠誠心も篤く、しかし、私と同郷であり、私の様な暗愚的劣性因子に悩まされた者にも理解を示してくる、理想的な美男子でした。
彼の中尉の職務もまた、巷間に紛れた走妄派を摘発し、治安を維持する事で、その使命の激烈さから私と話が合い、私からは心理学的観点からの離反誘惑者達の行動を助言させて頂く等しておりました。
響宴の席では気後れしていた私ですが、この中尉との会話が弾んでからは猪突猛進、その後幾度かの会席と手紙のでのやり取りをし、この美男子は、現在では同軍団麾下第一警察師団長の大佐にして私の夫となっております!
(会場一同、拍手と感激の声)
夫の職務におきましても、私の生理学的応用も役に立ち、摘発時、その場で処理しなければならない様な悪辣な反逆者や扇動者達の内でも再教育可能な状態にできる者を見出す事ができた、との事で、夫婦共に進撃のお役に立て、千歓万悦の想いでございます。
そして、その献身的行動の結果、夫婦共に偉大なる中央委員会より受勲頂く運びとなり、今、私はここに立たさせて頂いております!
(会場一同、万雷の拍手)
私が如き、拙劣たる小市民であっても、偉大なる中央委員会の遠大な思想と合一する事により、この様に幸せな人生の凱旋を行わせて頂く事ができました。
我が夫は、職務の関係上、ここでみなさまにお話する事ができませんが、夫の分も合わせて、偉大なる中央委員会より賜りました、返してもつ尽きる事の無い恩寵への御礼を申し上げさせて頂くと共に、同志のみなさも、この栄光に満ち溢れた躍進的進撃に共々に邁進して参りましょうではありませんか!
本日は、拙劣至極な話をご清聴頂き、誠にありがとうございました!!
(会場より止む事無い拍手と歓声)
動画は、ここで歓喜にむせぶ女の顔のアップで終わっている。
体験談 @Pz5
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