夢媒花

青島もうじき

6月27日


 背中に林檎がめり込んでいる。無造作に半分に割られたものが、コンセントの刃か、そうでなければ図書館の防犯ゲートみたいに、面を向かい合わせるような形で突き刺さっている。

 艶のある表面だけでなく果肉までもが赤く発色しているが、それは私の血に染まっているからではない。元々そういう品種なのだ。ロールシャッハ・テストのようにシンメトリに波打つ紅色は、どこか嘘くさくもあった。そもそも、林檎という異物の刺さっているはずの私の背中からは、一滴も血が流れ出していない。


 背中という死角に広がってるはずのこれらの光景を自分の目で眺めているように理解していることの矛盾には、この時気付いていない。


 普段は仰向けになって顎の少し上まで布団をかぶって寝ている私だけど、この時はうつ伏せになって眠っていた。林檎が邪魔だったからかもしれない。天使が眠るときはいつもうつ伏せだってあなたが言っていたのを思い出す。その一対の羽を自らの重みで傷つけないためだ、って。

 その理屈で考えると、天使は背もたれに深く身を預けることもできないし、ギターケースだって背負うタイプは選べないのだろう。体力測定の上体起こしにも参加できないし、寒い日に友達とおしくらまんじゅうをすることもできない。

 そんなことを言っても人間だって、肋骨があるから誰かを抱きしめたときに鼓動が間接的にしか伝わってこないと言えるし、なんなら全ての肉体や、もっと言えば実体は、なにか大切な存在と同時に同じ座標に存在することを妨げる邪魔なものとして捉えられるのかもしれない。

 だけど、少なくとも私の慣れ親しんだ肉体から直感的に捉えると、不用意に突き出した羽というのはあくまで後付けであって、機能的でないもののように見えてしまう。

 羽というのは、案外邪魔なものなのかもしれない。


 いま書いている文章に「機能」という漢字が登場したので、私の背中に念を送ってみた。変化はない。どうやらここは現実で間違いないらしい。そういえば「林檎」という漢字にも「きへん」が含まれている。あの時は気付けなかったけれど、あまり日常生活で「りんご」を漢字で書くこともないから今回ばかりは仕方がないかもしれない。


 私に林檎を投げつけた人間を、私は知っていた。名前をグレゴールという。英語名でいう所のグレゴリーや、暦の名前にもなっているグレゴリオと同じ由来を持つ名前だが、ドイツ名である「グレゴール」でなければならなかった理由には心当たりがあった。背中に林檎、というところからこれが私の脳によるオマージュであることは察しがついていた。そう、グレゴール・ザムザだ。

 私の身体は、肩甲骨のあたりから林檎が生えていることを除いて、いたって普通の人間であった。だけど、次に私が行った行動は、駄洒落ではあるけれど明らかに有意なものだったのだと思う。


 額に緩衝材代わりに二本の腕を折り重ねてうつ伏せに寝転ぶと、口とベッドの間にごく小さな空間ができる。その空間に、いつの間にかスマートフォンがもぐりこんでいた。私のものではない。左右に放射状に広がった特徴的な割れ方には見覚えがある。これは、あなたのものだ。

 突然、私の鼻先でスマホが震えた。着信を意味するメロディーが私が普段使っている音楽なのはご愛敬だろう。ばきばきに割れて、触れるとガラスが欠けてこぼれそうな画面には、あなたの名前が表示されている。


『へんしん、待ってるね』


 ひらがなになっているのは、元ネタに配慮する意図があったのだろう。メッセージアプリを起動すると、数回改行された案外長い文章が目に飛び込んできた。全てを詳細に覚えているわけではないので、記憶の欠落している部分は補完しつつ書き起こすことにする。


『へんしん、待ってるね

 林檎といえば、ニュートンが万有引力を発見したのも林檎のおかげなんだよね。木から果実が落ちるのを見て「全ての物はひかれあってるのかもしれない」って考えるなんて、よっぽどのロマンチストだったんだね。目の前にいる私たち二人の間にも、物理的に引き合う力が働いていて、私たちは常に地面なんかとの摩擦でそれに抗っている。天使の方が、羽の空気抵抗で引っ張られにくかったりするのかな

 他にも林檎は禁断の果実として扱われることもあるよね。失楽園の。あれも林檎かそうでないかには諸説あるみたいだけど、人に知恵を授ける樹の実として林檎が扱われているのは興味深いことだよね。アダムとイヴに知恵を授けて、今度はニュートンに知恵を授けた

 あなたの背中に生えている林檎は、あなたになにかを授けてくれましたか

 私はAppleを落としたことで、画面の上に蝶が授けられました

 へんしん、待ってるね』


 それになんと返したのかは思い出せない。そもそも文章なんて打っていなかったのかもしれないし、今となっては確かめるすべもない。

 その後はよく覚えていないけれど、背中に刺さった赤い林檎が最後まで取れることがなかったのは間違いないと思う。断片的な記憶では傷口が膿み始めていたような気もするけど、それは後付けだったかもしれない。


 そうだ、さっき調べたところによると、果肉まで赤い林檎の品種は現実にも存在するらしい。


『紅の夢』


 夢日記をつけ始めて初めての夢に登場したモチーフとしては出来過ぎだ。蝶の羽のような模様の浮かぶその赤い果肉も、どこか予定調和の末に産まれたもののように思える。私の潜在意識が呼び起こした表象なのだろうか。


 そうだ「夢」には「くさかんむり」が使われている。気付いて背中に神経を集中させるも、羽は生えない。つまり、今これを書いている自分は夢の中の自分ではないといことだ。ところで、「夢」ってなんで「くさかんむり」が使われているんだろう。あなたに聞いたら教えてくれるかな。

 明日も、日記は続けることにする。

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