パンドラの箱

 

 憑き物が落ちたかのように美月は私の顔を見つめていた。その顔を見ると,やはりさっきの言葉は冗談ではないということが伝わってくる。そして私は,その問いに答えなければならない。「私のことをどう思う?」という美月の綺麗な唇から発せられた残酷な問いかけが頭の中でぐるぐると渦巻いている。考えれば考えるほど自分の中での答えが分からなくなる。自分が何を考えているのか。自分は美月との関係において何を求めているのか。酔ったように気分が悪い。

 いつまで経っても言葉が口を突いて出てこない。なにを言ったらよいのか分からない。私自身,何を思っているのかが分からない。こんな感覚は久しぶりだった。菜々美も,今度はじっと私がどんな言葉を返すのかを辛抱して待っている。これは,私が答えるべき問題なのだ。

 しびれを切らしたの,今度は目を細めて美月が口を開いた。その目は優しそうに見えて,私の心の奥底の,自分でも知らないところを見詰めているように不気味なものだった。


「茜は,私と同じだと思うんだ。今は自分でなんとも思っていないっていうか,ただ気付いていないだけ。菜々美に体を触られているとき,どんな気持ちだった? 女子更衣室でどんなことを考えていたの? 私と菜々美がバドミントンをしていた時,なにを見ていたの? 私の部屋で私が襲いかかった時,本当に嫌だったの? 思い返してみて。そして,本気で考えてみて」


 一息に美月が言い切った言葉を聞いた後,私の頭の中は火花が散った。美月は知っている。菜々美が私の胸をむさぼった時に妙な高揚感があったこと,菜々美と美月がバドミントンをしていた時に揺れる乳房を見詰めていたこと,座った時のズボンの裾や手を挙げた時の腕と服の隙間に視界が吸い込まれるように焦点が定まっていたこと。後ろめたさを感じていたのにも関わらず,私はそんな自分を抑えることが出来なかった。

 菜々美も,目を見開いて私の顔を見ている。きっと,美月が言いたかったことを捉えているだろう。少しずつ,私は私が何であるのかを掴みかけている気がした。本当の自分に近づいている。いや,すでに存在していた自分の奥深くに隠れていたものが掘り起こされているようだった。今まで開いたことのないような,開けてはならないパンドラの箱に手をかけてしまった感覚に包まれた。




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「最近元気ないじゃん。なんかあった?」


 休み時間にもかかわらず自分の席に座り,何をするでもなく頬杖をついて窓の外を見つめていると,エロがっぱが声をかけてきた。どうしようもない下心丸出しのくだらない男だと思っていると,こうやって優しく声をかけてくる。よく分からないが,人をよく見ていて配慮ある行動をとれる男なのだろう。どうにも惹かれないしいけすかないやつなんだけど。


「美月ちゃんも学校来てないし。ほんと,茜がおれと美月ちゃんを結び付けてくれると思ってたから,ほんと拍子抜けだよ」

「結び付けるってなんだよ。なんとかこぎつけられたにしても,結ばれるかどうかはあんたの努力と生まれ持ったモノのよさが備わっているかどうかだよ」

「それって,戦う前から勝負ありってこと? ひで~。おれたちいっつも残り物だな」

「お前と一緒にだけはされたくない。どすけべおばけ。」

「おばけだと~。夜中に化けて出てやる~」


 お化けを表しているのだろうか,うらめしやの格好をして意味の分からない言葉を続けてこちらに迫ってくる。その言葉を背中に受けながら,エロがっぱの優しさに胸を温かくしてその場を去ろうとした。でも,先ほどとは正反対の真剣なトーンの言葉が私を離してはくれなかった。


「てかさ,まじでなんで学校来てないの?  別にどうにかしてくれとかじゃなくて,ただ気になってさ」


 答えに詰まった。真実を言うべきか分からなかったが,こいつになら言ってもいいかなと思ってつい口走った。


「モデル事務所にスカウトされて,レッスンとか芝居とか写真撮影とかがあって忙しくしてるみたいだよ」


 そう言いながら,胸が痛んだ。そう,美月はモデル事務遺書に所属して活動を始める準備を整えている。それを知ってからしばらく,私は美月に会っていない。


 美月がモデルのスカウトに声をかけられたのは本当だった。繁華街を歩いていると若いスーツの男性に呼び止められ,初めは怪しいから無視をしていたが,「名刺だけでも」と言われて受けとった紙には誰でも知っている王手の芸能事務所の名前が書かれていた。その場では返事をしなかったものの,名刺を受け取って二週目にダメもとでかけたということだった。すると,ぜひ直接意思確認がしたいということで話はとんとん拍子にすすみ,レッスン代等はかかるものの研修生として籍を置いてもらえることになったという。

 二週間学校に来なかった美月を心配して,私は家を訪れた。その時に美月の現状を初めて聞いた。だから初めの一週間は学校にも顔出しづらく,家に引きこもってなにもせず過ごしていた。このままではいけないと思ったがなかなか動き出す決心がつかなかったところ,本棚に置いていた名刺が目に入り,連絡をとることにしたのだという。

 レッスンは大変だが,何もしていなかった一週間は生きている意味が見いだせず鬱になりそうだったから今はやりがいもあって楽しいという。学校にも行こうとは思っているという言葉を聞いて安心してその日は美月の家を後にしたのだった。

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