指言葉
西日が強く差していたバス停はすっかり日が暮れ,汗を吸ったTシャツは風を受けると季節が変わったことを実感させるには十分な寒さを感じさせた。
美月は自分の過去を話しきると息を吐き,一呼吸おいて私たちを見た。私も菜々美も何も言わなかった。辛かったね,というのも違う気がするし,私は美月のことを分かってやれない,しょせんは血のつながってもいない他人の心の苦悩を本当に分かってやることはできない,と話を聞きながら思った。
それでも,心の負担を拭いたい。
菜々美も同じように考えていると嬉しい。秘密を抱えているからと言って,私たちは美月に嫌悪感を抱くようなことはないし,これからの関係が変わるとも思っていない。
ただ,その思いを素直に伝える言葉を私たちは持ち合わせていなかった。
私たちは味方だよ,だなんて薄っぺらくてきれいすぎる言葉は使う気にはならない。きっと,そんな美しい言葉で簡単に片づけられるほど美月の抱いた問題はシンプルではないはずだ。
こういう時に,言葉をかけられるのはやっぱり菜々美だ。
「なんだかいろいろあったんだろうけど,私たちは結局今まで通り仲良くできるし,明日もこれからも楽しく一緒にやってていいんでしょ?」
菜々美がそういうと,絵に描いたように美月の表情がパッと明るくなった。本当に天使のような表情をする。その顔を表に出せないほどの不安感に押しつぶされそうだったんだな。
美月の心のおもりが少しでも軽くなったことが嬉しい。
そして同時に,率直に自分の思いを惜しみなく,恥ずかしげもなく伝えられる菜々美を誇らしくも思った。
私たちはこれからもうまくやっていけるだろう。
向こうからめあてのバスがやってくるのが見えた。
「帰ってたらふく食うぞ~。美月の家ほどのごちそうじゃなくても,うちの親は料理はうまいんだから」
菜々美の,何も考えていなんだろうけど場を和ませる能天気な発言に,私と美月は顔を見合わせて笑い合った。
バスに乗り込むとき,菜々美は美月の方を向いた。
「明日,またね」
私はこれからもずっと,その言葉をきっと何度も繰り返す。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「おはよ。早いじゃん。二人とも」
登校すると,美月も菜々美も教室にいた。やんちゃな男の子たちがいつもしているみたいに,ハイタッチをしたくなった。男の子ってどうしてあんなにすがすがしいのだろう。思っていることを嫌味なく言えて,嬉しい時には素直に喜んで,悲しい時には一緒に辛いねって言い合あえる。そんな関係に私はずっとあこがれていた。夏になると甲子園が見たくなる。そこで繰り広げられるプレーと共に,そこにある人間関係や置かれた環境,努力の跡が紹介されると胸が熱くなる。全力プレーを繰り広げた後,勝ったチームは涙を流しながらお互い抱きしめ合い,負けたチームはというと,これまた勝ったチームと同じようにお互いで支え合うように同じ色の涙を流す。試合も見た後には,深夜にやっている甲子園の特集番組を見る。番組用に作られたものであると心のどこかで分かっていながらも,そこに描かれたドラマに胸を打たれる。脚色されたものの中にも,僅かであっても真実が含まれていてそこには本物の友情がある。画面の外側の人たちには決して分からない熱いものがあるのだろう。私はずっとそういう関係を求めていた。
きっと,私たちはそういう関係になっている。
小テストに備えて参考書やノートをいそいそとみる朝。
小テストなんかそっちのけで窓際に腰かけて大きな声で談笑するグループ。
後ろ黒板に書かれた連絡事項。
机の落書き。
普段通りの朝が始まったように見えて,昨日の朝とは明らかに違っていた。昨日の一件から私たちの距離はぐっと縮まった気がした。少し気を遣いながら一緒に帰ったあの日とは違う。顔を見る前からそんな感覚にふわふわし,何食わぬ顔で教室に入った。美月と菜々美の二人が一緒にいて,楽しそうに談笑をして仲良くしているのが単純に嬉しかった。あの甲子園に出場したチームメイトと同じように,一つになれている気がした。私たちは大人になっても,定期的に集まって近況報告をしあったり,一生の付き合いになるのだろうと予感した。
「はい,じゃあ席についてー。小テスト始めるぞ~」
担任がプリントの束を持って入ってきた。いつもなら地獄の一日を示す紙の束も,今日はすんなりと受け入れられる。
ばらばらとしていた教室がピースが枠に収まるように統一感を帯びて,話をしていた人,勉強を教え合っていた人,課題を写していた人たちのそれぞれが席についていった。
学校っておもしろいな。いろんな人がいて,でも何かの拍子に同じ動きをする。
そんなことを思いながら英語の小テストを受けた。
問題用紙に目を落とすと,厳しい現実に連れ戻される。
問い① 次の文を関係副詞を用いて英文で書け。
さっぱり分からない。第一,どうして命令されてまで日本人が英語で何かを回答しなければならないのだ。頭を抱えて,脳内でタオルをリングに投げ入れようとしたとき,感謝の言葉を心の中でつぶやいた。
(さんきゅ)
右斜め前の美月は,あたりを慎重に伺いながらプリントを机の端っこに寄せた。
私はマサイ族もびっくりするほどの視力を持ち合わせている。濃く書かれた記号を書き写し,ペンを机に二回打ち付けた。
美月は耳の後ろで親指を立てている。
グッドラック。
おそらくそんな思いを乗せて。
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