ミジンコほどの正義感

「今日からよろしくお願いします」


 同じ教室で過ごすのだから同級生なのだろう。先生の説明からしてもそのことに間違いはない。留学をしていたり何か特別な事情があって年齢が年上ということはあっても,私たちよりも下であるということなどはない。

 日本生まれので日本育ちの美少女。美少女に限らず,同級生に敬語を使われたのは初めてだ。

 クラスのみんなの前で挨拶をしているなら分かる。教室でみんなの前で自己紹介するとき,体育館でみんなの前で話をするとき,自分が最上級生だろうと何だろうと,TPOに応じて言葉が丁寧になる。しかし,その言葉は私一人のためだけに向けられたものだった。私はどんな風に見られているのだろう。たまたま隣の席になった同級生だろうか。それとも,警戒すべき相手として仕立てに出るべき存在だろうか。丁寧に発せられたその一言から自分がどのように見られているのか考えさせられた。綺麗な声でかわいらしくもありながら,女子に嫌われそうな媚びたような声でもない妙にひきつけられるそのトーンから紡がれた口調からは,距離感を取ろうとしている冷たい印象というよりかは,相手を慮っていて,敬意を表するというよりかは一線引いているような様子さえ感じられる。

 仲良くしたい。そう思った。一瞬,かつて転校生に優しくしたことから自分の人間関係が崩れ落ちていったことが頭をよぎった。でも,今は高校生だ。小学生や中学生の頃のように周りに人がいないと不安で仕方がないこともないし,もともと一人の時間も好きに過ごせるタイプだ。それに,私が思って起こした行動に対してとやかく言うような人と長く付き合う必要もない。本当に仲良くできる人とは仲良くしていければいいけれど,私とは合わないなと思う人が離れていくことは,お互いのためにむしろいいことかもしれない。変な気を遣いづけることもなく,自分の感性を大切にして過ごすことが出来るのだから。先生がよく言っていた,「誰とでも仲良くしなさい」という言葉。あんなのは嘘だ。大人だって嫌いな人には陰口を言うし,いじめだってしている。先生同士で悪口を言っているのを聞いたこともある。大人が出来ないことを,きれいごとで子どもに強要するのはおかしい。人には合う合わないがあるのだから,人間関係まで無理やりに作られて輪っかに閉じ込められる言われはない。

 不意に大人への嫌悪感が込み上げてきた。今はそんなことはどうでもいい。そんなことよりも,今私の隣に座っている人が,もしかしたら居心地の悪さを感じているかもしれない。これからの生活に不安を感じているかもしれない。寂しい思いをしているかもしれない。子どもの思いをそっちのけで理想を押し付けられる辛さよりも,近くにいる誰かがそんな気持ちになっていることを想像する方が辛かった。

 あー,ほんと私って何考えているんだろ。思えば,いじめられるきっかけにもなったあの時もこんな変な正義感をかざして痛い目を見たんだっけ。でも,そんなことはどうでもいい。私はどうせ辛そうな子がいたらほっとけないし,放っておいてほしいならそう態度で示してくれるだろう。ちょっぴり自分勝手なミジンコほどの正義感を振りかざして,これから私は苦しみながら生きていくのだ。なんだかばからしいな。そんなことを考えながら,でもそんな自分にどこか誇らしさを感じながら隣に座った美少女に声をかけた。


「敬語なんて使わないでよ~。よろしくね」


出来るだけフランクに話しかけたつもりだった。思いもよらず少しこわばった声を出してしまった。のどが狭まって呼吸が少しだけしにくい。あれ,私,もしかして緊張してる? 心をほぐしてあげようとしてるのに,何やってんだ私。変な雰囲気を出していなかったらいいけど,きっとおかしな空気感は相手に伝わっているに違いない。声の調子はいつもと違うのに,顔は相手を見続けている。睨むような表情になっていないかな。そんな心配をしながら様子を伺っていると,声をかけられて驚いた様子を一瞬見せたのちに返事を返してくれた。


「ごめんなさい。……あ,ごめん。これからよろしくね」


 勝ち気そうでありながらも不安そうな,間違いなく周りからちやほやされてきたのだろうなと勝手に感じさせられる風貌から,物腰の柔らかい言葉を聞けてホッとした。

しかし,そうすることがかわいがられる道なのだと身をもって体感しているのかもしれないとも勘ぐってしまう自分がいる。


もう二度とおせっかいはしないと決めていたけれど,話かけられたら言葉を返すのは当たり前だと思うし,困っていたら助けたい。

私は間違ってはいない。

私は正しい。

 

 はあ,どうしてこんなしょうもないことで自分の背中を押さないといけないのだろう。

机の上のコンパスの針で彫られた落書きをなぞりながら,昔のことを思い出していた。

 何もかも上手くいきかけていた中学校生活。徐々に変化した私に対する周りの視線。考えてもしょうがない。もう思うように生きよう。


 これから起こる出来事を知らない私は,安易にそう考えていた。

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