第7話 とりあえず過去に到着したんだけれど
「気が早いのよ、あの2人!」
気が付いたら、家の近所に着の身着のままで立っていた。パジャマに着替える前だったのが不幸中の幸いだわ。
…ここって、5階建てのマンションが建っているところよね。よく覚えている。小学校に通う途中の、古いお屋敷があったところ。いつもこの家の前に優しそうなおばあちゃまがいて、自分の背丈ほどの箒でお掃除をしていた。広い庭には、細く高い柳の木が1本。密かに、『柳のねぇさん』と呼んでいた。私が7歳のとき、このおばあちゃまの姿が見えなくなり、ほどなくして家は取り壊され、『ねぇさん』には火がかけられた。チリチリと燃えていく葉を見ながら、熱くないか、苦しくないか、助けられなくてごめん、と胸が苦しくなったんだった。
『あの柳の木はね、おばあちゃまとおうちごと、神様のお庭に引っ越したんだ。そこでみんな一緒に、元気に暮らしているよ』
あのおばあちゃまは、おうちは、そして柳の木は、どうしたかしら、何かの拍子で涙目で呟いた娘に、父はそう応えた。今思えば、非科学的なことを信じないのに、随分とメルヘンチックなことを語ったと思う。でもその時の私は、そこに救いを見出した。本当に? 期待を込めてそう尋ねた私に、父は大きく頷いて言った。
『信じる者は救われる。その確率は、かなり高いと思うね』
ほどなくしてそこは更地になり、この四角い箱のようなマンションになった。
この世界では、当然ながら柳のねぇさんは健在だった。久しぶりに見上げるその姿は、懐かしさと同時にあの時の苦しさと切なさも蘇らせた。いま改めて見ると、お屋敷は本当に美しい造りで、無造作に壊したことがまったくもってもったいない。今は古い建物のリノベがすごく流行っているから、この当時のまま残っていたら、さぞ人気になったと思われるのに。
しばらくしみじみと見つめていたけれど、こうしてばかりもいられない。1週間滞在できるという話だったけれど、早めに事を進めるに越したことはない。そうしたら、毎日会えるとして、最大7回のチャンスがあるということになるんだから。こうなったからには、機会は最大限に活かしたいものね。
20年前の風景は今とはだいぶ違っていたけれど、記憶にある3歳のころ、つまり16年前の風景とはさほど変わっていない。家に向かう道に迷うことはなさそうだ。
とはいえ、タイミングは重要。お母さんが庭にいる時間を見計らって通りかからないと意味がない。何度も家の前を行ったり来たりもまずい。監視カメラに見咎められてしまいかねない。
日記では、お茶の時間の少し前、午後2時過ぎくらいが、お庭の手入れの時間となっていた。そのころに何気なく通りかかれば、会える確率は、かなり高い。そうしてさりげなく挨拶して、『素敵なお庭ですね』って言わなくちゃ。
「ていうか、今、何時?」
時計も持たずに飛ばされたので(もっとも、自分の時計がここで役に立つのかは甚だ疑問だけれど)、今が確かに20年前の5月20日なのか、そして何時なのかわからない。日の傾きから、お昼を過ぎたころと思われたけれど。しばらく思案して、あ、そうだ、と思いついた。
家の近くの公園には、時計があった。私が生まれる前からあったかはわからないけれど、とりあえず行ってみよう。もしも時計があれば、家を通りかかるべきタイミングもわかるから―。
いったん方向性が決まると、心がすっと落ち着いた。足取りも軽く、家とは反対方向になるうさぎ公園に向かって歩き出した。
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