散り際にそっと

氷川奨悟

第1話 別れ

ここは東京、武蔵野台地の昭島。真夏の休日、吉谷隆(23)は昭島駅を出てすぐのショッピングエリアにある約束のカフェに片道2時間の電車に乗って辿り着いた。


駅の近くには他にいくつもカフェはあった。しかし、鳴海涼子(24)から指示されたのはそこから一番遠いカフェだった。


それが何を意味するか隆はうすうす気付いていた。


例の場所には、既に彼女が席に座っていた。

約束の時間にはまだ20分も早かった。


いつものデートには遠慮なく遅れてくる涼子が、時間より前に来ることなどそれが最初で

最後だった。

涼子は淡々とアイスティーを飲んでいる。そのすぐ隣には女子高生同士が最近のイケメン俳優について熱く語っていた。


隆は精一杯の作り笑いで


「お待たせ。待った?」


と言うと、涼子の顔も見ずにそそくさと自分の分のアイスコーヒーを注文し、席に着いた。


「話って何?」


隆がそう言うと、涼子は無言でテーマパークのチケットを差し出した。


「ん?どうしたの?」


そして、涼子は初めて口を開いた。


「別れてほしいの。私と。」


そういうことかと隆は思った。


隆には心当たりがあった。


彼女の誕生日を忘れていたのだ。


しかも最悪なことにそれが付き合って1年の記念日だった。


普通のカップルではあり得ないことだったが、当時、就活生だった隆は念願だった第一志望の企業に最終面接で落とされ、それから、内定数がゼロのまま、精神的にも体力的にも疲弊し切っていた。


おまけに、唯一の心の支えであったはずの涼子は会社勤め、かつ、実家暮らしで兄弟が5人もいるため、隆が電話したい時間には電話が出来ず、いざ、デートをする予定だったはずの日も当日になって向こうの都合でドタキャンになるということが頻繁だった。


そのため、隆は、涼子と付き合っているはずなのに、電車内でいちゃつく他のカップルが羨ましかった。


それでも、隆は、涼子の誕生日の後日、食事の際に、サプライズとしてテーマパークのチケットを誕生日プレゼントとして渡したのだった。


その時の涼子はとても喜んでいるように見えたのだが、その日は既に予定が入っていたことに隆は後から聞かされた。


涼子は


「他の人と行って」


と言ったが、


隆は


「他の人って誰だよ?」


と聞き返した。


隣の女子高生同士は構わず話し続けていて、二人の気まずい沈黙には全くもって気付いていない。


隆は


「話し合うんじゃなかったの?」


と口を開くが、


涼子は頑なに


「もう、決めたことだから」


と拒んだ。


隆にはどうすることもできなかった。


彼女は前を向こうとしていた。


それを止める権利は自分にはないと隆は思った。


隆は


「わかった。そしたら俺たち、別れよう」


と涼子に告げた。


隣で話していた女子高生同士がやっと静かになった。


涼子は


「ごめんね。元気でね。」


と言うと、残りの分のアイスティーを飲み干した。


隆は


「俺の方こそごめん。仕事、頑張ってね」


と精一杯に告げた。


今までの恋愛では、片想いか自然消滅しか経験したことのない隆にとって、しっかり別れるということは初めてで、流石にまた彼女を失うとなると涙が零れそうだった。


涼子は


「ありがとう。元気で。」


と告げると、バッグを手に取り、振り返ることなく、カフェを後にした。


そして、隆は、一人、アイスコーヒーを飲み、隆は涙を流し、泣き声はカフェの店内中に響いた。


流石に女子高生達も席を後にした。


その時、男の店員がやってきて、隆にハーブティーを持ってきた。


隆は涙を拭いて、


「あれ?これ頼んでませんけど?」


と言うと、


店員は、


「いえ、先ほどお連れ様から注文を頂いて、こちらのお客様にと言われたので」


隆は、それを聞いてまた、涙を流した。


そして、隆はそのハーブティーを大事に飲み干した。

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散り際にそっと 氷川奨悟 @Daichu06

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