#12「舘島事件」

(前回のあらすじ)

休日、偶然に出会った事で"辰実との馴れ初め"を愛結に聞いた梓。恥ずかしながらも愛結は元彼に二股をかけられていた事や、その時に気遣ってくれた辰実を好きになった事を話してくれた。


最後に、梓は愛結に近々交代するマネージャーの槙村が"恩田ひかり"を凌辱した人物である事を伝えたが、その内容は愛結も別の人物から既に聞かされていたのである。


更に事実を知っていた愛結からは、"この場で一番辛いのは辰実だから、自分がいない時には彼の支えになって欲しい"と頼まれ、梓はそれを受け入れたのであった。


 *


同日午後6時、ダイニングあずさ


「何だガラガラじゃねえか」


店の引き戸を開けて入ってきたと思えば開口一番、饗庭はそんな悪態をついた。その様子を先入りしてカウンター席に座って待っていた辰実は眉をしかめて見つめている。…既に、汗をかいたジョッキが手に握られていた。


「7時から人入りが多くなるそうだから手短に済ませよう」


今から話す事を考えると、人は入らない方が有難い。


カウンターの向こう、小さな調理場で梓は鶏肉を切り分けたり、鍋で料理のタレを煮込んでいる。"私の事は気にしないで下さい"とは言っていたが隙を見ては様子を伺おうとしている辺りに話の内容を気にしているのが分かった。


「お通しです」


辰実の横に座った饗庭に、梓は"お通しです"とタケノコを煮たものに鰹節が添えられた小鉢を置いて去ろうとするが呼び止められ仕方なく後ろを振り向く。


「メニューのここからここまで、あと生中1つ。」

「…………かしこまりました」


饗庭が指さした所は、10品ぐらい名前が書かれていた。若鶏のグリルに牛スジの煮込み、鶏の塩こうじ焼きや揚げ鶏あんかけと、牛モツのポン酢煮込みに厚切り豚肉の生姜焼き、その他諸々と肉料理が殆ど書き連ねられていて茶色みの無いものなんて"だし巻き玉子"ぐらいしか無かった。


「何だ、今日は団子じゃねえんだな。」

「別に饗庭さんの為にしてるんじゃないんですよ」


この日、梓はいつも(実は仕事中以外はあまりしないとか)の団子頭ではなく、長い黒髪をアップでまとめたシンプルな髪型をしていた。それを言われた梓は"あからさまに"不機嫌そうな顔をして、控えめに黒髪を揺らし振り返って調理場に入る。



「次ふざけた事をあの子に言ったら本気でシメるぞ」

「おー怖い怖い」


饗庭の飄々とした態度よりも、梓をからかって遊ぼうとする事が辰実には許せなかった。梓も、タイミングよく辰実が饗庭をたしなめた事で少し機嫌が良くなった。


「絶対に、女の子の店で嫌われてるだろ」

「どうだかな」


この男と、これ以上の無駄話をした所で、ストレスが溜まるだけで何の得も無いので辰実は無理矢理に話を"本題に"持って行く事にする。


"舘島事件"の事である。饗庭との勝負には勝って得られたのは"恩田ひかりに関わる事件の黒幕について話をしてもらう"事であったが、その代わりに辰実は当事者として"舘島事件"の一部始終を話さなければならない。


やっとの思いで勝負を制し、勝った気がしないのはこの為である。条件を譲りに譲って、"勝てば交渉をしてやる"という所にサッパリしない感触があった。



気に食わないのかそうで無いのか、この男が気まぐれな故にイマイチ自分でも感情を把握できていないが、"槙村を始末する"という目的の下で協力関係にあり、その点に関しては一切の悪ふざけを許さないというスポーツマンシップにも則った精神の所為で辰実は饗庭を憎めずにいられない。


…最も、梓はそれが分からないから饗庭に若干の嫌悪感を抱いている様子であった。そこに少なからず"辰実の事が好きだから"という感情が混ざっている可能性を否定できない所に、人間関係の面倒さがあると言って良いだろう。



「食事をしながら嬉々として話す事では一切ないが、しっかり話すよ」

「おう、話してくれ。"舘島事件"の現場で何が起こったのかをな。」


先程までのふざけた様子から一変し、口をつけたビールのジョッキを手に持ったまま饗庭は辰実の方を見ている。注文した"厚切り豚肉の生姜焼き"がカウンターに置かれた所で辰実の回想は始まった。

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