第10話 他者の観点
夜、一日目の訓練を体力の限界まで使ってなんとか終わらせることの出来たソーマは、拠点に入った途端に会議室の机に突っ伏していた。
夕食を食べたら吐くと判断し、体力の回復を最優先にしてたらそのまま眠りに就き、気付けば夜になっていた。
体勢のせいか微妙に疲れがとり切れていない為に起き上がる気にもならず、ソーマはなんとなく机に伏せたままでいる。
「このまま机になりたい…」
「あらぁ?起きたかしら?」
「ゾクシエートか…」
「んふっ!あ、た、りっ!」
「悪いが今はツッコむ気も起きない」
「あら。それは残念ね」
ソーマが軽く現実逃避をしていると、伏せた頭の上から野太い女口調の声が聞こえてきた。
ソーマの知る限りそんな人物は拠点に一人しかいない為に心当たりの人物の名前を呼ぶと、呼ばれた本人、ゾクシエートは色気を振り撒くように肯定する。
体力的にも性癖的にもソーマには全く意味はなかったが。
「それにしても…ずいぶんとやられたのねぇ」
「お陰様で。フレスはまだマシだったが…エフィリスが容赦なさすぎだ…」
「フレスはああ見えて人に合わせることが出来る子だから。エフィリスは…しょうがないわね」
「任せておいて諦めるなよ…」
少しだけ不憫そうに見つめるゾクシエートに、ソーマは顔を上げずに会話を続けていく。
だがエフィリスの扱いに関してはゾクシエートも匙を投げてしまった。
訓練を任せることを許可したわりにエフィリスを改善しようとしないゾクシエートに、ソーマは伏せた体勢はそのままに顔だけ上げて不満を漏らした。
「それもしょうがないわ。アタシは嬉しかったんだもの」
「何が?」
「エフィリスが自分から他人に関わろうとしたことが、よ」
ゾクシエートは本当に嬉しそうに、まるで我が子の成長を温かく見守る母親のように目を細めて言った。
その表情だけを見れば、確かに他の隊員がママと呼ぶのも分かるかもしれないと、ソーマは自然と思った。
「エフィリスは見ての通り、ちょっと感情を出すのが下手で、任務一筋なところがあったから」
「それは…まぁ、わからんでもないが…」
「そんな子が、自分から人のお世話したいって言ったのよ?そしたらひとまず任せて見守るのが、アタシのするべきことってものでしょ」
「………」
「それに、エフィリスがどうしてそんなことを言い出したのか、何となくわかっちゃったもの。あの子は自分では分かっていなさそうだけど」
分かるかもしれない、と言うより、ゾクシエート自身がそれを請け負っているつもりなのだろうとソーマは思い直す。
ゾクシエートの言葉と表情からは、愛情と呼べるものをソーマは確かに感じ取っていた。
子供自身が分かっていないところも推し量ろうとするその姿勢は、まさに愛ある親の行動だと思い、それと同時にソーマはゾクシエートの言葉に思い当たる節があった。
「それは…エフィリスにちっこい時の記憶がないのと関係あるか?」
「エフィリスから聞いたの?」
「話の流れっていうか…詳しくは聞いてねぇけど、ゾクシエートに拾われる前の記憶がないってだけは」
「そう…もうそんなことまで聞いているのね…」
ソーマが自分の予想をゆっくりと口に出すと、ゾクシエートは驚きの表情をした後に、懐かしさと寂しさを混ぜたような複雑な表情をするが、声色はどこか嬉し気な雰囲気を孕んでいる。
その様子から、ソーマは自分の推測がゾクシエートの推察と合っていることを確信した。
「アタシがエフィリスを保護したのは八年前のことよ。その時あの子は自分の名前しか…正確には名前と思えるものしか分からない状態だったわ」
「名前だけって…俺よりひでぇじゃねぇか…」
「そうね。でもそれでエフィリスは少年兵として、アタシ預かりですんなりと入隊出来た」
「昨日言ってた、俺とは状況が違うってのは…」
「みんながみんな、そうってわけじゃないわ。でもエフィリスはソーマに仲間意識が出たんでしょうね。本人は無自覚みたいだけれど」
「だからか…」
エフィリスに記憶がない。
その事実を知らされたことで、ソーマはエフィリスの理由がわからなかった行動にある程度の納得がいった。
記憶が欠けていることを知った途端に名前を教えてくれたことも、妙に記憶について食い下がってきたことも、全部共感、あるいは同情を覚えたのだろうと、ソーマは結論付ける。
「エフィリスはどういう状況で保護されたんだ?」
「それは…」
「それは?」
「……んふ!これ以上乙女のヒミツを話すのはダメね。知りたければ自分で聞いてちょうだい」
「…まぁそうか。人から聞くのも違うな」
ソーマはエフィリスのことを知る機会だとゾクシエートにさらに事情を聞こうとするが、ゾクシエートにはぐらかされて考え直す。
エフィリスが自分から言おうとしたことを拒否したのに、他人から聞き直すのは卑怯だと思ったからである。
「あら。やっぱり素直なのねん」
「素直っつうか、諦めが早いだけだ…よっと…」
「ふぅん?そうは見えなかったけど、そう言うことにしといてあげましょ」
あっさりと引き下がったソーマに対し、ゾクシエートは感心した表情で褒めるが、ソーマはそれを自分の悪癖だと言った。
そしてなんでもないような顔で身体を起こすソーマを、ゾクシエートは微笑ましく見つめた。
「そりゃどーも。お礼ついでに質問いいか?」
「なぁに?アタシの好み?」
「聞いたら聞いたで全力で反対方向に進む」
「嫌がられると燃えるわん」
「怖いこと言うなよ…」
ソーマは身体をほぐしながらゾクシエートに重ねて質問する許可を求めた。
軽くなった雰囲気のせいか、ゾクシエートは身体にしなを作りながら茶化すように聞き返し、ソーマはそのノリに冷めた態度で返した。
「それで?聞きたいことってなにかしら?」
「どうして俺のことを受け入れたんだ?」
「あら、そんなことが気になるの?」
「そりゃまぁ…な」
「細かいこと気にすると、モテないわよぉ?」
「うっせ。一応真面目に聞いてんだ、茶化すなよ」
「うふふ、冗談よぉ。って、それが良くないのよね」
正面に座って机に片肘を付けたゾクシエートは、改まった様子でソーマに尋ねるものの、ゾクシエートが思ったよりも軽い質問で驚きを見せた。
ソーマとしてはずっと疑問に思ってたことで結構意気込んで聞いたのだが、ゾクシエートに軽く扱われて少しだけ憤慨する。
「まっ…単純に放っておけなかったのよ。他の子達と一緒」
「怪しいのにか?」
「怪しくてもよ」
「……拾ってもらった俺が言うのもおかしいかもしんねぇけど、危機管理が甘くね?」
「そうかもしれないわね。でもアタシ、これでも人を見る目はあるつもりよ?」
「そのうちの一人に殺されそうな俺としては、なんとも言えねぇなぁ…まぁ、対応は正しいようにも思うけど」
本当になんてことないかのように、ゾクシエートは肩をすくめながらあっさりと理由を話す。
客観的に見て自分の立場を理解しているソーマは、余計な言葉だと思いつつも苦言を呈するが、ゾクシエートは分かっているようだがやめるつもりはない姿勢を見せた。
「ルルのことね。あの子も別に悪い子じゃないの。ただ怖がりなだけよ」
「怖が…り?」
「えぇ、あの子は怖がっているのよ。いろぉんなことから」
「全然そうは見えなかったが…」
「うふふ。アナタも仲良くなればきっと分かるわ。ルルがとっても可愛い女の子だってことが。もちろん、他の子達とも仲良くしてちょうだいね」
「俺だって出来るならそうしたいけどな」
ソーマの落ち込むボヤキに、ゾクシエートは擁護するようにルルメルの性格をそう評価した。
だがソーマからすれば今までの言動とはまったく結びつかず、その後のゾクシエートからの頼みも自信なく返すしかなかった。
「今はそれでいいわ。歩み寄る一歩は、どちらかが歩み寄りたいと思うことだもの」
「気が遠くなる話だな…」
「男の子だもの、少しは根性見せなさい?」
「今日だけで…いや、昨日からずっと根性出してるつもりなんだが」
「うふふ。限界は自分で決められるけど、必ずしもそれが終わりとは限らないわよ」
「限界を出し続けろってか。ずいぶんと厳しい話だな」
「軍隊がそう甘いわけないじゃない」
「そりゃそうか」
難しい目標を掲げさせつつ、それでも言葉ほど押し付けるような雰囲気がないゾクシエートに、ソーマは妙な心地よさを感じていた。
強制させようとしている言い方ではなく冗談っぽく言っているようにも思うのに、何故だかやってみようという気になってくるのは、ゾクシエートの持つ軽い空気感のなせる業だろう。
「でもアタシ、アナタならすぐ仲良くなれるんじゃないかと思うわ」
「どうだか」
「フレスとエフィリス、二人とも仲良くなれたじゃない」
「フレスはともかく、エフィリスは微妙だなぁ…」
なんとも無責任に感じられるゾクシエートの発言に、ソーマは少しだけげんなりとした。
フレックスは確かにソーマの元の世界に興味が湧いたようで、仲良くなれたと捉えることが出来るが、エフィリスは別段仲良くなれた気はしていない。
むしろ自身の身体能力の無さに幻滅されていないか、ソーマにとっては心配の種になっていた。
「うっふふ。アナタはここで倒れてて知らないかもしれないけれど、夕飯の時のエフィリスはなんだか機嫌良さそうに見えたわ」
「そう…なのか?」
そんな心配を消すかのようなゾクシエートの言葉に、ソーマは嬉しさよりも驚きが勝った表情で聞き返した。
まだ付き合いの浅いソーマには、ほぼ無表情に見えるエフィリスの機嫌の良い表情と言うのが想像出来なかったからだ。
「えぇ。それにいつもは黙々としているのに、今日は話しかけてくれたのよ?もちろんアナタのことで」
「まじか…!なっ、なんて言っていたんだ!?」
「んふふ。そんながっついちゃってぇ、可愛いわねぇ」
「うっせるっせ!今のところ好感度がそのまま俺の生存確率みたいなもんだ。気になりもするわ!」
不思議に思うソーマを放っておき、ゾクシエートはそのまま話を続けてエフィリスの様子について語る。
自分が話題に上がるとは思わなかったソーマは、机に身を乗り出してゾクシエートに詰め寄った。
「ふふっ…まぁ素直なご褒美に教えてあげるわぁ」
「おうっ!」
「エフィリスが話してくれたことはねぇ…」
「ごくっ…」
意味深な笑い顔と共に、ゾクシエートは妙に長い溜めを作りつつソーマに語り掛ける。
「『ソーマは鍛えがいがあります。引き続き、鍛錬を積ませます』と言っていたのよぉ!」
「それで…?」
「ん?それだけよ?」
「えっ…?」
「え?」
「「………」」
しばらくの沈黙が訪れた。
ゾクシエートが嬉しそうに話すエフィリスから聞いた言葉は、ソーマからするとただの業務連絡のように思い、ともすればただ低評価を食らっただけである。
その現実に、沈黙の後、ソーマは静かに机に顔を伏せた。
「なんで落ち込むのかしら?」
「いや…それ…俺が不甲斐ないって言っただけじゃね?」
「んふふっ!違うわ、全く違うのよ。すごく嬉しそうだったわ」
「今の言葉と嬉しそうって感情が結びつくと、俺がただ地獄見るだけじゃね?後やっぱり不甲斐ないって思われてる感が払拭出来ねぇ…」
「あらぁ…まぁそのうち分かるようになるわよ」
「その前に俺が死なないことを願うよ」
ゾクシエートは、嬉しく思っている自分とは全く対照的な態度のソーマを不思議に思った。
エフィリスがいかに嬉しそうだったかを伝えても信じる様子の無いソーマに、ゾクシエートは諦めて立ち上がった。
「アタシも死なないで欲しいわ。だからこれ」
「あ?」
立ち上がったゾクシエートは、本心からの言葉を言いつつ、ソーマの前におにぎりの乗った皿を差し出した。
「死なない為にまずは腹ごしらえよ」
「…ありがとな」
「はぁい。それじゃあアタシは寝るわぁ」
「おう」
「アナタも、それ食べたら身体洗って寝なさいね。おやすみ」
「わかった。おやすみ」
ゾクシエートはそう言い残し、そのまま個室の並ぶ廊下に向かって行った。
ソーマはゾクシエートを見えなくなるまで見送った後、ゆっくりとおにぎりに手を伸ばし、口に運んだ。
「……うめぇじゃん」
その後ソーマは、身体が空腹というのを思い出したかのように腹が減り始めた為、夢中になっておにぎりをすぐに食べ終えた。
そして疲れた身体に少しだけ気力が戻ったのを感じ、その気力を使ってゾクシエートに言われた通り、身体を洗ってから眠りに就いたのだった。
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