第728話  個人差?

 屋敷中の誰もが知らなかった、母さんの妊娠。

 この場に集まった、我が家の関係者一同は、温かい拍手でそれを喜んでくれた。

 こんなに使用人達に愛される父さんと母さんって、凄いなあ。

 ってか、マジで誰も知らなかったのか…隠し通した母さんもすげえけど…。


「はっ! お、お、おお…奥様!」

 熱烈な拍手の波が収まった瞬間、筆頭執事セルバス・ジェンさんが、何かに気付いたように母さんに声を掛けた。

「あら、セバス。何かしら?」

「お、お、お、おめでとうございます…」

 何だ、個人的にお祝いの言葉を贈りたかったのか。

「あら、ありがとう」

 母さんもニッコリ笑って、それに応える。

「あ、いや、そうでは無くて…」

 ん? セルバスさん、どうした?

「そうではないって…セルバスは祝ってくれないのかしら?」

 何かあざといポーズで母さんが言ってる…絶対に母さん、執事さん虐めてるだろ?

「いえ、そうでは無くて! 大変喜ばしいのは間違い御座いませぬが、そうでは無くて!」

 ああ、可哀想なセルバスさん。もはや母さんの玩具だ。

 よく見て見ろ、母さんがわる~~~い顔で笑ってるぞ?

「あら、それではどういう意味ですの、そうでは無いと言うのは?」

 益々母さんの目が楽しそうに細められてる。

 ああ、憐れセルバスさん。

 めっちゃ汗ダラダラのうえ、緊張なのかブルブル震えちゃってるよ。

「え、あの…私の言いたかったのは、奥様はご懐妊されたのですよね?」

「ええ、そうよ。おめでたいでしょう?」

 母さん、もしかしてまた振り出しに戻すつもりか?

 頑張れ、セルバスさん!

「あ、はい…おめでたいです。では無くて、私が言いたいのは、お身体の具合は大丈夫なのかという事です!」

 お、ちゃんと言えたか。頑張ったなあ、セルバスさん。

「ええ、問題ありません」

 きっぱりと言い切る母さん。

 扉の外で母さんのおめでたを喜んでいたメイドさん達からも声が掛かる。

「奥様、ご懐妊の初期は…そのぉ…悪阻とかで大変だと…」

 うん、妙齢の美女メイドさんがもじもじしながら、恥ずかしそうにそうに言葉をかける姿は、何だか俺の中のいけない扉を開きそうになるぞ?

「ええ、大丈夫よ」

 またもやきっぱり言い切る母さん。

「えっと、私の母は、料理とかの匂いで吐き気がしたとか言っておりましたが…」

 さっきのメイドさんよりも、ちょっと若いメイドさんが、おずおずと手を上げて発言。

「全然、心配いりません」

 何か、母さんは腰に手を当てて、めちゃくちゃ威張って? そう言った。 


 いや、だけどなあ…俺も聞いた事があるぞ?

 前世での嫁は、長女を妊娠した時、もの凄く悪阻が酷かった。

 炊飯器の蒸気の匂いでさえ、吐き気を催したとか。

 味覚も変わったのか、酸っぱい物とか甘い物を欲しがってた事は、今でも鮮明に覚えている。

 まあ…レモンを絞ってそのまま飲むとか、あまつさえ齧りついたりもして、どう考えたって普通じゃ無かったからなあ。 


「母さん、それでも食生活は変えなきゃ駄目だぞ? 特に酒はだめだ。お腹の子供に影響するからな?」

 ついつい母さんにそう言うと、母さんはニッコリ笑って、

「もう止めてますよ、トール」

 ほっ? 確か、ドワーフの村で造られている米酒(要は日本酒)を、父さんに付き合ってちびちびと飲むのが好きだったと記憶していたが…?

「トールちゃんの屋敷から帰って来てからは、一滴も飲んでませんから安心してください」

「ちょっと待てーーい! まさか母さん、俺のとこに来た時に、妊娠してるって分かってたのか!?」

 おいおいおいおい! そんな身体でダンジョンアタックとかしてたんじゃねーだろーなー!

「トールちゃんのところに行く前に、アレ? って感じはしたけど、はっきりお医者様に見てもらったのは昨日の事よ?」

 これには俺だけでなく、嫁ーずもナディアも吃驚仰天! だって、一緒に行ってたもんな、パンゲア大陸に。

「あ、怪しいとは思ってたのかよ! それで大暴れしてたのか!?」 

「ええ、適度な運動は必要ってお医者様も言ってるわよ?」

 いや、あんた昨日医者に診てもらったんだろうが!

「適度じゃねーよ! 過激だよ! 妊娠初期は流れやすいんだから、注意しろよな! そんな状態でワイバーンと戦うとか、正気じゃねーよ! お散歩程度にしとけよ! ってか、誰かベッドに連れて行け! 安静にさせろ! 急げ!」

 思わず怒鳴り散らしてしまった俺だが、

「何を言ってるの、トールちゃん。あれぐらい適度な運動です。そもそも、トールちゃんが生まれる直前まで畑仕事してたわよ?」

「へっ?」

「トールちゃんだって覚えてるでしょ、コルネちゃんの時。あの時も悪阻も無かったし、生れるまでお仕事してたでしょ?」

「ほへっ?」

 よく覚えてないけど、確かにコルネちゃんの生まれる前って、母さんずっと普通だった気が…お腹だけは大きくなってたけど、普通に働いてたな…悪阻も見た記憶がない…。

「そ、そう言われてみれば、そうだった気もしないでも無い様な…」

 その母さんの言葉に、嫁ーずもメイドさん達も、またまた吃驚仰天。

「こんな物は個人差もあるのよ。母さんは全然平気だから、いつも通りにして頂戴」

 個人差って、確かにそうだけど…。

 嫁ーずも、『流石はお義母様です!』とか言って、尊敬の目で見てるし、執事さんやメイドさん達使用人も、半分あきらめた様な尊敬する様な、微妙な目をしていた。

 そんな中、やっぱりこの人はしっかりと母さんに向き直して、苦言を…

「そうですか、奥様…もう我々は何も言いますまい。しかし、大事大事なアルテアン侯爵家の御子を身に宿しておられるのです。どかお身体にだけはご注意くださいませ。何か御座いましたら、何時いかなる時でもかまいませんので、必ず声をおかけ頂きますよう、お願いいたします」

 うん、あんまり苦言じゃ無かったかも…。

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