現実世界の落し物
碧羅
第1話
Ⅰ.
「今日は風が強いな──」
薄暗い夜の駅のホーム。
灯りがカチッ……カチッ……と点滅、街中も街灯が遠くに見えるだけで、闇の中のようだ。
その中に黒い外套に漆黒の、かつ癖毛の髪をなびかせ、炎が灯ったゴルトランタンを持った女性が呟く。
「──ん、来るね」
顔を右側に向け、目を細める。
と、同時に電車がゴォ……と音を立てながら速度を緩めて、ホームに停った。
ドアが開くと同時に、女性は5つある車両を素早く確認していく──と。
「キミ!
ここから出て!」
とある高校の制服を着た少女が1人、驚いたように立っていた。
グッとその少女の腕を掴むと、勢いよく外へと引っ張り出す。
2人が外へ出たと同時にドアが閉まって、先程とは違って音もなく出発した。
「さて、頭の中は混乱してるだろう。
ここはどこか、何故ここに来たのか──。
状況を飲み込めるまでしばらくそこのベンチで休んでな」
ゴルトランタンを3人がけベンチの方に向けるも、少女は固まったまま。
「私は『ここ』の人間じゃないから安心しな。
といっても証明は……できないけれど」
ドサッとベンチの端に座る女性は、一方的に喋る。
ゴルトランタンを真ん中に起き、足を組んだ女性はそーだ、と少し前のめりになる。
「私は
職は一応国家公務員……あ、名刺を渡しておこうか。
そしてキミ、ここは何処か分かるかい?
若い子なら分かると思うが……ああ、無理に話さなくていい。
まだ混乱してると思う」
少しボサついた髪の毛の隙間から、金色の瞳を覗かせる蒼空。
蒼空はよいしょ、と立ち上がって名刺をサッと制服の胸ポケットに突っ込む。
ニコ、と笑う蒼空の顔を見た少女はようやく口を開く。
「え、と……私は橘
ここは……『きさらぎ駅』ですか?」
せいかーい!と再びベンチに座りながら明るく言う蒼空とは正反対に、陽の顔は暗くなっていく。
「何でこんなところに……」
「怪異ってのは、人間なら連れて来るのは誰でも良いんだよ。
人間は恐怖を抱きやすいから、怪異にとっちゃァ良い『餌』だ」
ほら座りな座りな、と言う蒼空から少し離れてベンチに座り込む陽に、諭すような口調で話す。
そんな蒼空を、陽は怪しむようにちらりと見る。
「怪異って──きさらぎ駅のこと?ですか?」
そーだよーとランタンの中の小さくなったロウソクを取り替える。
蒼空はゴルトランタンを見つめていたが、ふっと顔を上げて
陽の方を見る。
「『還り』の電車はまだ来なさそうだね。
何か聞きたいことでもある?」
人懐っこい笑顔を見せ、ほらほら〜と隣にスッと移動する。
陽は困ったように、えーっと、と空を見る。
「んー、じゃあ私の話でもする?
きさらぎ駅の話は別にすることないんだよな……といっても私の話は興味無いか」
「……聞きたいです」
即座に返事をする陽。
そーう?と蒼空は首を傾げ、ゴルトランタンを抱えるように持つ。
「まぁそうだね……私はこういう怪異に巻き込まれた人間を元の世界に還す仕事をしている。
国家公務員とさっきは言ったが……もちろんインターネットで調べても、私のような仕事をしている公務員は出てこないだろうね。
だって『私の所属は存在を消されてるから』」
一旦言葉を止める蒼空に、消されてる?と眉をひそめる陽。
そう、と頷く蒼空の金色の瞳に少し影が差す。
「私の所属は国家公安委員会の特別の機関『怪異屋協会』。
怪異に巻き込まれた陽ちゃんだけに教える特別情報さ。
存在しない霞ヶ関0番地にあるんだが──ま、『怪異屋協会』はどこの庁舎にあるか分からないってこと。
事実、怪異屋協会の庁舎は他の省庁の公務員も知らない」
蒼空はしーっ、と秘密だよ、という風に右手を自身の唇にあて、陽の唇にそのまま右手を添える。
もう少し聞きたい?と優しく問いかけるとうん、と陽は頷く。
「怪異屋協会に所属する怪異屋──つまりは私のような人間のことだが。怪異屋ってのには三つ種類がある。
一つ目は怪異屋・滅。
こいつらは最終手段。
怪異を殺すことを目的とする奴ら。
二つ目は怪異屋・共。
怪異屋としてはこっちがメインになるかな。
協力的な怪異と共に怪異を説得、力を封じ込めるなどして結果的に封印したり、怪異屋に協力を取り付ける。
三つ目が私が担当している怪異屋・還。
きさらぎ駅だったり、八幡の藪知らずだったり、『固定された』『怪異自身からは動かない』怪異に迷い込んだ人間を元の世界に還す怪異屋。
こっからは流石に機密情報かなぁ〜」
言い終わると同時に、ゴルトランタンのロウソクが不安定に揺れる。
「おっ陽ちゃんはラッキーだね。
このゴルトランタンの焔が揺れたら、元の世界へ還れる電車が来る合図だ。
こんなに早く来るのは珍しい」
スッと立ち上がり、蒼空は左の方を向くとその視線の先から、電車が走ってきた。
電車のドアが開くと、蒼空は早く乗って、と陽の腕を軽く引っ張って背中を押す。
「あ、あの……蒼空さんは乗らないんですか?」
「乗らない。
陽、二度とこの駅に来るんじゃないよ。
怪異に遭ったらまた怪異に狙われやすくなる。
また何かあったら、その名刺に書いてある怪異屋協会に電話するといい。
その時は私の紹介だと言えば通してくれるから」
口早にそう告げ終わると、ドアが閉まる。
スゥ、っと電車が走り始めると、ドアの前に立ち尽くしていた陽の目の前が段々と明るくなり始め、夕方のいつも見ている風景に戻っていった。
「なんだったんだろ……きさらぎ駅に行っちゃって……怪異屋って……あっ」
混乱する頭で、胸ポケットの名刺を取り出す。
『佐伯 蒼空 携帯電話:090-xxxx-xxxx』
簡素な内容の名刺を裏返すと、手書きの文字があった。
『怪異屋協会 怪異対策部 怪異対策企画課
電話番号:099-xxx-xxxx(内線:yyy)
怪異対策部 怪異屋還課
➥佐伯 蒼空の所属課です』
きさらぎ駅──怪異なんて実在しないと思っていた。
事実、今も理解が追いついていない。
しかし、この名刺があることが怪異の何よりの証拠。
「怪異、か……」
名刺を見つめながら、呟く。
願うなら、二度と怪異に遭遇したくない。
『怪異に遭ったらまた怪異に狙われやすくなる』
脅すような言葉が記憶の表面に浮かび上がってくる。
怪異に狙われやすくなる……。
「すぐに電話できるように登録しておかなきゃかな」
番号を登録すると、電車がとある駅のホームに到着した。
──うん、何も考えないでおこう。
──その時になったら考えればいいのだ。
Ⅱ.
「橘 陽を元の世界に還した。
あとは協会本部に報告だけだな」
蒼空はさて、とベンチのすぐ横に置いてある鞄からタブレットを取り出す。
「んーやっぱりこのタブレットと無理矢理電波繋いでて良かったな」
足を組み報告書を書きながら、口笛を吹く。
──と、そこに電車がゴォ、という音を立てながら入り、中からスーツ姿の男性が出てきた。
「おい、佐伯」
そんな男性に目もくれず、報告書を書き続ける蒼空に、はぁ、と男性はため息をつく。
「……ああ、志河代理。
珍しいですね、ここに来るなんて」
今気付いたと言わんばかりの態度
神経質そうな男性は佐伯 蒼空の直属の上司である課長代理の
「別に珍しかない。
週一でここに来ているだろう」
「そうでしたか?
ここにいると時間感覚が狂いますね……で、今回は何の用でしょう?」
あのさ、と志河はため息をつく。
「俺の娘の
佐伯現地に赴く時に八澄がどこにいるか手がかりを小さいものでも良いから見つけてくれと、頼んでおいたのは覚えているか」
志河 八澄──とあるネット掲示板に「はすみ(葉純)」として書き込んだ、きさらぎ駅最初の被害者である。
そ〜でしたね〜と緩く返答する蒼空は、カバンからドッチファイルを取り出す。
「相変わらずそのカバンは四次元だな……」
「このファイルでいっぱいいっぱいですけどね。
えーっと志河 八澄は確か───」
悠に200ページは超えるであろう書類をパラパラとめくり出す蒼空。
その手をじっと見つめる志河の目は様々な感情を持っていた。
と、あるページで手が止まる。
「──ん、志河 八澄のものと思われる学生証を見つけていましたね。
すっかり忘れていた──いや冗談、忘れてなんていませんでしたよ。
『令和2年6月20日
志河 八澄の名義の学生証がトンネルの入口付近に落ちていた』
ああ、そんなに焦らなくても、現物はここにありますよ」
今にも掴みかからんいきおい勢いの志河を宥め、ドッチファイルに挟み込んでいた学生証を渡す。
「明日協会本部へ報告に行こうと思っていたんですけど、代理が来てくれて助かりました。
取り敢えずこの紙は渡すので報告は代理に頼みましたよ」
嫌味っぽい口調で、ドッチファイルから書類をぬき、学生証と共に渡す。
志河 月等の表情は、悲しくそして嬉しいようなものだった。
志河はしばらく学生証を眺めていると、少し目を細めた後に目を見開き、何かに気付いたように手を口元へと持っていく。
「佐伯」
「どうしました」
変わらず、足を組んだままの蒼空はこてん、と首を傾げて次の言葉を待つ。
「八澄はかなりの癖毛で漆黒の髪」
「そうですね」
「八澄は金色の目」
「代理の奥様のお母様が金色の目で──隔世遺伝だとか」
「きさらぎ駅にいると時間感覚が狂う──つまり時間が一定では──」
「代理」
そこで言葉を制した蒼空は言いたいことは分かった、というような声音だった。
その上で早とちりは禁物である──、と首を振った。
「代理が想像したように、志河 八澄がきさらぎ駅にしばらく滞在したために、想定外の成長をした──そして現実世界に佐伯 蒼空として帰ってきたということも考えられなくもないですが」
一旦言葉を切る蒼空に志河は口を噤んだ。
その蒼空の目は、一切感情がないものである。
「私は娘さんではないですよ。
そもそも私が協会に入った際には住民票も身分証明書も提出したでしょう。
私が彼女でしたら普通に名乗って帰ってきます。
一から別人として生きるために手続きやら面倒なことはしない」
はぁ、と目を瞑ってため息をつくと、志河は目を伏せて小さな声で
「──すまんな」
とだけ言って黙ってしまった。
「怪異は人を狂わせますから、ね。
──ん、還りの電車が来ますよ。
さっさと乗ってください」
邪険そうな顔をすると同時に、電車が駅へと入ってきた。
志河は最後にもう一度、すまないと呟き、電車の方を向く。
蒼空は立ち上がって志河の背中をそっと押す。
「娘さん、私が探し当てますよ。
だから安心してください」
その一言に、志河は少しの違和感を抱きながら、現実世界へと戻っていった。
Ⅲ.
志河 月等がきさらぎ駅に赴いてから1週間が経った。
駅から帰った翌日、突如としてきさらぎ駅は『存在が消えた』。
存在が消えたとは、言葉そのままにきさらぎ駅へ行く手段がなくなり、ネット世界からさえ消えていた。
佐伯 蒼空へと電話をするも、一切繋がらない。
きさらぎ駅の存在は、怪異屋協会の中のデータだけとなってしまった。
後に佐伯 蒼空の戸籍を問い合わせると、そのような人物はいないと返答が来た。
きさらぎ駅と佐伯 蒼空の行方を知る者はいない。
End.
現実世界の落し物 碧羅 @hekiheki
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