012
「居たんですか、いや、ご無沙汰してます」
つい口をついて出た言葉を取り繕って、酒井は
「居たわよ。なに、岩崎から聞いてないの?」
「いや、はい、管理官からは、東華貿易に行ってこいとしか」
「岩崎が手ぇ抜くとは思えないから、マンシュタインか……まあいいわ。あたしもお茶、もらうわよ?」
言って、蘭円は部屋の隅のキッチンエリアの、作り付けの食器棚から適当なマグカップとティーパックを取り出し、募金箱に小銭を入れる。
その手慣れた様子を見ていた酒井は、隣の蒲田が、先ほどの円の言葉を信用したのか一口だけコーヒーをすすり、直後に親の敵みたいな勢いでコーヒーシュガーをマグカップにこれでもかと連続投入し、なみなみとミルクを注いで攪拌し始めたのに気付く。その様子を見ながら、警戒しつつ自分も一口すすった酒井が顔をしかめたのを見て、円は、
「……濃いでしょ、ここ、インスタントはベトナムコーヒーしか置いてないのよね。ブラックだと相当きついわよねぇ。あたしは苦手なんだけど」
自分用のマグにティファールのポットからお湯を注ぎながら、言う。
「人気商品なんですが、ダメですか?」
「まあ、好きな人は好きなんだろうけど、あたしはダメね」
商人の顔で円に聞く
「ところで、そろそろ仕事の話、しませんか?」
「……そうね」
円が居住まいを正す。
「岩崎から、どこまで聞いてる?」
「東華貿易で窃盗事件があったらしいから、事情を聞いてこい、それだけです」
酒井が思い出しつつ答える。岩崎からその話が出たのは昼休み明け、鈴木班長経由での指示だった。昨夜のことで協会に連絡を取った、その返す刀での情報提供だったとの事だ。
「地元警察からの正式な依頼としては、まだ何も受けてません」
「そっか……説明してあげて」
円が、東大に話を振る。
「丁度一週間前の日曜深夜、月曜未明と言うべきですか、弊社の倉庫と、この事務所に泥棒が入りました。警備会社から連絡があり、警察にもすぐに盗難届を出しました。盗難品目のリストはこちらです」
言って、東大はステープラーで閉じた薄いファイルを差し出す。
「警察では窃盗事件として捜査中という事ですが、盗られた品目が腑に落ちなかったので「協会」に連絡を入れました」
酒井はその薄い盗品リストを応接セットのテーブル上に開き、蒲田と共に目を通す。
事務所で盗られたのは顧客リストと取引記録の入ったパソコン、倉庫で盗られたのは……等身大の可動マネキン数体とその部品、さらに、医療用の義手・義肢。
リストを見て顔を曇らせた酒井と蒲田に気付いたかどうか、東大が説明を続ける。
「これらは、弊社が特定の顧客に納入する特殊なアイテムです。金銭的には保険があるのですが、納期と信用の方が大問題です」
「……その特定の顧客というは、聞いても良いのか?」
「守秘義務はありますが、公安関係と言うことであれば、特例として令状をお出し頂ければやぶさかではありません。申し上げておきますが、弊社の業務としては取引上の違法性はありません。正規の方法で通関手続きを行っております」
薄笑いを浮かべた顔で、東大が断言する。つまり、これらの輸出については全くもって合法であって、顧客がそれをどう使うかは全く関わり合いはない、東華貿易のあずかり知らぬ事である、そういう事だと酒井は判断する。
酒井は、酒井自身は直接見てはいないが、件のノーザンハイランダー号の船倉で北条柾木や西条玲子、その従者が遭遇した「人形」の事を思い出していた。
「弊社は、後にも先にも、違法な取引は行っておりません。先日の件も含めまして」
酒井の顔色を読んだのだろう、東大が付け足す。その一言が、酒井の琴線に触れる。
「……そんな怖い顔で睨まないで下さい、法的にも弊社に違法性がないことは証明されてます」
「酒井さん……」
酒井は、蒲田にたしなめられ、初めて自分が思わず顔を上げて東大の目を見ていた事に気付く。
「いや、済まない……」
誰にともなく詫び、酒井は体の力を抜く。
「幸か不幸か、確かにあの一件で、通関の申告漏れ以外に違法行為は告発されていないわ」
紅茶を入れたマグカップから唇を離して、円が言う。ノーザンハイランダー号の一件では船長船員の証言は揃って「公安を名乗る何者かに脅迫され、昏睡させられた」であり、船側には過失無し、積み荷の再検査でも、積み荷のマネキンに若干の申告数との差はあったものの、「破損による」数量の下方修正が行われたため違法性は無し、牛鬼その他は最初から「存在しない」ので問題にならず、だった。井ノ頭菊子と緒方いおりの拉致監禁についても、そもそもの被害届が出ていないため立件されず、抜き打ちの港湾局の立ち入り検査で出航が二日遅れた以外、イレギュラーな事態は何も起こらなかった、と言ってよい。
「法的にはそうかも知れませんが、「協会」としてもそれで決着だったのですか?」
蒲田が口を開く。酒井も、その蒲田の質問で、最初から感じていた違和感の正体を掴む。件の事件では敵対関係であったと言っても良い東大と蘭円、この二人が何故、今、隣り合って座っていられるのだ?
その質問に、円は、笑顔で答えた。
「「協会」の本来の目的は、当事者同士による利害関係の解決であって、誰かを罰したり滅ぼしたりではないわ。この場合、東華貿易は利益の追求の結果として迷惑行為を行った、だから、それについて謝罪と補償を行い、以降はそのような迷惑行為を行わないよう確証が取れる対策を打って経過観察、というのが「協会」の結論よ」
「具体的には、井ノ頭家に対しては相応の賠償を行っております。牛鬼の件については、弊社は顧客に対し場所を提供し、顧客からその対価を得たのみ。人道的な観点から、「協会」に引き取られた後の牛鬼の治療等については、相応の援助を行っております」
いけしゃあしゃあと良いやがる。酒井の脳裏に、牛鬼の声なき声が甦り、はらわたが煮え始める。
「この男はね、利益を追求することだけが目的だから、倫理観とか求めちゃダメよ。だから「協会」としても、いくつかの仕事をこいつにやらせて、利害関係ベースでコントロールする方法を採ることにしたのよ」
「……それで、いいんですか?」
言葉が出せない酒井の気持ちを代弁するかのように、蒲田が聞いた。
「それしかないのよ、この手合いには、ね。あたしも伊達に長生きしてないから。この手合いは、改心とか、善意とか、期待するだけ無駄よ。自分の命より利益が大事、死ぬより損する方が辛いのよ。だから、こっちについている方が理がある、不義理をしたら大損すると思い知ってもらうのが一番なのよ」
「これは手厳しい」
東大が笑う。邪気もなく。
酒井は、人同士であっても、分かり合えないと言うのを、理解出来た気がした。
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