ヨネジの事情――4話

「話は終わったか? 仕事だ」

 重苦しい空気の中、ゲンの声が聞こえた。

「おかえり、ゲン爺」

 何でもない声でキビキは言う。


「あぁ。地面に潜ってみたが、どうも根にでっかい魔物石が絡んでやがる。あれを壊せば霧も晴れるだろう。それから、少し急いだほうがいい」

「木が暴れてるのか?」

 キビキは聞きながら、それにしては静かだなと思った。

「いいや。大人しいもんだ。俺たちがくたばるのを待ってんだよ。この霧な、精神を弱らせる効果があるらしい」

「精神を? あ!」


 ゲンの話を聞き、キビキは思い出した。

 この葡萄酒の湖を囲む林に入ると、いつも物悲しい気分になるのだ。過去を思い出し、自分の臆病さをほじくり返し、生きている意味がないような気になってしまう。


「分かったか? だから話の続きは仕事を片付けてからにしろ」

 ゲンがそう言うと、話しを聞いて慌てたかのように地面からボコボコと根が飛び出す。キビキたちを勢いよく殴りつけようと動き回る根や枝。

 キビキは本体の位置を知ろうと近づくが、樹齢百五十年のその木は大木に成長していて上手くいかない。


「お二人さん、ちょっとばかし気を付けるんじゃぞ」

 ヨネジがそう言うと同時に、ゴオォ! と嵐の夜のような音がした。

 そして次の瞬間、木々をなぎ倒す勢いの風が霧を連れて吹き抜けた。

「霧はすぐに現れるでのぉ」

 ヨネジが言う。


 しかしキビキには十分だ。パッと飛び出しあの大木の根に取り付く。その太い根の中で、赤黒い魔物石がきらりと光る。

 その大きさは人の顔の倍。さらに、キビキが手を伸ばすとメキメキと根を広げて魔物石を隠してしまった。


 また漂い始めた霧の中、キビキは二人に叫ぶ。

「魔物石あったけど根の奥に隠された! それにデカすぎるんだ!」

「抑えてろ、キビキ! 俺が壊してやる」

 ゲンが叫ぶと霧の光が一箇所に集められていく。おそらく、そこでゲンが魔素を練っているのだろう。

 キビキは根の中がゲンに見えるように、大木をドカンと横に倒した。するとヨネジの声が聞こえる。


「そこじゃな? ワシが根をひん剥いてやろう」

「そりゃ助かる」

 ヨネジの言葉にゲンが返事をする。しかし、大木は自分を押さえつけているキビキごとポーンと空へ飛びあがってしまった。

「真上に飛んだぞ!」


 キビキがそう言うと、ヨネジは風を纏う杖を構えて寸分たがわず追って来た。

「ほぅ。こりゃあ硬いのぅ」

「俺もやるぞ。それなら出来るだろう?」

「そうじゃな。では行くぞ」


 ヨネジの合図で二人は下に向かって、分厚い根を叩き割る攻撃を放つ。

 根が再生しないうちに、タイミングよくゲンが魔物石を壊さなければまた初めからだ。

 そして大木はズドン! と大地を震わせ、ゲンの目の前に落ちた。


「巻き込まれても文句言うなよ」

 ゲンが魔素を纏って太陽のように光り輝く斧を振り上げる。

 慌てて逃げるキビキだったが、ゲンの振るう斧から魔素が津波のように周囲へ襲い掛かる。


「間に合わねぇ……!」

 キビキは慌てる。

 とは言え怪我をしても少し寝ていればキビキは治るし、手足がもげても死ぬ事はない。

 けれど怪我が治った後は必ずより鬼らしくなっているのだ。それでも間に合わないのは仕方がない。


 まぁいいか、とキビキは諦めて力を抜いた。

 けれど魔素はキビキに襲い掛からない。キビキの前にヨネジが立ちはだかり、水の防壁で守ったのだ。


 パリンと魔物石の砕ける音がして、段々と霧が晴れていく。

 大木はぽっかりと抉れ、枝は折れ、葉は落ちている。

 地面はあちこちひっくり返され穴が開き、湖は激しく波打つ。

 尻もちをつくキビキの前には荒く息をするヨネジが立っていて、その手の中の杖はボロボロに砕けてしまっていた。

 そしてヨネジはゆっくりと振り返り、キビキの前に跪く。


「残り少ない我が生の全てを持って、あなたに忠誠をつくします。こんな事で許されようとは思っておりません。我が先祖のした事、言い訳のしようもございません。それでもどうか、あなたの側でその盾となる事をお許し下さい」


 いつもの、のほほんとした飲んだくれの姿は少しもなくて、それはまるで主にするように、ヨネジは跪く。

 そしてピクリとも動かず、キビキの言葉を待っている。

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