クラスの冴えない幼馴染が実は人気Vtuberとして楽しそうに笑っている

ツナ缶

1話

「こんばんはー! 今日も楽しくやっていくよー!」


 耳慣れた声で紡がれる元気な挨拶。スピーカーを介さない肉声は、僕が部屋に入る前から聞こえていた。

 音がマイクに拾われないよう、静かに扉を開けて部屋に入る。


「昨日は放送を休んじゃってごめんなさい! ちょっと機材でトラブルがあって……でもでも、今日は時間の許す限りバンバンやっていくからね! だからみんなも最後ま、で……あれ、もしかして明日って小テストがある日じゃなかったっけ……?」


 彼女の目の前にあるモニターには、「知らんが」「たぶんそうだよきっとおそらく」「ドンマイ」などといった無責任な言葉が次々と浮かんでは流れていく。

 チラリと、黒い瞳が不安げに僕へと向けられた。ここはおとなしく頷いた方がラグは少ないだろうと、静かにため息を吐きながら首を縦に振る。


「ええぇ……やっぱりそうだよね。ど、どうしよう。さっきあんなこと言ったけど、今日は適度なところで放送を切り上げて……」


 またしても僕にその潤んだ瞳を向けるものだから、お返しに眉間に皺を寄せてモニターを指差す。おまえが今話をしてるのは僕じゃないだろう。

 モニターの中ではまたしても文字が浮き出て流れていく。「別にいいけど」「学業優先じゃない?」「おやすみー」だのなんだの。まるでどうでもいいことをどうでもよさそうに言うように。まるで、興味がなさそうに。

 でも、そんなわけがない。興味がないわけがない。どうでもいいと思っているのなら、こうして文字となって僕たちに届いてこない。

 決して少なくはない数が。こんな片田舎の高校の全校生徒を優に超える《ルビを入力…》ほどの人数が、彼女に興味を持って、彼女の声を待っている。

 普段は二十人ちょっとクラスの中で、誰にも気にされない日々を送る彼女の声を。


「わー待って待って! 今日はがんばる! 配信の方をがんばる、けど、まぁ、勉強も……後でちゃんとします! そんなわけで、とにかく今日も張り切ってやっちゃうよ!」


 普段はやぼったい眼鏡をかけ、瞳をほとんど黒い前髪で隠し、逃げるような日々を送る彼女の言葉を。


芹沢せりざわなずなは、今日も元気にがんばりまーすっ!」


 ずっと聞かなかった、けれど懐かしさを覚える声に添えるように、僕はマウスに手を伸ばして音楽を再生する。

 ……まぁ。今の僕の状況を表すのならば、一口で言いきれる。

 クラスの冴えない幼馴染が実は人気Vtuberだった。

 言葉にしてみて尚のことよくわからないけど、これはそういうお話だ。

 これといって特筆することはない。けれど、僕が……僕たちが楽しく生きるために振る舞おうとする。

 そのための遊び場を求めて、このパソコンの前にたどり着いた話だ。

 ……まぁ、それにしたって、もう少しうまいことできなかったかなって、思うんだけどね。







 お金は非常に大切なものである。

 その純然たる事実を心で受け止め、魂に刻み付けるようになる事態というのは、みんな遅かれ早かれ訪れるのだろうけど。僕にとって、その機会はみんなよりもずっと早かった。


「なぁ悠里、おまえ今日もバイトなんだっけ?」


 高校の昼休みというものがどれだけ大事で短いか。その事実を知っているだろうに、僕の友人である水森久志みずもりひさしはのんびりと菓子パンを口に運びながら、そう聞いてきた。


「うん。今日も、っていうか今週ずっと」

「は~、よくやるね。別に金に困ってるわけでもないだろうに」

「今は困ってないけど。いつかは困るだろうし、あって損するものでもないだろ。だいたい、バイトじゃなくて家業の手伝いだから」

「バイト禁止の我が校にとって夢のような言い訳だな」


 僕たちの通う高校は珍しく屋上が常時解放されていて、学生用のベンチなどが置かれている。空の下の休憩スペースとして人気はあるけれど、冬の今となっては解放感は逆効果になっていた。冷たい風が吹き荒ぶ屋上で昼食を楽しむ学生は少なく、今は僕と久志の姿しかない。


「それで、わさわざこんな寒い場所で飯食おうなんて言い出して、なんの用だよ」

「いやなに。俺とおまえの仲だからな。隠し事なんてせず、彼女のことを紹介しようと思ってな」

「な、え……?」


 耳に入った言葉があまりにも信じられずに、僕は友人に向けるにしてはあまりにも懐疑的な表情を浮かべてしまう。


「おまえに、彼女……? 見てくれは悪くないのに、二次元の存在にばかり気にかけて周囲から結構ネタにもできないレベルで引かれているおまえに、彼女だって……?」

「え、俺ってそこまで引かれてるの……まぁいいや。とにかく見て、いや、聞いてくれ」


 自分のショックをサラリと流し、久志はその笑顔のまま僕に向けて自分の携帯を近づけて。


『ご、ごめんね。こんな夜遅くに……ほらっ、今日って、付き合って一週間目の記念日だから……』


「……何これ」


 久志が持つ携帯から聞こえる……かわいい女の子の声だ。明らかに作られた演技というのがもろ分かりというか、日常生活でこんな作った声を耳にしたら間違いなく虚構を疑ってしまう類の。


「しっ、黙って聞いててくれ」


『だからって突然家に来るのはどうかなって自分でも思ったんだけど、その……君の家、今日は誰もいないって聞いて、じゃあご飯とかどうするのかなって思って、来ちゃった』


 どんな感情で僕は座っていればいいのだろう。というか、いったい何を聞かされているんだ、僕は。


「なぁ、久志、それって」

「この後、この後が大事なんだって!」


『だから、その……えっと、は、はしたないとか思わないで欲しいんだけど……上がらせてもらっても、いい、かな』


「いいですともー!」


 携帯を振り上げ、声高に叫ぶ友人を見て。僕は心底今の季節が冬で、屋上に僕ら以外の人気がなくて良かったなと思った。


「いや、それ彼女というか、なんかのキャラクターの有料ボイスとかそういうのじゃないの?」

「たしかにそうだ。けどな、このセリフは全部俺が考えた上で言ってもらったものなんだ。すなわち俺宛。俺に向けられた言葉であって他の有象無象は関係なし。たとえ金払っても、俺にだけ向けられた言葉。オーケー?」

「オーケーなわけなくない?」


 切り上げるつもりでサラリと流し、僕は菓子パンの袋を細めて一結びする。


「ゲームやアニメ関係なら僕も話はわかるつもりだけど、なんというか、行くところまで行った感じがするな」

「お、なんだ憐れみか? 憐れんでるのか無駄だぞ俺は今最高に幸せだ」


 憐れんだつもりも下に見るつもりも毛頭ない、と言ったらさすがに嘘にはなりそうだ。ニッコニコの笑顔を浮かべながら携帯を耳に当てている久志を見てると、そこまで傾倒できることがあるのがむしろ羨ましくすら思う。


「そんなのが貴重なお金の使い道でいいのかね……」


 人の金銭感覚にケチつけるのもどうかとは思うが、僕たちもそれなりに長い付き合いだ。久志は僕の言葉に少しも気を悪くしたような素振りは見せず、むしろ笑みを濃くして僕に向けてくる。


「理解してもらおうとは思ってねぇけどよ。意外と楽しいもんだぜ。おまえも暇な時、有名どころの配信とか見たりするだろ?」

「まぁ……見てるけどさ」


 Vtuber。有名な動画配信サイ卜に彗星の如く現れた新しいコンテンツの存在は、意外な程にあっさりと僕たちの文化圏へと足を踏み入れていた。

 魅力的な見た目のキャラクターを外側に。そして、トークや歌。その他様々な企画力を持ち合わせた人間を内側に。

 そうすることにより、当人の容姿など関係なく努力と技術さえあれば『誰でも』そのスター性を持って輝こうとすることができる。簡単に言ってはみたが、そこには多種多様の苦労やら何やらがあるんだろう。

 そういった存在は今となっては現数を把握するのが馬鹿らしくなるほどに増えていた。

 詳しいことは僕もよくわからないけど、この界隈ではいわゆるお布施、のようなものができるらしく、そういった意味では通常のアイドルやアーティストに比べ、ずっとファンとの距離が近く思えるのかもしれない。ライブステージに向かって直接お金を投げて、それを舞台上で受け取ってもらって喜ばれるのだ。神社の賽銭箱に投げ入れるよりは、ずっと即物的なリターンが期待できる。久志のように傾倒してしまう人がいるのも無理はない。


 というのが、僕の勝手なVtuberへの見解だ。聞きかじりの知識だけだから間違っている部分も多いかもしれないけど。


「広く浅くっていうのも悪くないけど、自分の推しを見つけるのも良いぞ。色々おススメはあるけど、今の一番の推しはさっき聞いてもらった子でな」

「うーん。僕、ああいういかにも作った感じの声ってちょっと苦手なんだよね」

「あれは演技してもらってるからな、普段の声はもうちょっと落ち着いて……いや落ち着いてはねぇな。とりあえず続きを聞いてみてくれよ」


 そう言って差し出してきた久志のスマホを受け取る。画面には……まぁ見覚えのない女の子の絵が映っていた。

 真っ白な髪を胸の高さまで伸ばし、その髪にはいくつもの派手な飾りが施されている。着ている服も負けず劣らず派手だ。小悪魔的、と言えばいいのだろうか。肌の露出が少なく見える割には、ス夕イルが強調されるような作りになっている。まず街中で見かけたらぎょっとするだろう。まぁ、この手のキャラクターで現実的なファッションセンスを持ち出すのは野暮だろうし、ある意味、見慣れてはいる。


「個人勢、あー、いわゆる企業に属さずに単独で活動してるVtuberで、名前は芹沢なずなって言うんだ。ほい、再生」


 たぶん、音の響きが似ていたからだろう。その名前を耳にした時、僕の脳裏にある一人の女の子が浮かび上がる。

 ――だからこそ。


『あー! やっぱり恥ずかしいよぉ!』


「……え?」


 だからこそより、その声が耳に届いた瞬間、脳裏に浮かび上がった姿がより濃くなった。


『私こういうの向いてないんだって! リクエストしてくれた人ありがとう! 許さないからね! でもありがとう! こんな感じで大丈夫だって思ってくれてるなら嬉しいな!』


「思ってるに決まってるんだよなぁ……」


 ぼそりとそう呟く久志の真顔の不気味さが気にならなくなるほど、その声に、意識が奪われる。

 聞き覚えしかない声だ。ずっと昔。もう思い出さなくなってきたぐらいの、ずっと昔に聞いた、懐かしい声。

 だとしても。だからこそ。聞き間違えるはずのない、声だ。


「――寒い……」


 相対するかのような、抑揚のない声が扉が開く音とともに響く。こんな冬の寒い時期、僕たちの他に誰も来ないだろうと思い込んでいた僕と久志は、自然とその音のする方向へと視線が向けられて。


「あ、う……」


 その向けられたただの視線にすら顔を引きつらせる、少女の姿を捉えた。

 少し顔を俯かせれば簡単にその表情を隠すほどに伸ばされた黒い前髪。右手には菓子パンの袋を持ち、空いた手で胸の高さまで伸ばした髪の毛先を摘み、どこかソワソワと落ち着かなそうに顔を動かす。レンズも分厚く枠も太い眼鏡の先にあるはずの黒い瞳は、どこを向いているのかすらわからなかった。


「なんだ、咲沢か。おまえも屋上で食べるのな」


 久志は何食わぬ顔で、いつものように誰にだって分け隔てなく適当に声をかける。その声をかけられた当人――咲沢那奈さきさわななは誰が見てもわかるほど、体をビクリと震わせて驚いていた。


「うっ、う、うん」

「寒いんだから、教室で食べればいいのに。って、俺らが言えた義理でもないけどさ」


 な? などと、僕に同意を求めてくる。会話が続いているのがいったいどれほどの恐怖なのか知らないけれど、いつまでもおどおどした態度でいる彼女を横目で見て、僕は短くため息を吐いた。


「……咲沢」

「な、何……?」


 名前を呼んだだけなのに、いったい何に怯えることがあるんだよ。

 そう言いたいけれど、言えるわけがない。僕と彼女は、今となっては他人もいいところだ。


「……このベンチ使いなよ。ここが一番風が当たらないし」


 僕は立ち上がり、久志に目配せをする。付き合いが長いからか、単純にこいつの察しと人間性が良いのか、何も言わずに食べていたパンを一口で頬張り、僕と同じように立ち上がる。


「あ……」


 咲沢が俯いていた顔を上げ、僕を見る。上げたところで、分厚い眼鏡と長い前髪に隠された黒い瞳はよく見えていない。でも、声色で困惑した感情は伝わってくる。

 僕と久志はそのまま彼女の横を通り、校舎へと続く扉を開ける。


「あ、ありがと……ゆう、くん」


 その扉が閉じる音にすら、掻き消されてしまうぐらいに小さい声。返事をしようにも、わざわざ閉じた扉を開く気にもなれなくて。


「そういや幼馴染だったな、おまえら」

「……こんな寂れていく田舎町、だいたいの人間が幼馴染みたいなもんでしょ」


 そうおざなりに流し、僕は先に階段を下りていく。

 僕の声色に、心の中に渦巻いてしまっている感情は乗っていないだろうか。まぁ、仮に乗っていたところで、久志はそれを拾わないだろう。

 言葉を交わしたのはいつぶりなのか。そう考えて、どれだけ考えても答えが出せないほど、遠い思い出になってしまっているのに気づく。


「……まさかね」


 それだけ時間が経っているから、そんな勘違いをするんだろう。昔聞いた懐かしい声が、あの元気に溌剌と響いた音が、突然聞こえてしまったから。たぶん、ただそれだけの話だ。


「……なんだっけ。芹沢なずな、だっけ?」

「お? 興味持ったか? いいぞ。まずはとりあえず今上がってるアーカイブの中で気になるのを見て、いやそれよりも俺が編集した『十分でわかる芹沢なずな』を今日帰ったらおまえに全部送るから――」

「怖い怖い怖い」


 予想以上のリターンに、僕は慌てて距離を取る。本気ではないのか(目は笑っていなかったけど)、僕のその反応に久志は笑い声を上げるだけで、無理に距離を詰めてこようとはしなかった。


「……興味なんてないよ。ただ、昔の知り合いに声が似てたから、驚いただけ」


 そう。たた、驚いただけだ。嬉しくなったわけでも、懐かしくなったわけでもない。

 あの声が、まだ僕の記憶の中に残っていたのかと、ただ驚いただけなんだ

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