続・羅生門
あっちゃん
続・羅生門
闇に消えた下人は、何のあても無く京都の町を走った。老婆から剥ぎとった薄汚い檜皮色の着物をわきにかかえながらである。夜が明ければ下人は目立ってしまうから、それまでになんとかしなければならない。
少し考えて、下人は思いついた。着物を捨てる。それだけの事である。どうせ売ったところで誰も買わない。当時の京の町の困窮ぶりから考えれば当然であろう。決心した下人は、すぐに着物を道端に捨てた。
下人の頭の中は今、悪を肯定する心でそのほとんどが占められている。生きるための悪はしかたがない、だから盗人になっても許される。今の下人の論理は、今日となってはとても許容できるものではないが、それが下人の今の正義であった。
夜が明ける前に、下人は引剥をした。何の迷いも無くである。闇夜に紛れての襲撃であったから、何の造作も無かった。下人の心には一瞬、満足感が生まれた。
だが、下人の悪を許す心はここで一気に萎縮した。いや、迷いが生まれたというほうが正しい。下人の心情の変化には少し説明がいる。
まだ意識があった引剥いだ男がぶつぶつと呟いていた。女の名である。娘なのか妻なのかは下人には知らぬところであるが、その男には何か大事な者がいたのである。少しばかり、哀れみの感情を抱いた。それが、下人の心変りの直接のきっかけとなった。
果たして、生きるための悪は許されるのか。
こうした葛藤を続ける内に、下人の盗人として生きる決意はすっかり冷めきっていた。
だが、盗みを止めて生きていけるのか。下人には飢え死にする気も全く無かった。下人は考えた。盗みもせず、飢え死にもしない、そんな都合といい方法があるのか。
下人の決意は意外と早かった。自分を放逐した元の主の屋敷を襲う。これが自分にとって最善の道だと下人は考えたのだ。
屋敷の警備は堅いだろうが、万に一つでも元の主を殺してその財貨を奪えば、それからは全く盗みを働く必要はなかった。また、仮に途中で殺されたとしても、恨みを晴らすための行為であるから、何の未練もないと感じた。元の主には何やら申し訳ない気がしたが、仕方がない。以降も盗人として生きるよりかは、幾分かましであった。
翌日、日が沈むころ、貴族の屋敷の前に一人の男が佇んでいた。赤く膿を持った面皰のある頬がその特徴であった。
下人は、夜になると屋敷の塀を超えて闖入した。そこまでは良かった。だが、よく考えたら主の部屋の位置を把握していなかった。無論、その部屋に行った事がないからである。
そうこうしている内に、下人はいとも簡単に捕らえられ、元の主の前に引き出された。
「貴様が賊か。何を盗ろうとした。」
元の主は下人に見覚えが無いようであった。自分が仕えていたと説明しても同じであった。下人は悟った。主にとって自分は数ある家来の内の一人でしかなかった。主が自分を放逐したのは、主にとっては日常的なことで何の感情も無かったにちがいない。たとえ、下人の心に燃え上がる何かがあったとしても。そう考えれば納得がいった。自分の不幸は、京都の町の衰微の小さな余波に過ぎなかったのである。
翌朝、下人は検非違使庁に引き出された。貴人の家に侵入した罪は重く、当然のごとく死罪であった。
斬られる直前、下人には一つの感慨が芽生えた。あの時、羅生門に行っていなかったら。
老婆に出会っていなかったなら。どうなっていたのかという問いである。下人は不意に笑った。無駄である。どうせ考えたところで何にもならない。そう思った直後、下人の首に激痛がはしり、目の前の景色がゆっくりと暗転した。下人の首は適当なところに捨てられた。
数日後。羅生門の楼の上にはいつもの如く誰か火をとぼしていた。老婆である。一つの生首を持ってその髪を抜いていた。首には、短い髪の中に、赤く膿を持った面皰のある頬があった。
続・羅生門 あっちゃん @atusi0519
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