ネコ

ももも

第1話 ネコ

「ケンちゃん、ネコ飼っていい?」

 同棲中の彼女が仕事帰りに拾ってきたのは、両手いっぱいの黒いぶよぶよしたかたまりだった。

「いや、どう考えてもネコじゃない」


 首をぶんぶんふって否定すると、それはナメクジのような複足を揺らめかせた。


「ワガハイはネコである」


 しゃべった。

 日本語覚えたての外人のようにアクセントの起伏が激しい、中性的な声で。


「ほら、本人もネコだって言っているじゃない」

「まって。ネコは普通しゃべらない」

「ネコは10年生きたらネコ又になってしゃべるって、ぬ~べ~で読んだわ」

「第8巻のまことくん回だね。たしかにネコ又は話せるかもしれない。でもそいつにはネコ又をネコ又たらしめる要素である」


 僕はそいつのぶよぶよ震える尻を指した。 


「尻尾がない」

「生やせばいいのか?」


 言うや、ネコと名乗るそれはお尻からにゅるりとぬめっとした黒くて長い棒状のものを生やした。その数たるや9本。九尾のキツネか。


「ネコ又の尻尾は2本だ」

「こうか」

「毛が生えていて目は2つ口と鼻は1つ」

「なるほど」

「足は4本で」

「どっせえぇい」

「三角形の耳は2つでヒゲがある」

「にゃんにゃん」


 それは、4つ足で耳が2つあって目が2つ口と鼻が1つのヒゲの生えた毛のある物体になり、地球上の生物っぽくはなったが、依然として黒い何かでやっぱりネコじゃなかった。

 じゃあここからどうすればネコらしくなるかと言えば、口で説明せよと言われたら難しい。どれだけネコという生き物を適当に認識しているのか目の前のそれに見せつけられているようであった。 

 ネコがネコたる特徴ってなんだ? ネコといえばしなやかなフォルムだと思うが、それじゃあデブネコはネコではないのか。ネコといえば肉球だけど、イヌだってもっている。ネコとそれ以外の4つ足動物の違いを僕は感覚的にしか知らない。


 「人間は特徴をつかむことに長けており、複雑に見える事象も自然にそこに内在する特徴に気づき、より簡単に理解することができる」


 なんて人工知能関係の本に書いてあったっけ。

 僕が困っていると、それは勝ち誇ったように全身をふるふる震わせた。


「ワガハイはネコである」


 やかましい。

 

 

 

 ネコの定義が分からなかったためにそれがネコでないと否定できず、僕と彼女とネコ的生物の生活はなし崩しに始まった。

 彼女はネコを飼えることにウキウキで、すぐにコンビニで買ってきたキャットフードを皿に盛って目の前に置いたがそいつは一口も食べなかった。

 かわりに好んで食べたのは物体だった。

 チラシ、ペットボトル、いらなくなった家電。

 与えればどんな大きさなものでも、手足の部分を広げてふろしきのように体を伸ばして包み込み、夕方には元の形に戻っていた。 

 そんな生態は地球上のどんな生き物にも当てはまらないし、ましてやネコでもない。元にいた場所に戻そうと訴えると彼女は首をかしげた。


「そうかしら。まだそういうネコが見つかってないだけで実際にはいるかもしれないじゃない。深海とか」

「そもそもネコは深海にはいないよ」


 僕がそう言うと、古着を包んでいた奴がぐるりと首を180度曲げてこちらを見た。


「深海はいまだ人類未踏の地。なのにどうしてお前は深海のことをさも知っているかのように言えるのだ? おごりたかぶった人間よ、あたかも世界の神秘を明かしたかのように語るな。世界はお前の一部ではなく、お前が世界の一部なのだ」


 確かにしんかい6500に乗ったことのない僕が深海なんて語れるはずがないと思ってしまえば、何も言えなくなってしまった。  

 


 奴は毎日のようにもそもそ何かを包んでは消化していた。それが当たり前の光景になって今日も元気に食べているなと見ていたある日、僕は気づいてしまった。

 もし油断しているところへ後ろからバサリとかぶってこられたらジエンドじゃないか。

 おとなしいふりをして奴は機会を狙っているに違いないという恐怖にとらわれプルプル震えていたら、その心境を見透かしたように奴は鼻を鳴らした。


「ワガハイは物質の持つ情報をエネルギーに変換している。生物は生化学反応が随時体内で起きており情報量が多すぎるゆえ食べたら腹を壊す」

「つまり、死んだら食べれるってこと?」

「死んだらそこまでだろう? どうしてその先を気にする必要がある?」


 目の前の生物の顔が時計回りにぐるぐる回る。

 その動きに何の意味があるのか分からず、僕はなるべく奴を刺激しないようにせねばと心から誓った。




 飢えたネコは棒を恐れず。

 いや、イヌだったかもしれない。

 ともかく飢えさせないようにしていれば僕を食べようとすることはないだろうと自分に言い聞かせた。そうしないと心の安寧を得られなかった。

 平穏で平和な生活のため何を与えれば満足してくれるか色々試行錯誤してみた結果、好評だったのは絵ハガキだった。それも有名どころの絵画を好んで食べた。 

 逆に文字の羅列はいまいちらしい。どちらも情報量は多いとは思うが何が違うのか本人もよく分かっていないようだ。



 家の外にはよくでたがった。 

 けれど光は苦手だそうで外出は決まって夜だった。

 基本的には単独行動だったけれど、たまに一緒に行こうと誘ってくれる時は僕と彼女と連れ立って夜の散歩にでかけた。

 こんな見たことも聞いたこともない生物を連れていればどこかに通報されるかもしれないと心配したが、道行く人はこちらに関心を向けることはほとんどなかった。

 自分で思っているほど、他人は人のことを気にしていないもんだ。

 たまにライトで彼を照らしてしまった人がぎょっとすることはあったが、すぐさま何も見ませんでしたって感じで足早に逃げていった。僕だってこんなのと夜道で遭遇したら同じ反応をする。怪異と積極的にかかわっていけないと、夏の夜の怪談特番で履修している人間が多いのだろう。


 初めこそ僕は彼を警戒していたものの、日常というサイクルにはまってしまえばそういうものと慣れてしまい、むしろ彼はいなくてはならない存在になっていた。

 なんといっても資源ゴミ回収日を忘れていても彼が食べてくれるから、ゴミの日に「うわーまた出し忘れたー」と落ち込まなくてすむのがいい。

 ゴミをだせなかったストレスといったら、日々の生活におけるストレストップ5に入るほどのものなので、資源ゴミを食べてくれる彼には感謝しかなかった。

 それにさわり心地がいい。ぷよぷよしていて夏はひんやり冬はホッカイロ並に暖かい。彼を抱えて寝ることは至福のひとときだった。ネコとともに生きる人生は素晴らしい。

 


 異変が起きたのはネコが来てから1年たったよく晴れた日であった。

 今日は朝食当番だから早めに起きなきゃとぼんやり覚醒しつつ、隣のネコをぷよぷよしようと思ったらぬめりとした感覚が手に伝わり、びっくりして飛び起きた。

 見れば横にいるはずのネコがどろっと黒い液体に様変わりしていた。

 寝ている彼女をどかし、慌ててシーツで包み込んで鍋に入れればきっちりその中に収まった。


 「ネコ、大丈夫か」


 返事はない。ただの黒い液体のようだ。いや、よく見れば三角の耳だけかろうじて残っている。でもそれだけだった。あまりの変わりように僕は愕然とするしかなかった。

 〝ネコ〟〝液体〟〝治し方〟でネット検索したけれど解決方法はどこにものっていない。

 分かったことと言えば、液体化したネコはおよそ9.2リットルだってことだけだ。

 どうしようと気持ちだけが焦りドタバタしていたら彼女が起きてきた。


 「ネコが……ネコが液体になった……!」


 僕が叫ぶと寝ぼけ眼の彼女は首をかしげた。 


 「でもネコって液体じゃないの? イグノーベル賞で話題になっていたわ」

 

 あわあわしている僕をよそに、彼女はレンジでチンしたごはんに味噌汁をかけたにゃんこ飯を食べたらネコ鍋の頭らしきところをなでて仕事にでかけてしまった。

 取り残された僕はこの緊急事態に会社に行っている場合じゃないと判断し、ネコの具合が悪いので年休をとりたいとお願いをしたところ上司もネコ好きなのですぐに許諾してくれた。ネコ好きの輪はいいものだ。


  

 無事に休みはゲットしたが、僕に出来ることはないので誰かに頼るしかない。

 思い出したのは高校時代同じクラスの川口だった。

 確かあいつは獣医大学に入学したはずだ。

 思い立ったらすぐ行動。3-3組ライングループから川口のIDを調べすぐさまメッセージを送った。


『久しぶり。いきなり連絡して申し訳ないんだけれど、ネコが液体になったんだ。こういった事例ってよくある?』


 なんてトンチキなラインだろうと思ったけれど、すぐに既読がつき返事が来た。


『お久しぶり。ネコが液体になったんだな、了解。機関に連絡しておいたからそのままその場所にいてくれ。アマゾン即日配達より速いから』


 よく分からない文章に首をかしげるしかなかった。

 機関? そんな単語、ハルヒでしか見たことないぞ。

 


 待つこと30分後、ピンポーンとインターホンが鳴った。アマゾン即日配達より速かった。

 一体どんな人が来たのかとのぞき穴をのぞくと、黒い背広服のグラサン2人組だった。

 どう見てもメンインブラックやマトリックスにでてくるあれじゃん。

 やっぱりこのネコは地球外生命体で地球に派遣されたスパイで、世界の隠されていた真実を知ってしまったとして僕は始末されるか、良くても記憶を消されてしまう。

 こういう状況、ベランダ伝いに逃げるのが鉄板だと思って窓から外をのぞいてゾッとした。

 家から一番近い電柱の影にグラサンがいた。2人じゃなくて3人1組だった。

 そもそもこの現代社会、住所がばれているのは致命傷だ

 川口に連絡した時点で僕の人生は摘んでいたのだ。

 

 彼女には、今日は実家に帰ってくれ、何かあったか後で連絡するけれど連絡がなかったら僕の家に今後近づかないでくれとラインし、扉を開けるしかなかった。

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