4-11
勇次との話を終えて校舎を出ると真一郎が待っていた。
さとりが無言で真一郎の隣に並ぶと、互いに無言で歩き出す。そのまま真一郎の運転する車に乗った。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
お互いに無言だった。今までが今までなだけに、なにを話していいのかわからない。ましてやさとりは指導室であんなに大泣きまでしてしまい、今更ながら恥ずかしさが押し寄せてきてまともに真一郎の顔を見ることができない。
代わりに窓の外を見ていると見慣れた景色が目に映る。行き先には想像がついた。
それからしばらくして車は止まる。到着した先は、家だった。
先に降りた真一郎の背中を追ってさとりも家の中に入る。
「あ、あの・・・・・・」
たまらずに声をかける。
学校ではちゃんとこれからのことについて話をすると言ったが、ここまであまりにもなにもなくそれがとても不安だったのだ。
「着替えてきなさい」
真一郎の言葉は普段となにも変わらない。
冷静で、落ち着きがあって。
「・・・・・・・・・・・・それで、着替えてきたら、夕食を作ってくれないか。そして二人で食べよう」
だが変化は、間違いなく起こっていた。
さとりはその言葉に耳を疑った。何度も何度も真一郎の言葉を頭の中で繰り返した。
「さとり?」
「――っ。う、うん! 待ってて!」
それはとてつもない衝撃で、さとりは急いで部屋に戻る。
制服を脱ぎ捨てて部屋着に着替え、そしてまた頭の中で言葉を繰り返す。
夕食を作ってくれと言われたことももちろんそうだ。それもとても嬉しいことだ。でもそれと同じくらいに、
(お母さんが死んで以来、初めて名前呼ばれた・・・・・・)
家族なら当たり前のそんなことですら、崎森家はしてこなかった。
いくら求めてももう手に入らないと思っていたその当たり前に、胸が締め付けられるほどの感動を覚える。
「――よし」
キッチンに降りてエプロンを身に纏う。
冷蔵庫の中にはある程度の食材はストックしてあるため、手の込んだものでなければ作ることができるだろう。
でも別にいいのだ、手の込んだものでなくて。
さとりが求めていたのは家族の団欒で、真一郎が求めたものもきっと同じだ。
どこにでもある家族の団欒。それは決して特別なものではないのだから、料理だって特別じゃなくていい。
普通の家庭で食べる普通の夕食。
今日は、それでいいのだ。
さとりは逸る気持ちを抑えながら料理を作る。
食べてもらいたいものはたくさんある。あれもこれも作ってあげたい。食べてもらいたい。
でも今日作るものはもう決めていた。
「これは・・・・・・」
作り終わった食事がテーブルの上に並ぶ。そして真一郎はそれを見て感嘆の声を漏らした。
テーブルに並んだのは普通の家庭料理で、亡くなった母が得意としてよく作ってくれたもので、さとりが真っ先に覚えた料理で。
きっと真一郎も何度かは食べたことがあるに違いない。
今まで二人で座ることがなかったテーブルに向かい合って座る。そんなことすら当然初めてで異様なまでに緊張する。
「・・・・・・い、いただきます」
「・・・・・・いただきます」
ぎこちない挨拶を互いにして箸を伸ばした。
自分で作ったものを口に運びながら、しかし視線は真一郎へと向いていた。
いつも通りに作れているだろうか、見た目も味も自分では問題はなくいつも通りだと思う。いやそれよりも自分の作った料理はそもそも美味しいのだろうか。母親の料理と比べてどうなのだろうか。
そんな不安や心配がぐるぐると渦巻きながら、さとりは真一郎へ視線を向ける。
真一郎が料理を口に運び、租借し、呑み込む。たったそれだけの行動がなんだかとても長く感じて、一瞬毎に緊張感が増して、
「――っ。・・・・・・ど、どう・・・・・・です、か・・・・・・?」
耐えきれず、自分からそう訊いた。
その言葉に真一郎の視線がさとりへと向く。
そして――。
「――――うん、美味しい」
ぶっきらぼうではあったが、真一郎は確かにそう言った。
そのたった一言で、もうさとりは胸が一杯になる思いだ。
練習して良かったと思えた。
夏生に美味しいと言ってもらえたときももちろん嬉しかった。でも今のはその比ではない。
ずっと言ってもらいたかったのだ、この人に。
血の繋がりなんて一切ない、でもたった一人の家族である、この人に。
たった一言でいいから、そう言ってもらいたかったんだ――。
「・・・・・・本当に、すまなかった。さとり」
「・・・・・・真一郎さん」
真一郎は食事の手を止め、真っ直ぐにさとりを見る。
「私はとても不器用な人間でね。正直なことを言うと、恋愛なんてほとんどしたことがなかった。というよりも、誰かを好きになったことすらほとんどなかったんだ。でもさとりのお母さんと出会って、ずっと側に居たいと初めて思った。結婚なんてそれまで考えたこともなかったのに、この人と一緒になりたい、結婚したいと、素直にそう思うことができたんだ」
「うん、知ってる。再婚するってあたしに報告したとき、言ってたから」
そのときのことは今でもよく覚えている。
年甲斐もなく照れくさそうにしてそんなことを話す二人の顔は、年齢よりも遙かに幼く見えた。初々しい、まるで当時の自分と同世代の恋愛相談を受けているかのような気分になったことを思い出す。
「月並みな言葉だけれど、きっと運命だった。彼女以上の人はいない。もう二度と出会うことはできない。そう直感したんだ」
「・・・・・・本当に好きだったんだね、お母さんのこと」
さとりの言葉に真一郎は頷く。
「ああ。・・・・・・でもだからこそ、彼女が病気で亡くなったことが信じられなかった。信じたくはなかった。付き合った時間も、夫婦だった時間も、決して私たちは長くない。でも私の人生の中心には彼女が不可欠になっていた」
真一郎もさとりと同じだったのだ。
愛した人を失い、家族を失い、心に穴が開いた。
そしてその穴を埋めることができなかった。
「辛かった。さとり、キミのことを考える余裕がないくらいに、彼女の死は私に重くのし掛かった。その重さでどこまでもどこまでも、暗くて深い場所に落ちていきそうだった」
さとりは穴を埋めようと藻掻き、結果として歪みを抱えた。でも真一郎はその穴から目を逸らすことで、さらに虚無を抱えることでその穴から遠ざかろうとした。
形は違えど、互いに自分の心を守るために必死だったのだ。
「見ないようにした。考えないようにした。そうしなければ、壊れてしまいそうだったから。だから彼女の娘で、彼女の面影のあるさとりと関わることが、とても怖かった」
さとりのことを意識から外すには、さとりと家族関係を続けていては不可能だ。
だから真一郎はさとりを拒絶し、無関心になり、家族という関係を断った。
そうしなければ、耐えられなかったのだ。
「私は逃げたんだ。彼女の死から、さとりから・・・・・・。でもそれがどれだけキミを追い詰めていたのかまるでわかっていなかった。今日、あの彼に叱咤されるまで、まるで。ああ、名前は確か」
「夏生先輩。瀧夏生先輩」
「そう、瀧夏生くん。結局、彼の言うとおりだった。結婚するときにさとりのことも含め覚悟を決めたつもりだった。でも私の覚悟は甘くて、上辺だけのものだった。まったくもって覚悟が足りなかったんだ」
親になるとは、家族になるとは、決して簡単で生易しいものじゃない。
温い覚悟じゃ親というものは勤まらない。
ましてや、自分と血の繋がらない子供の親なんてものは。
「情けない。まだ高校生の、成人すらしていない子供に怒られて、それでようやく気づくなんて。・・・・・・いや、子供だったのは私のほうか」
真一郎の表情は沈んでいた。顔を伏せ、一瞬だけ乾いた笑いが食卓に悲しく響く。
しかしすぐに真一郎は顔を上げ、真っ直ぐにさとりを見た。
「さとり」
「な、なに?」
「彼の言葉で私は目が覚めた。だから改めて言わせて欲しい」
その雰囲気にさとりも箸を置いて真一郎の瞳を見返す。
その真っ直ぐな瞳からは、愛する女性を失った悲しみは見て取れない。未だそれは弱々しく、どこか頼りなさそうにも見える。だが確実に、その瞳にはとある感情が浮かんでいた。
「もしもまだ遅くはないのなら。もしもまだ私のことを父親だと思ってくれているのなら。私のことを、家族と思ってくれているのなら、やり直すチャンスをくれないか」
「――っ」
「今度こそ間違えない。もう逃げない。だから私をさとりの父親にしてくれないか。私と――家族になってくれないか」
まるでプロポーズのようなその言葉が胸に刺さる。
それはずっと待ち望んで、決して叶わないと一度は捨てた願い。
ずっと手を伸ばし続けた、念願の――。
「・・・・・・本当に、真一郎さんはなにもわかってない。夏生先輩が言ってたじゃん。あたしはずっと、真一郎さんと家族になりたいと思ってた。それは今も変わらない。だから家族になりたい。家族になろう」
そしてさとりは口にする。
ずっとずっと言いたかった、その言葉を。
「――――お父さん」
長かった。
とても長かった。
何度も何度も回り道をしてようやくここに辿り着くことができた。
不器用な娘と父は、今ここで本当の意味で家族になれたのだ。
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