第一章 ~『桜木の過去』~
『視点変更:桜木サイド』
桜木陽菜の朝は早い。窓から差し込む光を受けて、フカフカのベッドから起き上がると充電していたスマホを確認する。
「メールは来ていませんね……まだ読み終えてないのでしょうか?」
朝になれば杉田からラノベの感想が届いているはずだと期待していただけに、落胆で肩を落とす。
「でも杉田くんの性格を考えると、学校で顔を合わせた時に伝えてくれるかもしれませんね♪」
なにせ聞かされるのは単なるラノベの感想ではない。桜木は本屋での別れ際に自作に思いを込めたと伝えたのだ。これは彼女なりの愛の告白だった。
「ふふふ、ラノベで告白をするなんて、私もオタクになったものですね♪」
『完璧超人桜ちゃんの恋』は冴えないオタクくんと完璧超人のヒロインとの間で繰り広げられるラブコメディである。
作品内にはいくつかの仕掛けがほどこしてあり、最初こそ嫌悪の対象だったオタクくんが、ある事件をキッカケに評価を一変させ、二人の間に甘々な恋愛模様が繰り広げられるのだ。
書籍の前半ではイケメンが主人公だと思わせておいて、実はストーカー扱いされていたオタクくんが主人公なのだと後半になることで知ることができる。
嫌悪から好意への切り替わりが桜ちゃんの愛らしさを強調していると、通販サイトのレビューで評価されていた。
「でも杉田くんは鈍感なところがありますからね。本当に気持ちが伝わっているのでしょうか……」
なんだか不安になるものの、ただの杞憂だと自分を納得させる。なにせ思いを伝える相手はラノベ主人公ではなく、生身の人間なのだ。ここまで露骨な好意のアピールに気づかぬ者はいないだろう。
「私の気持ち受け入れてくれるでしょうか……ふふふ、大丈夫ですよね。なにせ私たちこんなに仲が良いのですから♪」
机の上には二人が動物園でデートした時の記念写真が置かれていた。恥ずかしそうに頬をかく杉田に桜木が寄り添っている。彼女の宝物だった。
「杉田くんと本物の恋人になれば、またデートを楽しめるのですね♪」
杉田と出会うまでの毎日は、運動や勉強で結果を残しても虚無感しか残らない灰色の日々だった。だが彼との出会いによって桜木の日常は色鮮やかに染まる。
二人の出会いは偶然だった。
中学時代の桜木は将来父親の会社を継ぐために、帝王学を学ばされていた。勉強は全国一位で当たり前で、運動は大会で優勝できなければ価値がない。厳しい訓練は彼女の心を摺り減らしていった。
だが習い事以上に辛かったことは、両親が多忙を理由にして自分に構ってくれないことだった。多感な思春期にいつも一人っきり。きっと両親は自分のことを愛していないのだと、自暴自棄になり、ついには家を飛び出した。
あれは雪の降る寒い夜だった。行く当てもなく一人で繁華街を彷徨っていると、見知らぬ少年に声をかけられた。
「お、この娘、可愛いじゃん!」
「な、なんですか、あなたは……」
「別に誰でもいいじゃん。それよりさ、暇なら俺たちと遊ぼうぜ?」
少年の顔付きは幼く見えたが、金髪と派手な服装、耳に開けられたピアスのせいで恐怖の対象と化していた。
「こ、困ります」
「困りますだって、かわいー」
「ほ、本当に、わ、私は……」
「兄貴、ここに可愛い女の子が捨ててあります。拾って帰りましょう!」
少年が背後に手を振り、一人の若い男を連れてくる。男は短く切り揃えた黒髪と鋭い目つきが特徴的で、金髪の少年が現代の不良だとすると、黒髪の男は昭和の不良がタイムスリップしてきたかのような風貌だった。
(高校生? でもよく見ると顔つきが幼いような……)
黒髪の男には少年特有のあどけなさが残っていた。身に纏う迫力ある雰囲気と、容貌とのギャップのせいで年齢を掴み切れない。
「兄貴、どうです? お手柄でしょう?」
「竹坊、いつも言っているだろ。俺たちは世のはみ出し者だがクズじゃない。嫌がる女の子を無理矢理遊びに誘うなんて硬派じゃねぇ。だろ?」
「兄貴がそういうなら……」
「でも気持ちはありがとな。嬉しかったぜ」
「えへへ、これだから兄貴の舎弟はやめられないぜ」
竹坊と呼ばれた少年は黒髪の男を慕っているのか、目をキラキラと輝かせている。
(この人、カリスマ性と呼べばよいのでしょうか。何やらオーラのようなものを感じますね)
黒髪の男は、両親が連れてくる商談相手たち、それこそ大企業の社長や政治家たちと同じ空気を身に纏っていた。
人の上に立つカリスマ。同じ年代の少年がこんな空気を纏っていたことに、桜木は驚きを隠せなかった。
「竹坊が悪いことをしたな」
「た、助けてほしいとは言ってませんよ」
「気丈な性格だな。でも手が震えてちゃ、台無しだ」
「うっ……で、ですが、これもすべてあなたたちが原因ではありませんか!」
「それを言われると弱いな」
黒髪の男は誤魔化すように頬をかく。その仕草には少年らしい愛らしさが含まれていた。
「あなた、もしかして中学生ですか?」
「そうだが……」
「随分と老けていますね」
「うるせぇ」
「ふふふ、中学生ですか。学年は三年生ですか?」
「そうだが……」
「誕生日は?」
「俺の個人情報に随分と興味津々だな」
「とにかく。答えてください」
「四月だ」
「私は五月です。つまりは私のほうがお姉さんですね」
そう思うと、眼前の少年が恐怖の対象ではなくなっていた。手の震えも止まる。
「まぁ、なんだ。俺が言うのもなんだが、こんな夜に繁華街を歩いていたら危ないぞ。早く家に帰れ」
「帰りたくありません……」
「もしかして家出か。だとしたら意地を張らずに帰ったほうがいい。俺たちだから助かったが、この辺りは治安が悪い。危ない目に遭うくらいなら、嫌いでも家族と一緒に過ごすべきだ」
「……何も知らないくせに偉そうなことを言わないでください」
「俺はお前を心配してだな――」
「私は死んでもよいのです! 心配などいりません!」
「死んでもいいってお前なぁ」
「私がどんなに頑張っても誰も褒めてくれません。きっとお父様とお母様は私のことが嫌いなのです!」
両親から愛されていなければ生きる意味もないと、桜木は自暴自棄になっていた。その様子に黒髪の少年はやれやれとあきれ顔を浮かべる。
「あのなぁ、子供が嫌いな親なんているはずないだろ」
「……知ったような口を利かないでください。あなたに何が分かるのですか?」
「親に構ってもらえないからって駄々を捏ねている子供の言い分なんて何も分からないさ。でもな、お前の親の愛を証明することならできる」
「そんなことどうやって……」
「スマホを貸してみろ」
「初対面の人に貸したくありません」
「死ぬのは怖くないのに、スマホを貸すのは怖いのか?」
「うっ……」
「それとも死んでもいいって言葉は嘘だったのかよ?」
「分かりました。好きに使ってください」
桜木はスマホを手渡すと、黒髪の少年は画面を操作し始める。いったい何をする気なのかと様子をうかがっていると、スピーカーからコール音が流れ始めた。
「どこに電話をしているのですか?」
「お前の両親」
「え?」
電話がつながり、スピーカーから父親の「もしもし」という声が発せられる。近くには母親もいるのか、甲高い声が時折聞こえてくる。
『悪い、陽菜。いま仕事中なんだ。電話なら折り返すからそれでいいか?』
「娘は預かっているぜ」
『は?』
「だから娘を誘拐した」
電話の向こうから慌てるような声が届く。スピーカーモードにしていたのか、誘拐されたと耳にした母親の甲高い悲鳴が響く。
『お、お前はいったい誰だ?』
『私たちの娘を返して!』
「いいだろう、返してやる。ただし条件がある」
『金ならいくらでも出す。だから頼む。娘には手を出さないでくれ』
『たった一人の愛娘なの。だからお願い!』
スピーカーから聞こえてくる声は、嫌いな娘が誘拐されたと知った時の親の反応ではない。大切な子供を心配する親の反応そのものだった。
「お父様、お母様……」
『陽菜、無事なのか!』
『何もされてないわね!?』
「娘は無事だとも。そして俺の要求を伝えるぞ――娘にもっとかまってやれ。以上だ」
それだけ告げると、黒髪の少年は電話を切る。折り返しの電話が鳴るが、それを無視して、スマホを桜木に返す。
「な、愛されていただろ?」
「は、はい」
気づくと桜木の目尻から涙が零れていた。ポタポタと頬を伝った涙は路面に落ちて雪を溶かす。
「家に帰る気になったか?」
「うっ……ぐすっ……はい……」
「なら家まで送ってやるよ。夜道は危ないからな」
「は、はい」
竹坊という少年と別れて、桜木は黒髪の少年と共に帰路につく。雪がチラチラと舞う夜道に、二人の足音が鳴る。
「どうやら泣き止んだようだな」
「心配をおかけしました」
「人は涙を流す生き物なんだから、泣きたいときに泣けばいいのさ」
「ふふふ、あなたは変わった人ですね」
ただ隣を歩いているだけだというのに、桜木の心臓は早鐘を鳴らしていた。初めての感覚に戸惑いながらも、ちらちらと、少年の横顔を一瞥する。
整った顔つきをしていた。老け顔だと馬鹿にしたが、よく見ると大人っぽい好感の持てる容貌だった。
「俺の顔に何か付いているか?」
「い、いえ、別に……」
「変な奴だな」
「あなたに変だと言われたくありません」
「ははは、俺も変わり者だからな」
何気ない会話が心を弾ませた。このまま家につくとお別れなのかと、名残惜しさを感じた瞬間、意識しないままに疑問を口にしていた。
「あ、あの、彼女とかいるんですか?」
「俺のような男にいると思うか?」
「いないんですか?」
「俺は不良だぞ。最近の女子はインテリが好きだからな」
「ふふふ、あなたはモテないのですね。なんだか嬉しいです♪」
「俺がモテないことに嬉しくなる要素ある!?」
会話が弾んだこともあり、気づくと二人は目的地である自宅までたどり着いていた。豪邸を前にして呆気にとられる彼を横目に、桜木は頭を下げる。
「ここまで送っていただいてありがとうございました」
「おう、気にすんな」
「あ、あの、電話番号……」
「ん? どうかしたか?」
「いえ、なんでもないです……」
電話番号を教えて欲しいと、口にする勇気が持てなかった。しょんぼりとして俯いていると、黒髪の少年は背を向ける。
「竹坊を待たせているし、俺は戻るよ。また会おうぜ」
「ま、また?」
「俺はいつも繁華街で遊んでいるから、悩んだら相談しにこい。話くらいなら聞いてやるからよ」
ただし昼の繁華街だぞと、黒髪の少年は付け加えるが、その言葉は桜木の頭に残らない。またこの少年に会えるのだと、それだけで十二分に満足だった。
黒髪の少年と別れ、両親が出張から帰ってくる。無事でよかったと泣いて喜ぶ両親が、ギュッと抱きしめてくれた暖かさは、記憶の中にしっかりと刻まれた。
両親から愛されていたと知った桜木は、大きな変化を遂げた。忙しくて世界中を飛び回る両親を求めなくなったのだ。
一カ月音信不通は当たり前だし、努力の成果を褒めてくれることもない。だがそれでも、桜木は両親に愛されていると信じることができたのだ。
両親とのバタバタが終わり、落ち着いた日のこと。桜木は仕立屋に服を用意させ、薄く化粧をして、街へと出かけた。
精一杯のお洒落をした桜木は、黒髪の少年を必ず振り向かせてみせると意気込んで、彼の姿を探す。しかし何度町へ繰り出しても、あの時の少年と再会することはできなかった。
だが一度燃え上がった恋の炎は消えることがなかった。会えないからこそ、いつか再会したときに惚れさせてみせると、運動も勉学も美貌も今まで以上に磨きをかけた。
完璧超人の桜木さん。友人たちからそう呼ばれるようになり、他校でも噂は広がった。高校に入学してからはその完璧さに拍車がかかり、告白された回数は百を超えた。
今の自分ならきっと振り向いてくれるはずだと、桜木が自信に満ちていた日のことだ。事件は起きた。
「ごめんなさい。私、ほかに好きな人が……」
いつものように告白を断る。相手はサッカー部のエースの山本先輩だ。校内で女子人気が高く、恋人にしたい人ランキングでは、いつもトップだ。
しかし桜木にとって顔がいいだけの男は魅力になりえなかった。ただスペックが高いだけの彼を好きになることはない。
「俺と付き合えないっていうのかよ?」
「はい」
「……なら無理矢理恋人にしてやる」
「は?」
「既成事実ができれば、俺を拒むことはできないだろ」
山本は下卑た笑みを浮かべて、桜木に掴みかかろうとする。
(怖い……まるであの日のよう……)
寒空の下で竹坊に絡まれた日のことを思い出す。あの時は黒髪の少年によって救われたが、この場にあの人はいない。足がガクガクと震えるのを止めることはできなかった。
迫りくる魔の手に瞼を伏せる。恐怖を我慢するために歯を食いしばるが、手が桜木に届くことはない。
ゆっくりと瞼を開ける。すると魔の手から桜木を庇うように人影が立っていた。
「待てよ、嫌がっているだろ」
「は? なんだ、お前?」
背中越しに聞こえる声には聞き覚えがあった。自然と少年の名前を口にする。
「杉田……くん……」
杉田は教室の端っこでラノベを楽しんでいるオタク少年だ。目が隠れるようなボサボサした髪と覇気のない表情、それに時折こちらをジッと見つめる視線から、気持ち悪いとさえ感じていた。
「お前、状況が見て分からないのか?」
「分かるからこそ俺がここにいる」
「ならこれも分かるよな。俺の邪魔をするとどうなるか教えてやる!」
山本は拳を振り上げ、杉田の顔を殴ろうとする。しかし放たれた拳は手の平で受け止められ、ガッシリと掴まれる。そこから異変が起きた。
「いでぇえええええ!」
「手を掴まれたくらいで大袈裟な奴だな」
ギシギシと骨の軋む音が響く。驚異的な握力が山本の拳を圧迫し、鋭い痛みを生み出していたのだ。
山本の目尻に涙が浮かび始めた頃、お仕置きはこれくらいで十分かと杉田は手を放す。山本の白い手には赤い手形がクッキリと刻まれていた。
「お、お前、格闘技か何かを習っているのか!?」
「いいや。ただのラノベオタクさ」
「クソッ」
分が悪いと感じたのか、山本は逃げるようにその場から立ち去る。残されたのは桜木と杉田の二人。先に口を開いたのは彼女の方だった。
「助けてくれて、ありがとうございました」
「おう」
「でも勘違いしないでください。私の力なら一人でも危機から脱することができました」
「足が震えているのにか?」
「こ、これは……武者震いという奴です」
「気丈な性格は昔と変わらないな」
「昔……ですか?」
「覚えてないか? 繁華街で家出していたお前を保護してやっただろ」
「繁華街……保護……」
「俺の方は覚えていたのに、酷い話だ。ただあの頃の俺はヤンキーだったから、イメチェンした俺に気づかないもの無理はないか」
ボサボサの前髪が風で舞い、その下から懐かしい顔が浮かびあがる。初恋の相手はこんな身近にいたのだと、この時、初めて気づいたのだった。
それからの桜木は杉田のことを意識するようになった。自然と目で追うようになり、視線が重なっても気持ち悪いと感じるどころか、嬉しさで頬が赤く染まるようにさえなっていた。
また杉田のことを少しでも知ろうとライトノベルを読むようになった。最初はイラストの美少女に忌避感を抱いていたが、読んでいる内に親しみを覚え、気づくと好意へと変わっていた。
ライトノベルを馬鹿にする者は多いが、読んでみると純文学とは違う面白さがあった。太宰もいいがラブコメもいいのだ。
それからも片思いは続き、とうとう恋愛感情を抑えることができなくなった。校舎裏に杉田を呼び出し、恋人になって欲しいと告白した。
しかし杉田は答えを躊躇うかのように長い沈黙を生み出した。きっと断る返事を考えているに違いないと察した彼女は、咄嗟に仮の交際関係を提案した。
振られることを回避するために、ライトノベル作家になる偽りの夢を語る。交際関係はそのための協力だと頼むと、彼はその願いを快諾した。
仮の交際関係は桜木にとって至福の時間だった。放課後にラノベを一緒に読みながら、感想を言いあう。時には意見が食い違うこともあったが、それもまた楽しい青春の一ページになった。
おかげで桜木はラノベがより一層好きになり、嘘から出た夢は真実として本当にラノベ作家を目指すようになっていた。そして二人が協力して生み出した愛の結晶は、見事にライトノベル新人賞を受賞したのだった。
「ここまで長い道のりでしたね」
楽しかった思い出から思考を現実へと引き戻す。手には『完璧超人桜ちゃんの恋』が握られている。ライトノベルこそが杉田との縁を繋いでくれた恩人だった。
「きっと私の告白を喜んでくれますよね♪」
桜木は鏡台の前に座り、身嗜みを整える。鏡に映った自分は口角の角度まで計算された完璧な笑みを浮かべている。しかし杉田のことを思うと、どうしても頬が緩んでしまう。
「えへへ、私もやっぱり完璧ではありませんね♪」
だがそんな年頃の少女のような自分が好きになっていた。彼と恋人になることで、きっと一層自分のことが好きになれるはずだと、告白の返事を聞くのを心待ちにするのだった。
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