第一章 ~『夢で見た憧れ』~


 夢とは記憶の整理が引き起こす幻想だ。だから視界に広がる光景が夢だと判断するのは容易い。なにせ最も輝いていた頃の記憶がそのまま再現されていたのだから。


「わぁー、ペンギンさんですよ。可愛いですね♪」


 目に映るのは桜木とデートした動物園だ。ペンギンがテクテクと歩く姿に興奮する彼女はとても新鮮だった。


「もしかしてペンギンを初めて見るのか?」

「実はそうなんです……それどころか動物園も初めてで……」

「でもさ、子供の頃に家族で来たりしなかったのか?」

「……私の両親は忙しい人たちですから」

「そうか……なんか悪かったな」

「バツの悪い顔をしないでください。私は初めての動物園が杉田くんと一緒で嬉しいのですから♪」


 桜木の浮かべる笑みは決して強がりではなく、本心から彼とのデートを楽しんでいるように見えた。二人で肩を並べ、園内を歩く。すれ違う喧噪が聞こえないくらいに心臓が高鳴っていた。


「見てください、すごい人だかりですよ!」

「あそこにいるのはパンダだな」

「パンダさんがいるのですか!?」

「もちろん見たことないんだよな?」

「はい。人生初パンダさんです!」


 桜木は興奮を抑えられなかったのか人混みに飛び込んでいく。だが人の壁は分厚く容易に超えることができない。


「人が少なくなるのを待つしかないな」

「いいえ、まだチャンスはあります。私には背伸びがありますから」

「奇遇だな。実はその特技、俺も使えるんだ。だが俺の身長でもパンダの顔は拝めそうにない」


 角度の問題で、もう少し近寄らないとパンダの顔を拝むことはできそうにない。


「お目当てが目の前にいるというのに、なんだか歯痒いですね。まるで限定版ラノベの販売行列に並んでいる時のような気分です」

「パンダとラノベを同列に語るやつ始めてみたぞ」

「どちらも可愛いという点では似たようなモノでしょう?」

「ちょっと強引すぎないか!」


 自分たちよりも列の前にいる人たちが去り、パンダと目の合う距離まで近づく。白と黒のコントラストで彩られた熊は、笹をむしゃむしゃと口にしていた。


「テレビで見るよりも可愛いですね♪ 鳴いたりしないのでしょうか……」

「パンダの鳴き声は羊に近いそうだぞ」

「それは是非とも聞いてみたいですね」

「でもメスに欲情した時にしか鳴かないそうだ」

「その雑学は聞きたくなかったです!」


 それからもパンダは面食いだとか、走ると自転車より速いだとか、蘊蓄を披露するたびに、桜木はクスクスと笑みを零す。彼女の笑顔が見たくて、口がいつもより滑らかになっていた。


「杉田くんは物知りですね」

「テレビで特集されていたから知っていただけだ。それにパンダは人気があるからな。ネットの記事も多いんだ」

「私もいつかラノベ作家になって、パンダ以上の人気者になってみせます。負けてられません!」

「ラノベでパンダを超えるのは無理じゃないかな」

「いいえ、諦めません。目指すなら壁は高い方が燃えるでしょう」


 桜木はどこまでも高みを目指す。対する杉田は冴えないラノベオタクだ。彼女の向上心が眩しくて、なんだか惨めになる。


「どうかしましたか?」

「いいや、なんでもない……」

「そうですか。なら次はライオンさんを見に行きましょう。百獣の王を一目見なければ、動物園を満喫したとは言えませんから♪」

「そうだな」


 杉田は桜木の一歩後ろを歩くように背中を追いかける。不釣り合いな二人が肩を並べることに恥ずかしさを覚えたのだ。


 しかし桜木は彼の心情を知ってか知らずか、歩幅を短くして、歩調を合わせる。息遣いさえ聞こえるような距離で心臓の鼓動は早くなっていく。


「あ、あのさ、桜木……」

「どうかしましたか?」

「俺たち、周りから恋人として見られていると思うか?」

「当たり前です。私たちは仮とはいえ交際しているのですから」

「だけどカップルにしては不釣り合いだし、兄妹だと思われているかも」

「な、ならこうすればどうでしょうか」


 桜木は恐る恐る探るように、白い指を彼のゴツゴツとした指に絡ませる。ギュッと握られた手はひんやりと冷たいのに、彼女の頬は熱を持って朱色に染まっていた。


(これが幸せってことなのかな)


 美しい思い出は杉田に幸福を実感させる。綺麗な記憶はどこまでも輝いていて、この光景をいつまでも見ていたかった。


「……るっ、起きなさい」


 体が揺らされ、景色にノイズが奔る。窓から差し込む光が意識を覚醒させ、動物園から自室の天井に視界が切り替わった。


「やっと起きたわね。このままだと遅刻するわよ」


 エプロン姿の梅月が呆れた顔で彼を起き上がらせる。


「寝顔が随分と嬉しそうだったけど、いい夢でも見られたの?」

「いいや、悪夢だったよ」


 美しい思い出を復讐心が黒く塗りつぶしていく。夢の内容を忘れようと頬を叩き、視界に映る現実を正面から見据えるのだった。


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