第一章 ~『親戚と親友』~
『第一章:生まれる誤解』
教室の窓際の席で、杉田は誰にも気づかれずにひっそりとラノベに夢中になっていた。教室の喧騒を耳に入れずに、涼しげな顔で読み進めていく。ページを捲ると、時折ニヤニヤとした笑みを浮かべる。
(やはりラブコメはいいなぁ~)
ラノベの内容は平凡な少年が学園一の美少女に言い寄られるが、それを悪戯だと思い込んで避けようとする話で、ヒロインの女の子が必死にアプローチする仕草が読者の胸を打つ魅力を秘めていた。
「おい、杉田。ニヤニヤが隠せてないぞ」
「藤沢、おはようの挨拶がそれかよ」
杉田の前の席に座ったのは、悪友であり、親友でもある藤沢だ。痩せ型の中性的な顔つきは黙っていれば美少年だが、如何せん、中身が残念オタクである。
「俺、笑ってたか?」
「すっげー、いやらしい顔してたぞ」
「そ、そんなにか……」
「夜の歌舞伎町に向かうオッサンでも、もう少し爽やかな顔してるぜ」
「うぐっ……それはヤバイ顔だな」
例えが例えだけに、心が深く抉られる。
「ラ、ラブコメは危険だ。ついニヤニヤしてしまう」
「なら学園ファンタジーを読もうぜ。伝奇小説でもいいぞ」
「手から火が出るラノベだろ。何が面白いんだよ、そんなもの」
「言いやがったな、こいつ! それを言ったら戦争だぞ!」
ラブコメ好きの杉田に対し、藤沢は中二病ファンタジーを愛読していた。平凡な少年がモテモテになる話より、不思議な力に目覚めて世界を救う話を好んでいるのだ。
「どうして杉田には中二病作品の良さが伝わらないかなぁ」
「そりゃ、現実で人は超能力を使えないだろ……やっぱりほら、リアリティがさ……」
「何の取柄もない男がモテモテになるのも現実では起こらねぇよ」
「中身が良ければ可能性はゼロじゃないだろ!」
「いいや、ゼロだね、ゼロ! 考えてもみろよ。運動も勉強も顔も平凡な優しいだけの男に媚びる女がたくさんいるなら、芸能人が美男美女の集まりであることに説明が付かないだろ?」
本当に人間性が異性への大きな魅力になるのなら、外見を売りにした商売が成り立つはずがない。
「……でも藤沢はオタクのくせにモテるんだろ?」
「それは俺の顔が整っているからだ」
「すっげー、自信だな」
「なにせ俺の初恋の相手は鏡に映った自分だからな」
「ここまでナルシストだと逆に感心するよ……」
藤沢が自分の顔に自信を持つのも無理はない。容姿のレベルはクラスでもピカイチで、身長は上杉よりも高い。モデルへスカウトされたことも一度や二度ではないという。
「それに俺はラブコメなんか読まなくても、両方の手で数えきれないほどに恋人がいるからな」
「十人以上と同時に交際するなんて疲れないのか?」
「疲れるぞ。だけど俺、チヤホヤされるのが好きだからさ」
「一人に絞れよ。女の子にも失礼だろ」
「う~ん。でも俺、女の子が悲しむことに何も感じないサイコパスだからなぁ……」
「このクズめ」
「うん。クズだよ♪」
「開き直るなよな……それにさ、付き合っていると情も沸くだろ?」
「全然。だって真剣じゃねぇもん。魔法とか使える女がいれば、マジで惚れるかもしれないけどな……」
「そんな奴、いてたまるか!」
二次元と三次元は次元が異なるが故に交わることはない。ファンタジー世界の住人が現実に現れるはずがないのだ。
だが架空の世界の住人に憧れる気持ちは理解できた。なにせ少し前までの杉田はアニメキャラにしか恋ができない残念男子だったからだ。
だが今の彼は違う。教室の扉近くに座る女子生徒、桜木陽菜へと視線を向ける。金色の髪が光で照らされて、一枚の絵画のように神々しい雰囲気を放っている。彼女と出会ってから、二次元と三次元を明確に区別するようになり、現実の女性に対して恋心が芽生え始めたのだ。
「そういやさ、杉田は恋人を作らないのかよ?」
「なんだよ、突然」
「お前も顔は悪くないからさ。いてもおかしくはないかなって」
鋭い目つきを隠すような黒髪と、ゴツゴツとした体格を目立たせないようにする一回り大きいサイズの制服が、彼のオタクらしさを際立たせていたが、顔のパーツ一つ一つを精査していけば、決して醜男ではない。
「あ~、でも駄目か。ラノベが趣味の男に惚れる女なんて、この世にいねぇや」
「中二病ラノベオタのお前にだけは言われたくねぇよ」
「ははは、それはそうかもな……それに杉田が恋人を作らないのは、片思いの相手がいるからだもんな」
「な、なにを、言って……」
「桜木さんのことが好きなんだろ?」
「べ、別に、俺は……」
「とぼけても無駄さ。授業中、桜木さんにねっとりとした視線を向けているだろ。あれは二次元に恋する萌え豚の眼だ」
ラノベのイラストに対するニヤニヤを三次元の桜木にも向けていると、藤沢は指摘する。
「ただまぁ、諦めた方がいい。桜木さんは杉田じゃ無理だ」
「失敬な。俺にだって可能性は……」
「無理無理。ヒノキの棒で竜王と戦うようなもんだ。なにせ桜木さんは学内試験が常にトップ、運動も得意だし、それになによりあの美貌! なにあれ、人間? 二次元の方がブスに見えるとか信じられねぇよ」
「まぁ、美人なのは認める」
藤沢の言葉は決して誇張ではない。桜木の美しさはモデルやアイドルを超え、人として成しうる美の限界にまで到達していた。
「桜木さんと付き合う男はどんな奴なんだろうな……」
「案外、俺のような冴えない男かもよ」
仮とはいえ、恋人なのだ。彼の言葉は決して嘘ではない。しかし藤沢は鼻で笑って一蹴する。
「無理無理。桜木さんはサッカー部のエース、山本でも玉砕したんだぜ……可能性があるとしたら、俺のようなイケメンだけさ」
「いいや、藤沢のようなチャラ男じゃ無理だね」
「なら試してやるよ」
「試すって何をだ?」
「俺が告白してきてやるよ」
「なっ!」
「見てろよ。俺のプレイボーイっぷりを証明して――って痛ぇよ! 腕を掴むな」
「わ、悪い」
無意識の内に杉田は藤沢の腕を掴んでいた。謝罪と同時に手を放すが、彼の白い腕には赤い手形がクッキリと残っていた。
「これだから元ヤン陰キャは面倒なんだよなぁ」
「悪かったよ。今度、飯奢ってやるから機嫌直せ」
「仕方ねぇな。杉田とは腐れ縁だし、許してやるよ」
杉田と藤沢は中学時代からの付き合いである。そのため高校の同級生はほとんど知らない秘密も知られている。
その内の一つが、杉田が不良生徒だった過去だ。今でこそオタクの鏡のような彼だが、中学時代は、名前を聞けば、誰もが震え上がるようなヤンキーとして有名だったのだ。
「随分と楽しそうな話をしているわね」
「ツキちゃん!」
「学校では梅月先生でしょ」
「先生って教育実習生じゃん」
「五月蠅いわね。先生は先生よ」
杉田に声をかけたのは梅月麻衣、教育実習生の大学生であり、杉田の従姉でもある女性だ。
子供と間違えられるような童顔と身長は一見すると年下に見えるが、体躯に不釣り合いな大きい胸と黒い艶のある髪、ダークグレーのレディススーツのおかげで、大人の雰囲気を纏っていた。
「ツッキーはさ、杉田と親戚なんだよな?」
「藤沢くん、ツッキーはやめなさい」
「えー、可愛いからいいじゃん」
「よくありません。私は先生なんですよ」
「はいはい。分かりましたよ」
梅月は怒りを露わにするが、可愛らしい声のせいで威厳を感じさせなかった。小犬に甘噛みされているような感覚にさえ陥る。
「私は授業の準備をするから、二人とも、予習しておくのよ」
「はーい」
立ち去る梅月の背中を藤沢は邪な目で見つめる。口元にはニヤニヤと笑みが浮かんでいた。
「……まさかツキちゃんを狙っているのか?」
「それも悪くないな」
「もしツキちゃんを弄んだりしたら怒るからな」
大切な親戚を弄ばれては許せそうにないと、声に怒気を含めるが、藤沢はキョトンとしていた。
「おい、聞いているのか? 俺は忠告したぞ。絶対にツキちゃんを傷つけるなよ」
「当たり前だろ。ツッキーは杉田の親戚なんだから」
「はぁ?」
「俺はクズでどうしようもない奴だが、友達だけは大切にするからな。もし交際するなら結婚前提の真剣交際に決まっているだろ」
「そ、そうか……」
「くぅ~それにしてもツッキーは可愛いよな。見ろよ、あの胸。顔よりデカいぜ」
「確かにふくよかな胸だな」
「あんな娘と親戚だなんて、杉田は本当に羨ましいぜ。俺なら絶対に手籠めにするのに」
「ツキちゃんとは家族のような関係なんだ。女性として意識するはずないだろ」
「いやいや、一度くらい意識したことあるだろ?」
「ないよ。なにせ俺が最近まで一緒にお風呂に入っていたくらいだからな」
「ふ、風呂に一緒に入っていたのかよっ!」
藤沢は声のトーンを上げて驚く。すると教室から教科書を落とす音が聞こえてきた。音のする方向に視線を送ると、慌てるように桜木が教科書を拾い上げている。
「羨ましい。俺が杉田の立場なら偶然を装って胸揉むぜ」
「お前のようなゲスと同じにするな。それに世の中には大人になっても一緒にお風呂に入っている親子もいると聞くし、別段珍しくもない話だ」
「いやいや、親子と従姉は違うだろ。知っているか? 従姉となら結婚できるんだぜ」
「らしいな。だがツキちゃんは二十二歳だぜ。年の差がありすぎる」
「二十二歳なんて、まだまだ小娘だろ」
「……高校生が口にしていい台詞じゃねぇな」
「俺のストライクゾーンは広いからな。上はアラフォーまでいける。もちろんツッキーもストライクだ!」
「俺の心の審判は従姉に対してボールを宣言するんだよ……」
漫画やアニメとは違う。親戚は親戚でしかないのだ。異性として意識することはない。
「ツッキーが駄目ならどんな娘が好みなんだよ?」
「それは……」
「やっぱり桜木さんか?」
「うぐっ……」
「図星なんだな」
藤沢はニヤニヤと笑みを浮かべる。それに釣られるように、彼以外にも頬を緩めている者がいた。
「桜木さん、笑っているけど、何か嬉しいことでもあったの?」
「い、いいえ、ただの思い出し笑いです」
桜木が弁解するようにクラスメイトに笑みの理由を説明する。その声は杉田の耳にも届いていた。
(もしかして俺の言葉を聞いていたのか……)
桜木が自分のことを意識してくれているかもしれない。彼もまた釣られるように口元に笑みを張り付けるのだった。
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