5.馬頭観音
「なに勝手に決めてんだよ」
「いいじゃん、行くよね? シ・モ・ン」
笑顔で言い放ってやると前髪の隙間から小気味いい舌打ちの音が聞こえた。了承の印と取り私は満足の意を示すために頷く。
「ばとうかんのんってのは……」
すぐに奥に戻るかと思いきや、シモンはそのまま居間の障子戸で影になった境界までずるずると這い出てきた。
「馬の頭の神か?」
ええ、めんどくさいなあ。そこ、説明を求めちゃう? それこそ舌打ちしたい思いでいる私の横から立ち上がった慎也さんが、居間のちゃぶ台の方へと移動した。
お盆に伏せてあったグラスにポットの中の麦茶を注いでシモンに渡してから、慎也さんが説明してくれた。
「そうですね。ヒンドゥー教のビシュヌ神が馬の姿になって戦った神話が起源とか。日本では観音菩薩の一形態として畜生道を守護する役割が結び付けられたわけですが、仏像では馬の姿をしているわけではなく、頭上に馬の頭を載せているのですよ」
「強いのか?」
「強いでしょうねえ。明王のように憤怒の形相で衆生の煩悩を食い尽くすといわれます」
「武器もたくさん持ってるしね!」
振り向いて私が言うと、シモンはぎろっとこっちを睨んだ。
「勝てるのか?」
「おバカ。なんで観音とケンカしなきゃならないのさ」
シモンはわけがわからないという表情で眉を顰める。黙っていればお貴族様みたいな品のある顔立ちだから、そういう表情も絵になる男だったりする。
「この騒ぎに馬頭観音は関係ないよ。地獄耳でさっきの話聞いてたんでしょ。馬頭観音の石碑っていうのは石像じゃなくて慰霊碑なの」
「〈馬頭観世音〉と文字だけ記されている石碑は、大体が馬の無病息災や死んでしまった馬の冥福を祈ったものですから。馬の頭を戴いた観音が自然と身近な存在である馬の守り神となったのです。そんな人々の優しい祈りを捧げられたものが悪いものなわけはない、と信じたいですからね」
そう言って優しく微笑む慎也さんに私はぽーっとなってしまう。さすが慎也さん、いいこと仰る。ならばやっぱり、真新しい菊の花が供えてあったあの小さな石碑は、何も悪くないと証明してやらなきゃ。私は俄然やる気になる。
「よくワカラナイけどまあいいや。オレは寝るから出かける時間になるまで起こすなよ」
「へいへい」
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