それはキッスで始まった

奈月沙耶

 

プロローグ

 それは、「春来ぬ」とカワイイ顔をした気象予報士のお兄さんが言えども、まだまだしんしんと冷える寒い夜のことだった、と思う。

 思うっていうのは、実際のところ私の記憶というか感覚というか、そういうのが曖昧で、まだ冬物のコートにマフラーまで巻いていた覚えはあるから実際に寒かったのだろうというわけで。


 しかしその夜、歓送会で飲んで飲んで飲まれて飲んでしこたま飲んで飲んで飲みまくった私は、いい感じにできあがっていて、体はぽかぽか足元はふらふら、意識は朦朧としていてまるで寒さなんて感じなかった。

 きちんとコートを着てマフラーを巻いていたのは、帰り際に優しい先輩の誰かがきちんと身支度の面倒を見てくれたからだろう。まあ、よくあることである。


 そんな千鳥足の私の前に、夜闇の中から人影が忍び出てきた。闇にカラスかってくらい全身真っ黒なコーディネートの男。しかも、

「あんた……いい匂いがするな」


 ね、紛うことなきヘンタイさんの台詞でしょ? すわ変質者だって一気に酔いが醒めたね。

 ものの、足元はおぼつかないし、対応を決めかねて私はじっとヘンタイを観察した。

 ヘンタイはぜえぜえ息を漏らしながら私の肩を掴んで言った。

「頼む……少し分けてくれ」


 ぐいっと顔を近づけ私の首元のマフラーに顔を埋める。何がしたいんだコイツ。ヘンタイの考えることはまったくわからん。よし、ここはみぞおちに一発!

 と拳を握ったとき、ヘンタイは激しく舌打ちして顔を上げ、今度は私のくちびるを奪った。

 うひゃあ、これ痴漢。まじ痴漢。いきなり舌入ってるし。


「酒くせえ。でも、甘い……」

 ほうほう、ヘンタイの痴漢め。言いたいことはそれだけか? ならば覚悟しやがれ。

 自慢の握力を誇る右手をわきわきさせ、私はぐわっとそいつの股間に掴みかかった。握り潰すぞ、オラ!

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