Nemesiss:Code 葵ユリカについて [終編]永遠の物語
@Lilyly082280
一部 プロローグ
深く薄暗く、重く生温い。
痛みが全身に纏わりつき、意識を深い泥沼へと誘う。それでも外骨格の出力のおかげで、まだ拳銃だけは握っていられた。
酸素を求めて肺が収縮する。そのたびに脇腹が疼く。躱し切れなかった一撃が喰い破ったそこから、熱が赤く溢れていった。ひび割れたアスファルトにシミが広がる。
それを見つめながら
『まるで鈍色の世界に墜ちた、一枚の薔薇の花弁だ…』
なんて、詩人を気取って死ねるのならそれに越したことは無い。
けれどそれが今日だったとしたら都合が悪かった。
傾いた世界の向こう。いや違う、傾いているのはわたし自身。地面に墜落し伏したまま、気力だけで目線を上げる。
瞬間、ジェットスラスターの轟き耳朶を打つ。空気が爆ぜる。
向けた視線の先、死を運ぶ黒い鳥が滞空したままこちらを睥睨する。そのまま腰の二振りの刀を抜いた。
「…う、ぐぅッ!」
奥歯を噛み締めようとも、漏れる呻きはやはりわたしが発したもの。
じりじりと焼け付くような痛み。鎮痛剤の自動投与機能がダウンしたらしく、急速に脇腹を蝕む。
逃げなければ。
思考が幾度となく奔って、この重い身体を動かそうとする。だが動かない。それどころか視界が揺らぐ、意識喪失の一歩手前だ。
水面のように揺らぐ視界の中心で、奴は両肩の大出力スラスターを逆噴射しつつ降下する。
周囲の瓦礫が吹き飛ぶ。舞い上がった土煙の嵐に襲われ、咄嗟に頭を腕で庇った。半壊した左腕の外装越しに、両肩のバインダーを大きく開いた奴を見る。
鋭い先端を有するバインダーがヴェイパー・トレイルを引き、降下軌道をなぞって数瞬のあいだ中空に留まり、消えた。
そのままなめらかに着地する。
推進器の轟音に反して、足先が地に触れるその際でさえも揺らがない体軸、落下の衝撃を最小限の身のこなしでいなすその様はともすれば優雅とさえ言える。
しかしそれは
一挙一投足、視線の運び、呼吸のタイミング。
それら全ては殺戮の為のスキルである。そしてその全力が、今まさにわたしに向けられているのだった。
奴はまさしく死そのものだ。死神なんて生易しいモノではない。死そのものが人型をしているのである。
逆噴射の排気が轟々と吹き付け、幾度となく熱線に炙られた前髪を、更にかき乱す。
急に身が芯から冷えていくのを知覚して、外骨格ユニットの
奴はゆっくりとわたしの出方を意識しながら、歩みを進めている。
「もうわたしに打つ手なんか、ある訳無いでしょう…」
自嘲の言葉も掠れて出ない、鉄の味が口の中に広がるだけ。
それでも奴に銃口を奴に向け続けていられるのは、貴女が好きだからという一点以外に言いようが無かった。
………
……
…ッ、…
ひたひたと頬に当たる水気、雨。奴の真黒い影が差す。
ブーツのつま先で蹴られた右手は、あっけなく拳銃を取りこぼした。
それでも胸元のナイフに手を伸ばす。しかし指先がグリップへ辿り着くよりも、頬に触れる剣先の冷たさを知覚する方が早かった。
「これ以上は無意味だと思いますが…まだ続けますか?」
色の無い声だった。
口元を覆うスカルフェイス・デザインのマスク。そしてアイセンサーの朱いインジケートランプ。そのランプの点滅が、この上なく奴を無機質たらしめる。
感情を極力排した肉声は、下手な合成音声よりも機械的だった。
だからこそ抜身の刃と共に突きつけられた圧の凄まじさに、嘔気を感じた。
同時に理解する、奴にとってこれはビジネスの一環に過ぎない。
色なんてハナから存在しないこの世界においても、彼の声、いやその存在には色が無かった。
あるのは影の暗さだけだった。
胸元を掴まれる。そのまま体を起こされる。
だが、視界の焦点を既にわたしは失っていた。音も遠く離れて行った。
砕けたレンズ越しに臨んでいるかのような世界は、淀んだ光とぼやけた朱いランプの輝きで一杯になる。そのランプの朱い明滅が、暗転してゆくわたしの意識の中でも最後まで残り続けた。
嗚呼…そういえば、あの日も雨が降っていたっけ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます