1 夏のゲートに月明かり 第二話

「心南、おそくなる時は必ずれんらくしなさいよー」

「はーい」

 日曜日はいいお天気だった。予定どおり、美月とすみれと今日はショッピング&食べ歩きだ。

「姉ちゃん、出かけるの?」

 昇太がげんかんに出てきた。小学四年にしては小さくて細い。性格もやさしい子で、いじられがちなところが姉としてはとても心配だ。最近は特に。

「友だちと遊びに行くよ。昇太は? 今日はどうするの?」

「もっちーとかと、もしかしたら遊ぶかも。その後、じゆく……」

「そっか。じゃ、おたがい楽しんでこよう。塾、始めたばっかりだもんね。友だちどうしで帰ってくるんだよね? 時間が遅いもんね」

「うん……」

 昇太の表情がやっぱりえない。わたしは美月の時と同じようにすっぱり聞くことにした。

「ねえ、昇太、何か友だち関係とかで、うまくいかないこととか……あるんじゃないの?」

「そういうんじゃない」

 昇太はそのまま階段を上って、自分の部屋がある二階に行ってしまった。


 美月とすみれとわたし、今日は三人がそろった。気に入った洋服も買ってカフェでいっぱいおしゃべりもして、カラオケも行って、鼻歌でも出ちゃいそうな、気分上々の帰り道。

 自宅近くの公園と民家のブロックべいの間の道を歩いている時に、それは起こった。

 中学生くらいの男子が四、五人固まって、ブロック塀に向かってなにかどやしつけている。四人か五人かわからないのは、人間がひとところにめ寄りすぎて重なっているからだ。

 きようかつだ! といつしゆんでわかるようなシチュエーション。

 身長ばかりがひょろっと高くて肉付きのうすい体型の子もいるし、小学生並みに小さい子もいる。身体からだつきのアンバランスさや私服の感じから、高校生じゃなく中学生だと思った。

 それにしたって四、五人いるなかにっ込んでいくのはこわい。わたしは、いざとなったら110番することにして、スマホの通話機能を表示させてからその集団に声をかけた。

「ちょっとあんたたち!」

「ああん?」

 全員がわたしをり向いて動いたことによって、ブロック塀に追いつめられている子の顔が見えた。ふるえる手で中学生に向かってさいを差し出している。

「昇太っ!」

 わたしは買った荷物を全部地面に落とし、昇太にけ寄った。昇太を守るように背中に回す。

 わたしが割って入るより一瞬早く昇太から財布を受け取った中学生は、いやらしい顔でこっちを向いた。

 どうして昇太がこんなところにいるんだろう。

せいのいい姉ちゃんだと思ったらホントにこいつの姉ちゃんか。ちょうどいいな。中学生ならこいつよりもっと金持ってんだろ」

「失礼ね。高校生よ!」

「じゃあなおさらラッキーだな。てか……とっとと財布出せよ」

 詰め寄られたほんの一歩のきよに、本気でおぞがした。

 さらに何を思ったのかわたしの顔のほうに手を伸ばしてきた瞬間だった。男子生徒の顔面がブロック塀にようしやなくたたき込まれた。距離が短くなかったら頭が割れたっておかしくない勢いだ。事実、額には血がにじんでいる。

 目の前で見ていたわたしは声も出ず、両手で口元をぎゅっと押さえることしかできなかった。いったい何が起こったの?

「俺はこういうやつ、めっちゃむなくそわるくてどおりできないタチなんだよね」

 中学生の後方からの別の声に、わたしをふくめ、みんなの視線がそっちに移動する。わたしの時とちがって、中学生全員の身体が一瞬にしてこうちよくしたのがわかった。

 背の高い男子がひとり立っている。

「言っとくけど今のは正当防衛だからな。この子が今どんなに怖かったか、お前にわかるか! 怖くてなんにもできなかったこの子の代わりだよ」

 わたしに手を伸ばそうとして、ブロック塀に額を叩きつけられた子に向かって、その男子がえる。今にも火をきそうな容赦のないいかりだった。

「…………」

「相手は小学生に女の子だろ? 小学生も怖いだろうけど、女の子には違う怖さがある。お前らには遊びかもしれなくても、この二人には後々まで心に残る大きな傷ができるんだよっ」

「…………」

「俺はそういうのがしように許せねえ。おら、どうしたよ? 来るなら来いよきようもの! 多勢に無勢だぜ? 俺ひとりに五人がかりでしりみかよ?」

 声が出なかった。わたしたちの目の前に立ちはだかったのは、部活帰りでジャージ姿の夏京くんだと、ようやく気がついた。

 中学生は確かに五人。背の高い夏京くんと、同じくらい身長のある子もひとりいた。だけどすでに中学生五人は、夏京くんにオーラで完全に負けている。

「お前らどこの中学だ。俺がこういう犯罪を大目にみて許すと思うなよ」

 夏京くんは一番近い位置にいたひとりの腕をつかんだ。それを合図にほかの四人はバラバラと一目散にげ出した。だれかがほうり出したのか、昇太の財布が遠くない場所に落ちている。

「ひとりつかまえときゃあいもづるだよな。こんな卑怯者は」

「ひぃぃっ」

「録画して」

 夏京くんはわたしに顔を向け、そううながした。

 その子は本当に夏京くんに言われるがまま、中学も、自分や逃げた仲間の名前もすらすらと白状していた。わたしは指示通り、スマホを録画機能にして、まるわくをタップする。

 中学生がここまで従順でも、夏京くんはさらにてつていしていた。

「このまま警察に行きたくないなら、なんでもいいから名前の書いてあるものを見せろ。顔写真がついてないやつしかないなら二枚出せ」

 最後の最後に本人かくにん書類の提出。これでうそをついていないかどうかがはっきりする。

 夏京くんに詰め寄られた男子は、学生証を見せていたみたいだった。

 それを男子中学生に返しながら、夏京くんは念押しした。

「二度と、この子にも、他の誰かにも、こういうことはするなよ」

 一語一語区切りながらゆっくり発する言葉は、わかりやすいおどしだった。昇太にこんなことをされた姉としては、夏京くんが神のように思える。あそこで簡単に、「もうするなよー」くらいの軽い注意であの子たちを逃がしてしまっていたら、きっとまた同じことをする。相手が昇太であっても他の子であっても。

「夏京くん、ありがとう」

 逃げていく中学生の背を見送っていた夏京くんにそう声をかける。

「え?」

 わたしを振り返るそのひとみが、いぶかしそうに細められる。

「えーとね。わたし、夏京くんと同じ高校なんだ。早律大付属高校の二年。結城心南って言います。この子は小学四年で結城昇太」

姉弟きようだいだったんだ。で、え? 心南ちゃんって早律大付属の二年なの?」

「そうです」

 悪かったですね、印象薄くて。っていうか、心南ちゃんってなに? いきなり名前呼びから入るの? やっぱりチャラい……。

 と感じないわけじゃないけど、わたしの夏京くんに対する見方は百八十度変わっていた。だってあそこで夏京くんが現れてくれなかったら、わたしも昇太もどうなっていたかわからない。

 ちゆうぼうのチンピラなんてたいしたことはしないだろう、せいぜいお金を巻き上げられるくらいですんだとは思う。だけど、年上のわたしはともかく、昇太のこの先が思いやられて仕方がない。

 夏京くんはといえば、わたしを上から下までえんりよにじろじろながめまわした。それから口を少し開いて、頭を軽くかしげ、二、三度大きく頭を振ると、そのあと小刻みに何度もうなずいた。なつとく、といったしぐさだ。わたしに思い当たったのかもしれない。

「見覚えあるかも。心南ちゃん、もしかしてテニス部じゃない?」

「そうです」

「やめろってその敬語。同じとしじゃん」

「そうか、そういえば」

 美月がさわいでいるし、高校内外にファンの多い人だから、芸能人としゃべっているような感覚がけない。

「昇太くん。小学四年……か」

「あ、はい」

 そこで夏京くんはなんだか遠い目で昇太を見た。なつかしむような、いとおしむような、わたしに対するのとは打って変わったやわらかい表情だった。すたすた歩いていってわたしたちが忘れていた昇太のさいを拾い、手のひらでていねいつちぼこりはらった。

「はい。まだ内側とか砂が入り込んでると思う。家に帰ってからちゃんといときなよ」

「あの、ありがとうございました」

「いいよ。あれだけ警告しといたから、さすがにもう手ぇ出さないと思うよ」

 いやもう……。警告というより完全なるかくだよ。わたしとしてはそのほうがうれしいけど。

「はい」

「昇太くん、あのさ、立ち入ったことだけど、ああやってカツアゲされたのって、今日が初めて?」

「…………」

 昇太の表情がみるみる青ざめる。ここのところ、家でも昇太の顔色がえず、元気がなかったことと何か関係があるんだろうか。学校もちがう、しかも小学生。でもぐうぜんじゃなく、わざわざ昇太をねらったってこと?

「いえ……あの」

 夏京くんはここでやっと、かたにかけっぱなしにしていた部活のバッグを下ろした。長丁場かくってことだろうか。

 言いよどむ昇太に、夏京くんはせかしたりせず、うでみをしてじっと待っている。わたしは家でのことをはっと思い出した。

「昇太……。先週、じゆくの月謝、落としたって言って、ママにもう一回もらってたよね?」

 わたしの言葉が、ぎりぎりのところでえていた昇太にとって、れるだけでほうかいを呼ぶ禁断の積み木だったのだ。不安定な積み木のとうくずれ落ちるのはいつしゆんだった。

「ごめんなさい」

 昇太は泣きだした。

「昇太……。ここんとこ口数少ないし、顔色冴えないし、友だち関係うまくいってるのかなって心配してた。こうやって何回もおどされてたってこと?」

 だとしたらもうだいじようなんだろうか? 夏京くんが、すべて解決してくれたの?

「これって何回目? 相手の名前もわかるし、ちゃんと警察に届け出よう。塾の月謝だったんなら、ヘタしたら何万単位だよな?」

 夏京くんが昇太に語りかける。

「一万二千円。今月入ったばっかりで銀行の引き落としが間に合わなかったから」

 昇太が今月入会したのは受験用の進学塾ではない。個人経営の英語の塾で、クラスに何人も通っている子がいる。

「それだけ? 取られたの?」

「うん、その時は。でも待ちせされて、ないなら親の財布からわかんないように抜き取ってこいって言われたけど……できなかった」

「えらいな。昇太は立派だ。勇気のある子だよ」

 夏京くんが昇太の頭をぐしゃぐしゃと、でも愛のある手つきでなでる。

 そして夏京くんの昇太への呼び方が昇太くんからすでに昇太、になっていることに気づいた。この人のきよめ方の速度にきようたん

「最初にカツアゲされた時、昇太はひとりだったのか? この際だから困ってることは全部き出せ。今回俺があいつらをらしたことで、問題はすべて解決したのか?」

 え? どういうこと? もちろん解決したでしょ? とわたしは夏京くんの横顔を、疑問全開の表情で見つめた。

「…………」

 昇太はだまっていた。

「たぶんだけど……俺の読みが当たってれば、の話だけど、俺は昇太の助けになれる自信がある」

「夏京くん、なんのこと話してるの? 意味わかんないんだけど」

「ごめん心南ちゃん、ちょっと待っててな」

 そう言うと夏京くんはまた昇太に向きなおった。

「俺は今、昇太と出会ったばっかりだ。いい人間のふりして近づくやつもいるからだまされるなよ。自分の心の目をまして考えるんだ。俺がしんらいできる人間かどうか」

「…………」

「だけど昇太、俺じゃない人間、お前の姉貴はお前が最も信頼する人間のうちのひとりなんじゃないのか。親に心配かけたくない。でも問題は解決したい、そういう時、一番にたよれる存在じゃないのか。それとも姉弟でもみようなら──」

「……夏京……さんの、言う通りです」

「え? 昇太どういうこと?」

「初めて塾に行った日、その前にみんなでコンビニに寄って買い食いしてたの。その時友だちが転んで、持ってたジュース、あの人たちのひとりにかけちゃって……そしたらクリーニング代よこせって……」

「それで、まとまったお金を持ってたのが昇太だけだったの? 昇太が……」

 そこでふと考えがよぎる。親が用意してくれたお金を、すんなり昇太が自分からわたすだろうか? 昇太がジュースをかけちゃったわけじゃない。

「小学生なんだから向こうだって大金を期待してたわけじゃないだろ。全員の財布からぜにでも出しゃあそれで気が済んだはずだ」

「友だちのひとりが、こいつが持ってる、って……」

 昇太が塾の月謝を払うために、今日はまとまったお金を持っていることを告げ口してしまった、ってこと?

「心南ちゃんさ」

「え?」

 明るい表情で、夏京くんがわたしにいきなり視線を合わせてきた。

「ちょっとそこの公園のベンチで待っててくれる? 昇太と男同士の話ってのをするわ」

「…………」

「昇太、借りていい? そこの公園のベンチからなら、俺らのことが見えるだろ?」

「わかった。あの……よろしくお願いします」

 わたしは深く頭を下げた。

 昇太を助けてくれて、そのうえ、のちのち昇太が再び狙われることがないようにと、かんぺきおどして……じゃなくさとしてくれたあのしゆわん。さらに昇太に日常の問題がまだ何かある、といてくれた。

 わたしは夏京くんを心底信用する気になっていた。わたしは彼の言う通り、すぐ横の公園のベンチに座った。

 夕方の公園。上空の風が強いのか、雲の流れが速すぎてなんだかこわい。子供のころに慣れ親しんだこの場所特有の花と緑のかおり、その独特の配合がやけになつかしい。近所なのに、この公園に遊びに来ることがなくなって久しい。

 夏京くんと昇太がいるほうをり返って見てみる。二人ともガードレールにこしかけ、わずかにおたがいのほうを向いている。おもに昇太が口を開き、夏京くんは腕組みに足組みをし、むずかしい顔をして聞いている。しんけんに耳をかたむけてくれていることが、ここからでもわかる。

 今日出会ったばかりなのに、昇太の身に何が起きているのかをあの子の様子からさぐろうとし、ここまで深くり下げて考えようとしてくれる人が、家族以外でいるだろうか。

 わたしだって昇太の様子がおかしいことに気づいていながら、み込んでいいものかどうかちゆうちよしていた。もしかしたらママやパパも。昇太は小学四年。難しいねんれいに差しかかりつつある。

 教室という四角い箱は、遊園地にも戦場にも、考えたくないけど時にはけいじようにだって姿を変えてしまうへんげんざいの空間なのだ。これから何年にもわたり、昇太だけじゃなく、だれにとってもそういう場所になる。

 自分で自分をなだめるようにきしめ、目をつむって深いため息を落とす。どんな問題がからんでいるのかわからない。でもどうか、どうか昇太を助けてください。

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