1 夏のゲートに月明かり 第一話
「あ、飛行機雲だ!」
わたしは足を止めた。
これを見ると
校門の前で、
今は六月で、あれからもう二か月がたつ。最初の
それでも最近、ようやく、彼を好きになったきっかけや、ドキドキする毎日が宝物だったと考えられるくらいまでは回復してきた。
わたしの長い
「
遠くからわたしの名前を呼ばれ、校門内に入りかけた体をひょいっと後ろにひいて声のしたほうを
わたしはそっちに向かって大きく手を振ってから、手招きをした。
「おはよう! 美月、すみれー。ねえ早く早く」
「なにー?」
せかすわたしにすみれが答え、二人はさらに急ぎ、ここまで
「見て見て! すっごいはっきりくっきりのきれいな飛行機雲じゃない? 恋愛
「ほんとだ。すみれ、お願いしなよ!
「美月、適当すぎじゃない? それって流れ星じゃ……」
すみれがうらめしそうに飛行機雲を
「いいじゃない、ジンクスなんて自分の都合のいいようにとっておけばいいんだよ。ほらすみれ、消えちゃうって!」
わたしはすみれの
「そっ、そうか、そうだね! じゃあちょっと失礼して」
こんな校門の前じゃ登校する生徒に
すみれはひとり飛行機雲に向かって手指を組み合わせて
ちなみに美月、
「長いな、すみれ、もう行くよっ」
美月が、すみれの
「きゃっ」
まだ目をつむってお祈りの姿勢でいたすみれは、バランスを
こんな感じの朝が、わたしにとっては愛すべき日常だ。
「おーい! それこっちに
よく通る男子の声が校庭から
わが校の校則が
風になびいていてさえ、有名なヘアサロンでカットしたことが
サッカー部は、ほぼ全員がこんな感じなのだ。
サッカーって金属を身に着けちゃいけないスポーツだったような気がする。練習だからOKなの? コーチまで緩いのだろうか?
それでいてレベルは全国クラスなのだ。有名な
10の背番号が輝かしいこの男子もそうだ。
「
美月が
「ありがと。蹴ってくれればそれでよかったのに」
その子はにこっと美月に
「とんでもないですー」
美月が聞いたこともないような甘ったるい声を出す。
「いいかげん直してほしいよ、あそこのネット、な?」
「…………」
またもや夏京くんはアイドル張りの笑顔を見せ、下を向いてもじもじしはじめた美月にそんじゃありがと、と片手をあげると背中を見せて走り出した。
「チャラい……」
これはわたしの呟きだ。
「どしたの? 顔が
「見た見た? 夏京くんとあんなにたくさんしゃべっちゃったよ。いやあー。
「うん。見てたよ美月。すみれちょっと感動した。夏京くんって気さくだね。付属組の女子じゃなくても
おっとりしているすみれまで、あんなチャラ男の肩を持つ! わたしがびっくりだよ。
「だよねー。前の彼女だって高校から入った
早律大付属中等部は
そしてここの中等部は、学費が特に高いことで有名だ。
中等部から入った子達は一学年一クラスしかなく、学習進度の違いで高校から入ってくる子と同じ教室になることはないまま卒業を
とにかく、そんなわけで中等部付属組は団結力が
「あたし、本気で
今、ボールを拾って渡した夏京くんのことだ。
自分の
「やっ! やめなよ美月! あんなチャラいやつ。高校に入ってからしか知らないけど、彼女の人数がすごく多くない? 十人とか、
「ああ、ね。来る者タイプなら
「どんどん去っていってるんだよ、あんなチャラいやつは!」
「もう、心南は
「そりゃ、そりゃそうかもしれないけど、絶対ダメだってああいうタイプは。なんか怖いっていうか……」
「すみれも心南の言うことわかるよ、美月。あんな派手な男子はすみれたちじゃ対等につき合えないよ。サッカー部って強いから、外部のファンもいるって聞くよ?」
「それはちょっと燃えてくるな」
「美月──! わたしだってさ、美月が本当の本当にものすごおおく夏京くんのことが好きなら……すごくもやもやするけど
グラウンドを見ながらもたもた話をしていたら、
「バカね、心南。本当の本当に好きになんかなれないって、怖くて。自分が傷つくのがオチでしょ。そんなこときちんとわかってるよ」
「えっ……美月、それどういう意味?」
「夏京くんとつき合ったら女子としての株があがるかなー、なんてね」
「…………」
そんな考えがあることに、そして仲がいい美月がそういう考えを持つことに、わたしは絶句した。
「やーだ、ドン引きしないでよ、心南。ちゃんといいな、とは思ってるよ、夏京陸哉。本当に
美月のその、夏京陸哉、というフルネーム呼びが、すでに好きな人に対する呼び方ではないんだよ。それほど興味のないアイドルに対するような呼び方で、そんなので告白していいのかと首をひねってしまう。
それでも美月は、もしかしたら本当に実行してしまうかもしれない。そして夏京くんが、美月のことがタイプなら、告白をOKしてしまうかもしれない。
「……やめなよ」
すみれとしゃべりながら
ホームルームが始まってからもわたしは上の空だった。
「
「…………」
「結城心南、休みかーっ?」
「結城、結城、呼ばれてんぜっ」
隣の席の
「はっ! はい、います。登校してます!」
わたしはあわてて手をあげ、そのうえ、そんなことする必要もないのに、
神代が、わざわざ
「ぼんやりするんじゃない」
怒られたか。
美月に、なんて説得して夏京陸哉くんへの告白を思いとどまらせようかと、ずっと考えていた。わたしがこんなに美月の話に
高校に入学してすぐ、わたしが広報委員会で仲良くなった友だちに
どうしようもなく
安藤くんは、たぶん夏京くんとも仲がいい。
そりゃ全員だとは思わない。サッカー部の中には彼女と長続きしている子だってちゃんといることは知っている。
だけど実際は安藤くんや夏京くんのように、女子とつき合うことを、すごく軽く考えている子が、サッカー部の一部、特に夏京くんみたいな中等部からのレギュラー組に多いことは
それを逆手にとる美月みたいな考え方には言葉を失うけど。でもそういう子なら、振られても傷つかないのか。
そういう女の子ばかりが全国レベルのサッカー部男子に告白をし、男の子たちは近づいてくる女子の態度を見てさらに
でも真彩はそうじゃなかった。中等部入学当時から安藤くんのことが好きで、高校生になって捨て身の
真彩はテニス部の仲間だから美月も知っているけど、中等部から早律大付属に入った付属組だ。
テニス部の中でも付属組と高校入学組の間には
ひとクラスしかない早律大付属中等部。部活というものが初めてな子たちだからどうしても限られた部活に生徒が集中してしまう。その中でテニス部は
というわけで高校のテニス部は、人数としては付属組と高校入学組が半々だ。
試合後の打ち上げなんかは一緒に行くものの、美月やすみれは積極的に付属組の子とかかわろうとしない。
そんな中、わたしは真彩と仲良くなった。仲良くなってみるとすごく気が合って、考え方の深い部分が似ていることを知った。そのうちお
テニス部では、わたしは美月やすみれと
でも……というかだからこそ、真彩の名前を出して美月にあのサッカー部派手集団の女の子に対しての軽さを話すのは、できないことなのだ。
真彩の名前も安藤くんの名前も
……それに美月は、現在ちょっと複雑なわたしと真彩の関係にも、気がついてしまっているかもしれない。あくまでこれは推測の域を出ていないけど。
とにかく!
美月は〝告白OKもらえたらラッキー〟くらいの軽い気持ちみたいだけど、それだって
正直、美月には、あのへんの男子と
今は〝夏京くんとつき合ったら女子としての株があがる〟程度の気持ちかもしれない。でも「本当に両想いの彼氏彼女になれれば最高だあね」とも言っていた。そうなりたいという願望もちゃんと持っているなら、それはすでに立派な好意だ。
コツコツ。
わたしの机をたたく音がする。また
コツコツ。
「うるさいな、神代。わたし、大事な考え事をしてるんだよ」
「そうだったのか」
「
「そりゃあ、十六歳男子と五十代元男子じゃ、声の高低も変わるってものだ。結城」
「えっ!」
目の前には英語の
「僕の授業より大事な考え事があっても、それはよろしい。正しい青春だな」
「あ、ありがとうございます」
「ただしそれは僕の授業ではない時にしなさい。さもなければ別の場所で考えなさい」
「すみませんでした」
「どうする結城。僕の授業について考えるか、自分の大事な考え事について、別の場所で考えるのか」
「もちろん、ここで逸見先生の英語について考えます」
「次に同じ注意を受けたら、別の場所で考えさせるぞ。
「はいー……」
授業中にまで考えていたらあっという間に放課後になってしまった。今日はテニス部がないから三人で寄り道をして帰る。週一で仲良し女子三人、カフェで長時間、
「心南、今日ぼんやり度が高すぎだよね」
美月が口を開く。手元にあるのは新作、期間限定の
「だれのせいだと思ってるのよ、美月。今朝美月が、夏京くんに告白しようかな、なんて言いだすからー」
もうあれこれ考えずに本人に、危ない危ないを連発すればいいんだ。
「なんだそんなこと? もう心南はあれこれ心配しすぎるとハゲるよ」
「このへんハゲてきた」
わたしは別にハゲてもいない頭の横をこすった。
「さすがにそんな度胸はないよ。あたしが一方的に熱を上げてるだけで、知り合いでもなんでもないんだよ? 画面の向こうのアイドルと同じだね」
「なんだー……。そうなのか」
わたしは隣に座っているすみれの
「心南はほんと、ちょっとしたことでも先回りして考えるんだもん。話を半分に聞くってことができない。
「脳疲労ってなに?」
わたしが聞いた。
「そのまんまだよ。脳が疲労することらしいよ」
「脳の疲労? 中間テストが終わってそこからはすでに解放されましたー」
わたしは芳醇抹茶フラペチーノを手に取り、ストローでシューッとすすった。
またすみれが返す。
「脳疲労は
「わたしそこまでスマホ使わないもん。ゲームも今はしてないし」
「そのかわり、心南はあれこれ同時にいろんなこと考えすぎ。テニス部も副部長だけど、結局動いてるのは心南が一番多いもん。全員の
そこで美月が両手で左右の
「がーん! あたし、めっちゃスマホ依存だよ。ないと不安。そんで……言われてみると、ガチで人の名前すぐ忘れる」
「美月、脳疲労じゃなーい?」
すみれが美月を
「そんなことがあるなんて……マジで気をつけよう」
美月の
一理あるのかも。スマホ依存ではないけど、考えすぎたり勝手に心配したりしていらぬ
最近自分が
……もしかして、それなら、わたしが今一番心を
時おり昇太が見せる小学四年生にそぐわない暗い表情、隣の部屋から
「心南! でも心配してくれてありがと! そういうとこ、好きだよ」
美月が正面から
「美月ぃ──! 見てるだけならいいけど、ぜーったい夏京くんに近寄らないでよー」
わたしは美月にそう返した。
「うわ! 今の言い方、自分の彼氏に対する
美月の言葉にすみれが笑う。高校生活において、安定している女子友だちほどありがたいものはないのだ。
長いこと好きだった男の子に失恋して、まだちょっと苦しいけど、たぶんわたしは
明日の日曜日、みんなで出かける予定について額を寄せ合って相談をし始めた親友二人、美月とすみれを
部活のない日曜日、みんなでぷらぷら洋服や小物を見たり食べ歩きをしたりするのが、すごく楽しいとまで思えるほどに、心は回復してきている。
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