第一章 悪役なんて聞いてません
そもそもの
四人いるきょうだいの中で、彼女だけは側室が産んだ子どもだったのだ。その側室も、病ですでに
異母きょうだいたちの数々の嫌がらせがそのせいだと知った彼女は、だから
それまではやられたらやり返すくらいの気の強さを持っていた彼女も、成長すればそれがいかに無意味だったのかを
ようは、
それからは、彼女は王族でありながら、城の小さな小さな
「ふふふ。今日も元気よく育ってるわね。えらいわ、私の
しかし、それを嘆くでもなく、むしろ楽しめるだけの図太い神経を持つのが、このフェリシアという王女である。
どう見ても手入れの行き届いていない、
初めてここを目にしたとき、けれどフェリシアは
そうしてフェリシアの、忘れ去られた王女生活が始まったのである。当時、彼女はまだ十二歳だった。
「ヨモモちゃんとダミーは
愛しい我が子を見る
と、こんな感じに、彼女の庭にはたくさんの植物がある。なかにはフェリシアが植えたものもあるけれど、もともとここに
幼い
まさかそれが植物に愛称をつけるほどの
しかも副産物として、彼女は自由を手に入れた。育てた薬草やハーブを
しかし、この気ままな日々が続くと思っているフェリシアも、ある一つの
そろそろあの意地悪な兄王子──アイゼンが、とんでもない
(国王陛下は
商品となる薬草たちを
もうフェリシアだって十八歳だ。むしろ今の今まで縁談の一つもなかったほうが不思議なくらいである。といっても、それが自分のせいだとはむろん彼女もわかっていた。
自国で相手は見つけられない。
たまに
時には土をいじる姿を見せ、時には
そして、誰も変装した王女には気づかないから、
全ては、この離宮に残るため。それが
百か、ゼロか。
「──第二王女
そのとき、
(彼は……アイゼンお兄様の騎士だったかしら)
思い出そうとして彼を
ふう、と息をつく。薬草摘みをいったんやめると、仕方なしに立ち上がる。
「わたくしに、何か
ついに来たか、という思いは
自分を
週に一回ある監視のときは、騎士もフェリシアに声をかけない。とくれば、今回はもう一つの理由だろう。それがどんな伝言なのか、察せないほど
「アイゼン殿下がお呼びです。格好は気にしなくていいとのことですので、すぐに参上なさいますようお願いいたします」
「そう。わかったわ。でもせめてこの子たちを置きに行かせてくださる? でないと、手が
フェリシアはにっこりとトリッキーことトリカブトを差し出した。美しく
国どころか世界でも有名なこの有毒植物は、作り方さえ
が、それを知らない兄の騎士は、
「わ、わかりました。それくらいの時間は取れますので、早く置いてきてください」
少しだけ顔を青くして、一歩後ろに下がった。
「ありがとう。
その様子にご
フェリシアが案内されたのは、アイゼンの
書類と
「余の
「まあ。それはおめでとうございます」
「ついでにそなたの縁談も決まった」
「急ですのね。どなたとです?」
やはり、と内心で
それが面白くなかったのか、ふと、アイゼンが視線を上げた。その
「なんだ、
「わたくしより
「ふん。思ってもおらんくせに。では、どんな男がよかった?」
フェリシアとしては早く
「そうですわね。わたくしを
そんな相手に
案の定、
「そうかそうか。では、当日を楽しみにしておくといい。一途にまっすぐと、情熱的に愛されるといいな? シャンゼルの王太子に」
「……シャンゼル?」
「なんだ、小さすぎて知らないか?」
馬鹿にされるが、今さらこんな
頭の中で、兄に告げられた国を思い出す。
この世界に生きている者ならば、知らない者などいない国。グランカルストからは遠い、最果ての国である。もしくは始まりの国だったか。世界に伝わる神話において、神が最初に造った国とされている。フェリシアもそれくらいのことは知っていた。
だから彼女が訊き返したのは、兄の言う「小さすぎて」が理由ではない。
たとえ自国よりも格下の、小さな国だとしても。
シャンゼルは、ただの小国ではない。
「では兄からかわいい妹に、最後の優しさとして教えてやろう」
一度もそんな優しさなど見せられたことはないけれど、フェリシアは
「シャンゼルは大陸の
「まあ、
もちろんそれも知っていたが、適当に
気をよくしたアイゼンがさらに
「ここ最近は魔物とやらの
「まあ……」
なるほど、とフェリシアは
(だから私をシャンゼルに嫁がせることにしたのね)
好色家の爺ではなく、愛妾だらけの節操なしでもなく。ましてや、サディストでもなく。そもそも、生きていけるか
(さすがお兄様。最後の最後に、なかなか
むしろよくそんな相手を
(でも、
離宮に居続けられないなら、彼女は
「わかりましたわ。お相手は、シャンゼルの王太子殿下ですね?」
「ああ。ウィリアム・フォン・シャンゼル
「あら。
「まさか」
「でしょう?」
それくらいお見通しだ。何年兄と
「お話はこれで終わりですか? でしたらわたくし、もう戻らせていただきますわ」
返事を待たずに執務室を出る。バタンと
「ウィリアム殿下……か」
街で少しだけ聞いたことがあるのは、大変優秀で、人望の厚い王太子だということ。遠いグランカルストにまで届く
そんな、まだ見ぬ
好色家でも、節操なしでも、ましてやサディストでもないならば。
(私も、愛し愛される家庭を作れるかしら……?)
本当はそれが夢だったなんて、
それが、もしかしたら
(ああ、少しだけ楽しみになってきたわ)
なんて、フェリシアが夢を見ていられたのは、このたった十数時間だけだった。
というのも、翌日。
なんと昨日聞いたばかりの
あまりに急すぎて文句も言えなかったが、自分にだけ情報を止めていたのだろう。なんて地味な嫌がらせだ。最後まで油断ならない敵である。
そうして、みんなが即位式に参加するなか、フェリシアだけは自室で荷物をまとめていた。彼女はそこで、初めて婚約者との対面を果たす。婚約者ウィリアム──の、姿絵と。
見た
「どういうことよ、これ……!」
姿絵のウィリアムは、それはそれは美しい青年だ。
実際、恋に落ちてしまった。ゲームの中のフェリシアは。
「待って。落ち着いて。ここどこよ。ゲーム、そう、ゲーム。ゲームってなに」
はたから見れば乱心を疑われる。それくらい、フェリシアは取り乱していた。
が、いっこうに現状は変わらない。
目の前にはウィリアムの姿絵があり、
「ヒロイン……ゲーム……おとめゲーム……」
ちょっと前のフェリシアでは知らなかった単語が、次々と口から出てくる。
なんの悪夢だと思った。むしろ悪夢であれと願う。
だって、もしこれが現実なら、フェリシアは──。
「
乙女ゲーム『最果ての聖女~私は異世界で恋をする~』
世界の最果ての国で、異世界から
そこにフェリシアは、悪役として登場する。ベストエンドで
(そりゃそうよねだってウィリアムって実は
彼がそのゲームのメインヒーローであるとは、前世でこのゲームを散々
そう、つまり前世のフェリシアは、プレイまではしていない。それでも、妹のおかげである程度の知識はある。
(おち、落ち着くのよ、私。
言い聞かせながら息を吸う。ゆっくりと吐いた。
(これはあれよね。ようは、転生しちゃったってやつよね)
フェリシアと、前世の彼女が混ざり合う。本人ですら変な感覚だ。今までの自分を忘れたわけじゃないのに、今までの自分じゃない自分を知っている。でも、不思議とそれがしっくりきた。昔からあった小さな
だからか、完全に目が覚めた。そう、覚めたのだ。
(この人に恋とか、しちゃダメだわ)
ゲームの中のフェリシアは、言ってしまえば
そして、昨日フェリシア自身が思ったように、ゲームの中の彼女は期待した。家族は
期待して、裏切られて、
フェリシア・エマーレンス王女の末路は、必ず王太子に殺されるというもの。仮にも大国の王女であるフェリシアと、正式に婚約破棄などできなかったからである。
今のフェリシアは思う。
(そんなところにリアリティなんていらないわよ!)
そこはゲームらしく、婚約破棄だけで終わっていてほしかった。
(とにかく、今さら白紙にできないなら、ようはヒロインをいじめなければいいのよね。あと、
まさか自分の縁談にこんな落とし穴があったなんて。知るはずのないアイゼンを
「ヒロインが異世界から来るのは、ちょうど私が入国する日と同じだったかしら」
そして、その夜に開かれる
(でも、もしヒロインが殿下を選んだ場合、いじめないのと破棄は絶対でしょ。あと、破棄したあとどうするかも問題よね)
自国になんて
(それだわ!)
幸いなことに、今のフェリシアには平民としての記憶がある。そもそも身分制度のなかった日本という国で生きていたし、何よりも、今だって一人で生活しているようなものなのだ。難しくないように思えた。
(お金は貯金があるし、薬屋としてお店を開けば、経済的にも困らない!)
これならみんながハッピー。
「それにこれなら、お兄様に最後の仕返しもできるわね。ふふ」
せいぜい
やることは、決まった。
「まず、平民になる準備をする」
自分の指を一つ折った。
「次に、聖女をいじめない」
二つ目の指を折る。
「でもって、平民になる準備が整ったら、殿下に婚約破棄を申し出る」
三つ目の指を折りたたんで、フェリシアはウィリアムの姿絵を
「だから私は、あなたにだけは惚れないわ、殿下」
人差し指を
惚れない。惚れれば自分が
「そして、絶対幸せになってみせるわ」
さっそくフェリシアは、とある人物と
窓を開ける。空に向かって口笛を
「ゼン。あなたにお願いがあるの。かなり遠いけれど、ゆっくりでいいから飛んでくれる?」
──任せておけ。
そう言うように、
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