第五十話 謎は謎のまま夏が終わりそう

「……なんだ、波多野はたの。俺の顔に、なにかついているのか?」


 俺がチラ見しているのに気がついた藤原ふじわら三佐が、顔をしかめた。


「ついていると言いますか、いている疑惑と言いますか」

「なんだそれは」

「いやまあ、そういうことです。はい」

「はあ?」


 三佐にいているかもしれないものは、今のところ俺には見えない。猫大佐も候補生達も、三佐のことを特に気にしている様子はないから、本当になにもいていないのかもしれない。だがクラゲ幽霊のこともあるし、本当のところはどうなんだろうかと、非常に気のなる心境だ。


―― こういうことは、相波あいば大尉に質問すれば良かったかなあ…… ――


 少なくとも大尉なら、「バカ者め」なんて言わずに、教えてくれそうな気がする。そんなことを考えていた時に、あることに気がついた。そう。ここ数日、相波大尉の姿を見かけていないということに。


―― あれ? そう言えば、ここ数日、姿を見かけてないよな…… ――


 いつもなら、朝の自衛艦旗の掲揚けいよう時には大佐と一緒に艦首にいるのに、ここ数日はその姿も見ていない。


―― まさか、成仏しちゃったってことはないよな? ――


 艦長席で毛づくろいをしている大佐に聞けばすぐわかるんだが、他の先輩達もいるこの場で、声をかけるわけにはいかなかった。


―― お盆で娘さんのところに行ってるのかな…… ――


「それで? なにか言いたいことがあるなら、今のうちに言え。こっちも気が散るだろ」


 そんなことを考えていた俺に、三佐が声をかけてくる。


「言ってもきっと、わかってもらえないと思います」

「言ってみないことにはわからないだろ」

「それはそうですが……」


 話してみるか?と少しだけ迷った。クラゲ幽霊に関しては、この艦のほとんど全員が目撃している。そして三佐の幽霊に無縁な体質も、そこそこ知られていた。ならば、この場でその話題を持ち出しても、俺の頭がおかしいと思う人間はいないだろう。……多分。


「そのう、つまりですね、副長が幽霊やその手のことに縁がないのは、なにか守り神的なモノがいてるんじゃないかなって、思ったわけですよ。で、それが猫なんじゃないかと」

「……はあ?」


 反応は案の定なものだった。


「ほらー、だからわかってもらえないって言ったじゃないですかー」

「いやいや、今のは普通の反応だろ。こっちは朝からお前がずっとチラ見をしているから、山部やまべには言えない相談事でもあるのかと、思っていたんだぞ。それがなんだって? 俺に猫がいているだと?」

「……そういうことです」


 三佐が溜め息をつく。


「そりゃまあ、我が家は猫を飼ってはいるが……」

「ちなみに、代がわりはしてるんですか?」

「嫁の実家には結婚するする前から猫がいたし、その頃に飼っていた猫はとっくに死んでいる。今は何代目だったかな……二代目と三世代目……? 野良猫を引き取っているからよくわからんな」


 首をかしげながら言った。


「で、自分はその死んだ猫達が、副長の守り神的な存在としていていて、そのせいで、幽霊やその手の現象と無縁なんじゃないかと思ったわけです」

「……俺に猫がか?」


―― 大佐の話からすると、副長だけじゃなく、副長の奥さんとお子さんもなんだけどな…… ――


 まあそこは、今の話には関係ないから黙っておくことにする。


「猫ねえ……」

「猫達には好かれてましたか?」

「まあ、それなりに?」

「なるほどー」


 そこで三佐は、ハッと我にかえったような顔をした。


「ないない、そういうことはない。そんなことより波多野、集中しろ集中。出港準備が始まるぞ」

「えー……」

「えー、じゃない。海保の巡視船も湾内に入ったと連絡が来ている。指定の場所に時間通りに向かわないと、狭い湾内で渋滞が起きるだろ」


 甲板には、もやいの準備と周囲の監視のために、乗員達が出てきていた。俺はいつものように、艦橋から周囲の見張りをしろと、航海長の山部一尉から言われている。


「猫のこともですが、カレーが心残りで集中できそうにありませんよ」

「波多野ー、お前、まだ言ってるのかー?」


 ちょうど艦橋に上がってきた一尉が笑った。


「はい。まだあきらめきれません」

「まったく。困ったモンだな」


 笑いながら双眼鏡を手にする。


「さーて。こんな朝はやくから、護衛艦の周囲をウロウロしている不届き者はいるかー?」


 一尉の言葉と同時に、この場にいた全員が仕事モードに入った。カレーのことも猫のこともしばらくは棚上げだ。俺も艦橋の横に出て、周囲を双眼鏡で見渡した。


「左後方に水上バイクの集団がいます」


 しかもこちらに向けてカメラをかまえている。そのうち近づいてきそうな雰囲気だ。


「湾内をパトロールしている警備隊に連絡。連中をこちらに近寄らせるな」

「連絡します」


 三佐の指示で、通信を任されていた先輩が、基地の警備隊に連絡を入れる。今日は一般の人達がたくさんやってくることもあり、海上のパトロールも行っていた。


「航海長、うちのゴムボートじゃ、小回りがきいて足の早い水上バイクは、追い払えないんじゃ?」

「今年からは、地元の水上警察が警備協力をしてくれることになってな。なんと、あちらも水上バイクだ」

「マジっすか」


 しばらくすると白黒の水上バイクが二台、みむろと水上バイク集団との中間地点で停止する。乗っていた警察官が、こっちに顔を向けて手をあげた。


「おお、パトカーと同じ色。でも、自衛隊が警察官に護衛してもらうなんて、なんか変な話ですね」

「そうか? あっちのほうが権限があるし、こういう時は自衛隊より頼りになると思うぞ?」

「そりゃまあ、うちは逮捕できませんからねえ……」


 最近はイベント時だけでなく平日でも、停泊中のふねに近づいてくる水上バイクの集団がいる。動いていないから大丈夫だろうと、安易な気持ちで近寄るってくるんだろうが、監視をしているこっちとしては、事故が起きないかとヒヤヒヤものだ。個人的には、毎日でも警察にはパトロールをしてほしい。


もやいをとく準備、曳航船えいこうせんとの接続の準備、できました』


 甲板から報告があがってきた。


「了解した。作業はそのまま続行。……艦長、離岸準備、あと五分ほどで完了します」


 副長が内線で艦長に知らせる。曳航船えいこうせんが引き出しの準備を終えるのと同時に、艦長が艦橋に入った。


「おはよう。異常はないか?」

「おはようございます。水上バイクの集団がいますので、警察に待機してもらっています」

「よろしい」


『岸壁のもやいを解きます』

「それでは出港用意」

「出港用意」


 ふねが岸壁を離れた。


「波多野、カレーは無理だが、今日は航空基地の展示飛行が間近で見られるぞ」

「ヘリよりカレーですよ、カレー。ヘリは食べられないじゃないですか」


 一尉とならんで双眼鏡をのぞきながら答える。


「前方、障害物なし」

「前方、障害物なし」


「巡視船の現在位置は?」

「こちらの錨泊びょうはくポイント手前で待機中です」


 岸から離れ転身したところで、タグボートがもやいを解き、ふねから離れた。


「では皆本みなもとさん、後から来るお客さんのお世話を頼みます」

『了解しました。ではまた夕刻に』


 タグボートが汽笛を鳴らし離れていく。


「さて、予定時間より遅れているか?」


 艦長が腕時計を見ながら言った。


「水上警察さんの到着を待っていただけですので、そこまでは」

「それなら問題ない」


 錨泊びょうはくポイントに到着すると、前方に海保の巡視船が待機していた。みむろが合図の汽笛を鳴らすと、それに応えてあちらも汽笛を鳴らす。艦長がマイクを手にした。


「おはようございます。お待たせして申し訳ありません」

『おはようございます、大友おおとも艦長。時間通りです、問題ありません』

「それと、今日はお忙しい中をありがとうございます」

『こちらこそお招きをいただき、感謝しています。うちの巡視船は、一般の人に見学してもらうチャンスがあまりないので、こちらでも喜んでいますよ』


 艦長と船長が無線越しに話している間に、みむろは錨をおろした。


『それより、当船のために場所をあけていただいたようで、申し訳ありません』

「お気になさらず。ここしばらく乗員は呑気に夏を満喫していましたので、今日ぐらいは窮屈な思いをさせませんと」

『たるみますか』

「たるみますね」


 二人の長が声をあげて笑い合う。巡視船がみむろの横を通過した。巡視船の艦橋には、こちらに向けて敬礼をしている海保の人達の姿と、巡視船の猫神であろう灰色の猫の姿が見える。大佐は艦橋の横に出て双眼鏡の上に飛び乗ると、尻尾をふりながらニャーと鳴いた。


「はー、いいっすねー。海保さん達、きっと今日は海自カレーをコンプですよ」

「まだ言うかー」


 俺の言葉に一尉達が笑う。


 結局のところクラゲ幽霊のことも謎のままだし、副長の猫き疑惑も謎のまま、今年の盆休みシーズンは終わりを迎えそうだ。


―― 副長の猫疑惑もだけど、地元の海自カレーのコンプ、無念だよなー…… ――


 地道にコンプリートを目指すしかないのか、と心の中で溜め息をついた。

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