第三十九話 ハワイ出港 2

『時間』


 いつもの時間になると、スピーカーからの声とともにラッパの音が鳴り響く。その音に合わせ自衛艦旗が掲揚けいようされた。今日は、いよいよ日本に向けて出港をする日だ。復路も往路と同じく、横須賀の司令部に報告を兼ねて立ち寄ることになっている。


 旗が風に揺れるのを見て解散しようとしたところで、先任伍長の清原きよはら曹長が全員を呼び止めた。


「これからすぐに、出港準備にとりかかることになる。全員、最後まで気を引き締めて作業にのぞむように。こういう時の気の緩みが、大きな事故につながることを忘れるな」


 その場にいた全員が「了解しました」と返事をし、それぞれの部署へと散らばっていく。俺と比良ひらも先輩達に続いて艦内に戻ろうとしたところで、遠くから聞き慣れた汽笛の音が聞こえてくることに気がついた。


「あ、軍曹のタグボートだ」


 立ち止まって、音がしたほうに顔を向けた。


『グッモーニング、アロハ・カカヒアカー! みむろのみなさーん、おはようございまーす! 出港準備はできてますかー?』

「うわ、今朝は法被はっぴ姿でメガホン使ってる。今日の軍曹さん、めっちゃ気合はいってるー」


 軍曹はタグボートの船首に立ち、なぜか大漁旗風の法被はっぴを着てメガホンを持っている。俺達はそんな軍曹の姿に笑ってしまった。


「毎日毎日、色んなネタを仕込んできてましたけど、ついに最後までネタ切れ知らずでしたね、軍曹さん」

「ほんとだよな。おかげで出港作業がすごく楽しかった。だけどあの服装、規則的には問題ないのかよ……」


 テスト期間中、出港するたびにミムロ軍曹は新しいネタを仕込んでは、俺達を楽しませてくれた。そして最後の今日は、とうとう法被はっぴにメガホン持ちだ。『おもてなし』は日本人の専売特許だと思っていたが、アメリカ人にもそういう精神はあるらしい。しかも、ふざけ方が俺達以上に飛びぬけている。


「あ、よく見たら、クルーも全員、法被はっぴを着てますよ」


 比良の言葉に目をこらす。船内でタグボートの操舵そうだを任されている人も、似たような色の法被を着ているのがわかった。


「もー、どこから仕入れてきたんだよ、あれー」

「まさかキモノと勘違いしてませんよね?」

「さすがにそれはないんじゃ? だって今、勤務時間だし」


 それでも海に関係した大漁旗風の柄だから、彼等なりに意味づけをしているんだとは思う。だが米国海軍の軍人が、勤務時間中に法被はっぴを着てやってくるとは、なんともはや。良いのかよ?という突っ込みが、今の俺の正直な気持ちだった。


「変な日本の紹介サイトでも見たのかな」


 俺達は笑いながら、艦橋にあがった。


「お前達、見たか? 軍曹のチーム、今日は法被はっぴ姿でお見送りだとさ」


 山部やまべ一尉が、上がってきた俺達をニヤニヤしながら出迎えた。


「見ました。しかも大漁旗の柄ですよね」

「まったく。外国人が考えることはさっぱり理解できんな。知ってるか? あれでも任務中なんだぜ?」


 一尉がヤレヤレと首を横に振りながら笑う。そんな俺達に、艦長が真面目な顔をして言った。


「昔、イギリスの有名なバンドグループが来日した時、飛行機から降りてくる時に、日本のファンへのサービスの一環として、法被はっぴを着て登場したって話もあるからな」

「つまり、あれは俺達に対するサービスだと?」

「ドーナツとケーキまで届けてくれたんだ。そうとしか考えられんだろ」

「あ、それで思い出しました。ケーキ、まだ残ってるらしいですよ」


 入港ぜんざいならぬ出港スイーツだと言いながら、全員で朝飯の時に食べたんだが、さすがの俺達も、あの甘さには完膚なきまで叩きのめされた。


「そうか、一回では食べきれなかったか」

「無理でした」

「今日の昼で完食だ」

「俺達、けっこう食べたんですけどね……」


 正直なところ、当分はケーキを見たくないと思うぐらいは、頑張って食べたつもりだ。しかしアメリカのケーキは、俺達の想像をはるかに超えていた。


「昼も食べろ」

「えー……艦長、コーヒーごちそうしてくださいよ。普通のお茶では、あの甘いケーキは無理です」

「そんなことをしたら、横須賀に到着するまで俺のコーヒーがもたないじゃないか。却下だ、却下」

「部下よりコーヒーとか」

「ああ、部下よりコーヒーだ」


 更新テストも終わったのだから、もう夜中に無心になるためにゴリゴリする必要もないはず。だったらそんなに豆が減ることもないだろうに。どうやら普段のコーヒーは、艦長と幹部と限られた人間だけのモノということらしい。実に無念だ。


「しかし、頭痛がするほどの甘いケーキというのも、恐ろしい話ですね。私は日本人で良かったと、心の底から思います」


 一尉がそう言うと、艦長はまったくだと笑った。そこへ猫大佐がやってきた。そしていつものように艦長席に飛び乗り、毛づくろいを始める。そろそろ出港時間が迫っている。だから艦橋にやってきたのだ。


『こちらの出港準備、整いました』


 甲板に出ていた小野おの一尉から、艦橋の藤原ふじわら三佐に連絡が入った。


「艦長、出港準備が整いました」

「よろしい。ではそろそろ出発だ」


 艦長の言葉と同時に、合図のラッパが吹かれた。そして艦内に『出港用意』のアナウンスが響く。


 岸壁のボラードに結ばれていたもやいがとかれ、甲板へと引き上げられていく。もやいが完全にとかれたことをタグボートに知らせると、タグがみむろを引っ張り始めた。法被はっぴを着て見た目はアレだが、軍曹のタグチームは今日も完璧なチームワークだ。


 まだ早い時間だったが、岸壁には何人かのアメリカ海軍の人達が見送りにきており、離れていくみむろに向けて敬礼をしていた。それに対し、艦長や甲板に出ていた乗員が答礼をする。


 軍曹達のタグチームにエスコートされ、みむろは湾へと出た。湾に出たところで、ここしばらく毎日そうしていたようにタグボートが離れていく。それを確認した艦長がマイクをとった。


「ミムロ軍曹、今日まで当艦のエスコートをありがとうございました」

『こちらこそ! 私のチーム全員、みむろの航海の安全をお祈りしています。ア・フイ・ホウ! あ、これはハワイの言葉で、またお会いしましょうって意味です! ア・フイ・ホウ! 皆さん、どうぞお気をつけて!』

「ア、フイ、ホウ。本当にありがとう。皆さんもどうぞお元気で」


 通信が終了すると、タグはいつものように、にぎやかな汽笛を鳴らしながら離れていった。きっとあちらの猫神様も、軍曹と一緒に船首で尻尾を振っていたのだろう、毛づくろいをやめて外を見ていた大佐が、尻尾を振ってニャアと鳴いた。


「さて、日本への航海の始まりだ。よろしく頼むぞ」


 甲板に出ていた全員が艦内へと入る。そして小野一尉が艦橋に戻り、全員が艦内に戻りハッチを閉めたことを報告をした。いよいよ日本に向けての航海の始まりだ。艦長の指示で、ふねは徐々に速度を上げていった。



+++++



「あー、あんなにハワイが遠くなってしまったー……」


 艦橋の横から後ろを見れば、今朝まで自分達がいた場所が、はるか遠くに見えている。


「次に来るのは、いつになるんだろうなあ」


 そんなことを呟きながら中に戻ると、艦長と副長が艦橋をおりていくところだった。


「あれ? 艦長と副長、どこに?」

「ん? ああ、もらったレイを流しにいくんだよ」

「レイ? レイって、入港した時に、艦長達が綺麗なお姉さん達にもらったアレですか?」


 俺がそう言うと、一尉が顔をしかめた。


「綺麗なお姉さんて、細かいこと覚えてるな、波多野はたの

「ええまあ。綺麗なお姉さん達でしたよね?」

「まあ可愛い子達だったな」


 もちろん、幹部全員が鼻の下をのばしていたに違いないと笑っていたのは、俺達下っ端だけの秘密だ。


「その時のレイなんですか?」

「ああ。その時のレイだ」

「とっくに枯れちゃってるもんだと思ってました」


 入港してから二週間。水につけておいたとしても、入港時のままの状態を保っているとはとても思えない。


「もちろん枯れてるんだがな。アレは捨てるのではなく、自然に返すのがハワイでの流儀らしい。で、港で海に流すと、湾内にたまっているゴミといっしょくたになるだろ? だから外洋に出てから流そうって決めていたんだ」

「なるほどー。あれ? 航海長は一緒に行かなくても良いんですか?」

「いくらなんでも、幹部全員がここを離れるわけにはいかんだろ。だから艦長と副長が代表で、俺達の分も流すことにした」

「へえー」


 艦橋から出て下をのぞき込む。しばらくすると艦長と副長が、トレイに乗せたレイを持って甲板に出てきた。それぞれのレイの紐を切り、花を海へと流していく。


「あんなやり方があるとは知りませんでした」

「俺もだ」


 花を流し終えると、二人は艦の後ろを見て敬礼をした。


「こっそり捨てても誰もなにも言わないでしょうにね。艦内のゴミ箱なら俺達しか知りようがないですし」

「気持ちの問題だよ、気持ちの。相手国の文化に対しての敬意も含めてな」


 艦長達が艦内に引っ込むのを見届けてから、俺も艦橋に戻る。


「でも良いことを聞きました。なんとなくですけど自然に返すってのは、日本人の気質にも合ってる気がします」


 それに海に流すほうが、ゴミ箱に捨てるよりずっと良い。まあそれも、気持ちだけの問題なのかもしれないが。


「そうだろ? もし次にここに来ることがあって、新しい艦長達がそのことを知らないようだったら、お前がこのことを教えてやれ」


 一尉の言葉にギョッとなった。


「え、そういう大事なことは、艦長から次の艦長に申し送りしてくださいよ。下っ端の俺から言うなんて、とんでもないですよ」

「なにを言ってるんだ。そう言う時にこそ『具申ぐしん』という便利な言葉があるんだろうが」

「いやいやいや。それだったら俺じゃなく、せめて先任伍長とかに具申ぐしんしてもらわないと」

「なんでだ。清原はこの話を知らんだろ」

「だったら、ここで話を聞いた先輩達の誰かに……」


 その役目を言いつけてくれと言いかけた。だがその場にいた先輩達は、なぜか全員が俺から視線をそらせた。


「うわ、なんですか、その反応。ちょっと! 先輩達、それひどくないですか?!」

「つまりお前しかいないってことだろ、具申ぐしんするのは」

「やっぱりここは、艦長からの申し送りですよ」

「なんだ? 俺がどうしたって?」


 艦長と副長が艦橋に戻ってきた。


「いえね。レイを海に流す作法を次の艦長が知らないようなら、波多野に具申ぐしんするようにと申し渡したんですよ」

「なるほど。それは良い考えだ」

「良かったですね。これでいつハワイに寄港しても安心です」


 副長もニコニコしながらうなづく。


「ちょっと待ってください。ここはやはり、艦長が申し送りを」

「ただ流すだけじゃダメなんだ。ちゃんと作法は聞いたから、あとでメモを渡すようにしておこう。俺達が転属した後のことは任せたぞ、波多野」

「だから、そうじゃなくて……」


 俺の言葉はなぜか無視された。


―― うちの幹部は部下思いの良い人達ばかりだけど、こういうところが困るよな…… ――


 レイの件はともかく、今の幹部がずっとみむろに残ってくれたら良いのにと、思わないでもなかった。

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