第70話
「大原……」
人の皮を被った悪魔を視認した俺は睨みながらその名を呼ぶ。
「乙女にそんな眼を向けないでくださいよ。私は幼気な少女なんですよ? あー、怖い、怖い」
「香川を拘束している鍵を渡せ」
「あっ、はい分かりました、お渡ししますね――とでも? ですが、田村くんが作ってくださった筏で一緒に脱出してくださるなら――」
「――断る」
「相変わらず敵意のこもった眼差し……焦らしに焦らされ、結衣ちゃんは変な癖に目覚めちゃいました。責任を取ってくださらないんですか?」
「断る、と言ったんだが?」
死ね、という俺史上、最も強い言葉が喉元まで出かけていた。
だが、たとえ鬼と対峙しようともその一線だけは超えてはならないような気がした。
「もう。本当に連れない方ですね……まあいいです。本題に戻りましょう。まさか田村くんが司ちゃんと村間先生を見捨てて理沙ちゃんを救出に来るとは思っていませんでしたからね。本当に可愛そうですよ。今ごろ熊の餌にでもなっているんじゃないですか?」
熊。村間先生。
その単語から確信する。
大原は黒石の監禁場所をあえて熊のいる方向にしたのだと。
「……舐めるなよ」
「はい?」
「舐めるなと言ったんだ。村間先生は生徒を守るために救出しに向かったんだ。文字通り命を懸けてな。二人は必ず無事に戻ってくる。俺がなぜこっちに来たか分かるか?」
「私と一緒に――」
「――香川を殺させないためだ」
「……へえ」
大原の表情から笑みが消える。
見るからに不快を示し、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「村間先生は黒石を助け出し、俺は香川を救出する。誰一人死なせない。全員が無事に帰還し、新たな生活を送る。当然、そこにお前はいない」
言い切った俺に対して大原は、
「さすがの結衣ちゃんもイラッときましたよ田村くん」
「それは良かった」
ひたすら大原を煽る俺。
もちろん策などあろうはずがない。
相手は拳銃とダイナマイトを所持。香川の両手は鎖で拘束されており、鍵は大原の手の中。
どう考えたって詰んでいる。
悔しいなか、この圧倒的不利な状況を一発で逆転させるなんて不可能だ。
だったら――。
たとえここで撃ち殺されようとも、〝最後まで思い通りにならなかった〟と大原に小さな敗北感を残すことが俺にできる精一杯の抵抗だ。
圧倒的に有利にも拘らず最後の最後まで俺に邪魔され続けたという記憶は彼女を一生苦しませる鎖になるだろう。
いや、そうでなくてはならない。それが命を懸けてまで出来ることなんだから。
「……いいでしょう。では
そう言ってスカートから何かを取り出す大原。
金属音がじゃらじゃら鳴りながら出てきたのは、キーホルダーリング。たくさんの鍵が輪にはめられている。
もちろんそれを簡単に手渡してもらえるわけもなく、
――チャポンッ!
まるでフリスビーでも投げるように投げ捨てる大原。
それを視認したとき、すでに海水が腰近くまで上昇していることに気が付いた。香川の拘束と大原の登場に気を取られて過ぎてしまっていた。
「信じるか信じないかは田村くん次第ですが、今投げ捨てた鍵の中に理沙ちゃんを解錠する鍵を入れておきました。この鍾乳洞に海水が満ちるまで保って十分といったところでしょう。私が投げ捨てた方向は深く、どんどん沈水していきます。視界が悪い中でそれを見つけ出し、数十種類もある鍵の中から拘束を解錠する鍵を当て、入り口を失った二人がこの鍾乳洞を脱することは絶望的です。
ですからこれが最後の確認です。私に忠誠を誓うつもりはないですか?」
「ないね」
「そう、ですか。残念です。本当に残念ですよ。理沙ちゃんのようなバカな女のために田村くんほどの殿方が命を捨てるなんて――大馬鹿者ですよ」
大原が取り出して来たのは拳銃とダイナマイト。
彼女は爆薬を海水で浸っていない岩の上に置き、ゆっくりと遠ざかる。
十分な距離を取り、拳銃を構えた。
「この鍾乳洞に足を踏み入れる際、気が付いたと思いますが、至るところが脆くなっています。私の緻密な計算ではこの爆発で支柱が崩れ落ちるでしょう」
冷や汗が止まらなかった。大原がしようとしていることがあまりにも現実離れしていたからだ。
「私は理沙ちゃんが憎くて、憎くて、憎くてたまらなかったんです! ようやく、ようやく私は彼の無念を晴らすことができます。ざまあみやがれ、ビッチが! お前なんか生きる価値ねえ屑なんだよ!! 窒息して生き地獄を味わったあと、本物の地獄に行きやがれ! ははっ、思いの丈をぶつけたらスッキリしました。それじゃ――さようなら、田村くん」
最後の挨拶を残し、大原はダイナマイト(の導線)を狙って射撃する。
憎たらしいほどに的確な射撃。たった一発で摩擦により導線に火が付く。
ジジジと、火が本体に差し迫り、それはすぐに訪れた。
――ドオオオオオオオオォォォォッン!!
轟音。
凄まじい衝撃と熱風。波が荒立つ。
大原を視認することさえままならない。
腕を交差して身を守るが、波が押し流すように迫ってくる。
岩を背にするまで流される俺。
海水がまだ満ち始めたところだったせいで、飲み込まれるほどではないが、おもわず飲み込んでしまいそうになるほど何度も何度も波が襲ってきた。
だが最も衝撃的だったのが、大原が口にした『入り口を失った二人』という言葉の現実を思い知らされたことだ。
――バギィッ、ドゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォーッ!
俺が進んできた道を塞ぐように鍾乳洞が崩れ落ちていく。
石灰岩が次々に海水に落下していき、耳を塞ぎたくなるような轟音が響く。
それはまさしく想像を絶する光景。あまりにも非現実的だった。
しかし落ちた岩で水面が上昇、波が荒立ち、海水が俺を現実に引き戻してくる。
――急がなければ!!!
本格的に本能が命の危険を知らせてくる。
俺はすぐさま大原が投げ捨てた鍵の方向へ
念のために持ってきたゴーグルを装着するものの、衝撃により砂や泥が舞い上がり、視界が悪い。ほとんど黒と言っても過言じゃない。
焦るな。呼吸を乱すな。諦めるな。思考を止めるな――!
やるべきこと、やらなければいけないこと、それだけを考えるんだ!!!
まずは海水の底に沈んでしまった鍵、それを見つけることだけに集中しろ!
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