第53話
大原の拠点に通うことになった初日。
「ふふっ。よくぞ来てくださいました。歓迎しますよ」
椅子(株)に座るよう促される。
まさしくウェルカムな雰囲気の中、やはりあれが差し出される。
「どうぞ。紅茶です」
昨日に続いてまたか。
さすがに今回ばかりは飲まないという選択肢はなかった。
いや、本当なら飲むべきではないのはわかっている。
だが、出どころがわかった以上、まして目の前で平然と紅茶をすする大原がいる以上、駆け引きに挑まないなんてことはありえない。
俺は昨日敬遠したそれをぐいっと一気に胃に流し込む。
「おお。男らしいです。狼とわかっている人物から差し出された紅茶を躊躇なく飲み干すなんて。お見それしました」
パチパチと手を叩いて楽しそうに笑う大原。
自分でもずいぶん無謀なことをしていると思う。
もしも毒物が入っていたら一瞬でゲームオーバーだ。
だが、これから彼女とゲームをする以上、圧倒的に有利なのは大原。むしろ銃なんてチートを所持している以上、
そんな状況で長期戦も考えられる以上、真剣に頭を割く対象は絞っていきたいわけだ。
なんでもかんでも百パーセントフル稼働で脳を回すのは身がもたない。
もちろん大原は俺の思惑などたやすく読んでいることだろう。
「香川はどこに行ったんだ?」
「ダメですよ田村くん。こんなに可愛い少女を目の前にしておきながら別の女の名前を出すなんて」
空気にピリッとした緊張が走る。大原の視線に鋭利が入り混じる。
二人きりのとき、別の女の話題はNG、と。
暗にそう示してくる。
「せめて安否は教えてくれ。これじゃゲームにならない」
「安心してください。私の能力をフル稼働した安全な場所で安心な作業をしています。田村くんだって薄々気付いているでしょう?彼女は私の貴重なカードだと」
最も殺しやすいのは言うまでもなく香川理沙だ。
大原にとってこれ以上ない人質。毒殺、銃殺、縛殺など。手段も方法も腐るほどある。
俺を揺さぶるための切り札だ。簡単に手放すつもりは当然ないだろう。
「これから私たちと過ごすことになるので、いくつかルールを補足しておきます」
「わかった」
「まず私から毎日一つずつお題を出させてもらいます」
「お題?」
いまいちピンと来なかった俺に大原は竃を指差して言う。
「たとえば、竃を作って欲しい、火を簡単に起こせる道具を作って欲しいといったところでしょうか」
なるほど。つまり自分たちの生活をさらに快適なものにするため、命令に背けない男を使って整えようと。したたかなこった。
「当然ですがこのゲームに参加する以上、田村くんは理沙ちゃんと接触する時間が必要です。それも私が介入することなく」
香川を大原から引き剥がす以上、会話は当然必要になってくる。接触すらさせてもらえないなら話にならない。攻略の糸口すらないわけだ。
どうやって大原ほどの目を盗んでこちら側に引きずり込もうか悩んでいたが、これはもしかしたら朗報かもしれない。
「つまりお題をクリアすることで香川で二人きりになる時間が与えられる、そういう解釈をしていいんだな?」
「ピンポーン。正解です。やはり頭の回転が早い人との会話は楽で済みます。理沙ちゃんなんて同じことを三回以上伝えてもできないことが山のようにありますからね。物覚えの悪い猿を飼っている気分ですよ」
頭がキレ過ぎる悪魔よりは可愛いもんだと俺は思うがな。
このとき思考が足りていなかったのは、俺がお題に挑んでいる間、大原は何をしているのか、だ。ここにもっと早く気付けていれば、村間先生が――。
「ちなみにどれくらいの時間がもらえるんだ?」
「お題の難易度によりますが、平均一分でしょうか」
「一分⁉︎ いくらなんでも短か過ぎる!」
もちろん抗議する俺だが、大原がルールを補足し始めたときにそれぐらいだろうなというのはなんとなく察していた。
おそらくこのゲームは長期戦になる。他人の心を掴むというのはそれぐらい大変なものだ。
つまり大原は最初から拠点に何度も通わせるつもりでいるはずだ。
俺が香川を攻略するのにも時間がかかるのと同じように、大原が俺を攻略するのにも時間がかかる。
俺とは対照的に大原は好きなだけ時間を取ることができるというのは卑怯だとは思うが。
ゲームは先手必勝。先に動いた者の特権といったところか。
いずれにせよ抗議はポーズだ。下手に出ることでより良い条件を吐き出させるためのな。
追い込まれた状況からゲームを開始するわけだ。
いまさらプライドやつまらない意地は何の得にもならない。
「ふふっ。そうおっしゃると思いましてボーナスポイントを用意しています」
一気に血の気が引いた。世界一怖いお化け屋敷よりも肝が冷えた自信がある。
大原にとっては俺の抗議すら想定内だったということ。
もしかしたら自ら墓穴を掘ってしまったのかもしれない。
大原は一枚のプリントを取り出して見せてくる。
どうやら死体からくすねた物の中に紙とペンもあるようだ。
俺はすかさず差し出されたプリントに視線を落とし、内容を確認する。
そこには、
①目を見つめて「好き」「愛している」と愛を伝える……一回五秒。上限、一分間。
②お姫様抱っこ……抱っこの時間。上限、一分間。
③ハグ……ハグした時間。上限、一分間。
④膝の上で頭を撫でる……撫でた時間。上限、一分間。
✳︎①〜④は各一日一回ずつ。ただし、①〜④全てを選ぶことも可能。
視認した後、俺はさらに血の気が引いた。
一度引いた血をさらに引かせることになったのは後にも先にもこのときが初めてだった。
言葉が出ない俺に大原は頬に両手で隠しながら、
「さすがに乙女の願望をお見せするのは照れますね。女の子に恥をかかせたのですから今すぐ責任を取って欲しいぐらいです」
俺は鳥肌を必死に抑えて口を開く。
「これは……?」
「やだなー。ですからボーナスポイントですよボーナス。それでは流れを説明させていただきますね」
結構だ。喉元まで出かけたそれを何とか胃の中に押し戻す。
「まず田村くんは拠点に着いたあと、お茶をしながら私と雑談します。それからボーナスポイント獲得のため、当日挑戦する①〜④を選んでいただきます。もちろん私のおすすめは全てに挑戦し、最大である四分間を獲得することです」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ」
「何か?」
俺は恐る恐る聞いてみる。
「まさかお題より先にボーナスポイントに挑戦させるなんて言わないだろうな」
「言うつもりでしたが、先におっしゃっていただいて助かりました。以心伝心ですね」
大原はごほん、と咳払いし、
「先にボーナスポイント獲得に挑戦し、その後、本命の出題となります。ここで注意点があります」
なんであるんだよ。
「まずお題は一日一回。変更は出来ません。クリアできないと思ったら辞退していただいて結構です。そしてボーナスポイント獲得には一つ以上必ず挑戦してもらいます」
やはりそう来るか。自分だけはボーナスポイント獲得で甘い蜜を吸い、本命は無理難題。クリアできませんでした、残念!理沙ちゃんとの会話タイムは没収ですって流れか。
どこまで意地が汚いんだ。
「ボーナスポイントを獲得していてもお題をクリアできなかった場合は香川と話せないんだな」
「当然です。田村くんが頭の悪い理沙ちゃんに惚れることはないと確信していますが、私以外の女の子と二人きりなんて禁忌ですよ?本当なら村間先生と司ちゃんから引き剥がして二人で生活がしたいぐらいなのに」
こういう人種はたしかヤンデレと呼ぶんだったか?
いくら美少女に好意を持たれても全然嬉しくない。
むしろ支配されていくような恐怖しかない。
「田村くんは単純接触効果って知ってますか?」
「……」
「ふふっ。沈黙は知っている証拠ですよ?知らないなら知らないって言えばいいんですから」
「それがどうかしたのか」
「この存在を知っている田村くんなら言うまでもないことですが、最初は興味がないことや苦手なことでも単純に接触が増えれば、次第に好意が芽生えやすくなるという心理効果です。私って自分で言うの何ですが、容姿は整っている方だと思うんです。三代美少女なんてもてはやされていたぐらいですし。それにお揉みになったのでご存知かと思いますが胸もHカップと男好きする躰をしていますので……私に夢中になるまで一体どれくらい持つんでしょうね?田村くんはどう思います?」
単純接触効果――対人関係においては塾知性の原則と呼ばれている。
相手の内面を知れば知るほど、相手に好意的になってしまう心理効果だ。
大原は見てくれが男の性をくすぐることを熟知している。自分の武器をよく理解しているのだ。だからこそのボーナスポイントで俺との距離を縮めようという魂胆なんだろう。
俺が恐れているのは腹黒という彼女の本性でさえ受け入れ始めることだ。
村間先生と黒石の二人が側にいてくれる間は染まることはないと信じているが、そこに大原が手の込んだ介入をしてくれば揺らいでしまうかもしれない。仲間割れを狙っているように彼女がまた何か仕掛けてくることも十分にありえるわけで。
「断言しておく。俺がお前に攻略されることはない」
「ふふっ、いい目です。まだ敵意しかこもっていない、私になんか興味がない目。ああ、いいです、最高です。これからだんだんと田村くんが私に落ちていく想像をするだけでゾクゾクします。濡れてきちゃいました」
大原は舌舐めずりをし、
「初日ということで今回だけはボーナスポイントより先にお題を出題させていただきます。それを聞いて挑戦するかどうか決めてください。田村くんさえヘタレなければ五分も理沙ちゃんと一緒にいられる大チャンスですよ」
俺が最初に差し出されたお題はなんと――。
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