第51話
滝に連れて来られたのは銃声をかき消すためだ。
大原の悲鳴で香川がこの場に駆けつけたわけじゃないだろう。
時間差、か。
香川を監禁していることを匂わせつつ、実は一定時間経過したあとこのポイントに来るよう伝えていたってことだろう。
クソッ。香川は絶対に現れないと思わされていたのか。
ゲームはもう始まっている。油断も隙もありゃしない。
大原は「またあした」と口の形だけで俺に伝えるとシャツが乱れたまま香川の元へ逃げるように去る。
後ろに隠れて「うっ……うっ……」と涙まで流している。
大した役者だ。演技までできるのかよ。ハイスペックにもほどがあるだろ。
「何してたかって聞いてんだけど?」
一方、香川は俺が不利になる光景しか目撃していない。
その視線と声音には棘しかなかった。
さてと。どう答えればいい。
いや、そもそも俺にその選択権は与えられているのか。
言うまでもなく大原はいま生殺与奪の権を握っているわけで。
ここでもし「いきなり制服を脱がされた」といったことを発言すれば、いよいよ俺に勝ち目は無くなる。
だが、当の本人はこの状況を楽しんでいるのか、香川の陰で気付かれないよう口の端を持ち上げていた。
俺がこの場をどう乗り切るのか、お手並み拝見といったところだろうか。
ならその油断を利用しない手はない。
俺は何十、何百の言い訳を頭に浮かべてながらシュミレーションをする。
重要なのは強制的に参加させられたゲームの攻略に最も悪影響がない返し方だ。
これ以上香川の俺に対する好感度パロメーターを下げるわけにはいかない。
会話することさえギリギリだってのに、それすら無くなってしまったら完全に糸口が消えてしまう。
焦るな。この場を最小限の被害でおさめる方法があるはずだ。
少なくとも大原が自ら誘導して行かないところを見るに俺の言い訳には乗ってくれる可能性が高いと見ていいだろう。いや、そうじゃなきゃ死ぬ。
俺はようやく香川への返答を口にする。
「大原のシャツに虫が入ったんだよ。だからそれを取るよう頼まれたところにお前が最悪のタイミングで現れただけさ。俺は何もしていない」
両手を挙げ、さも平然な態度をして見せる。
表面的なそれとは対照的に心臓はバクバク。
背中の汗もびしょびしょだ。
「……本当なの結衣?」
当然香川は疑わしげだ。元より俺の言葉など信じちゃいない。
彼女の中で俺は人殺しにまで成り下がった人間だ。
果たして大原の中にある合格ラインに達することができたのかどうか。
運命のジャッジだ。
――一発逆転さえ消し去るようなことはしません
――勝たなければ意味がないゲームでも最初から勝利が確定しているものほど面白くないものはない
ついさっき聞いた大原の気持ちだ。
今はもうこの言葉を信じるしかない。
ゆっくりと大原の口が動き始めたかと思うと、
「……ごめんね取り乱して。でも田村くんの言うとおり本当に虫が入っちゃって。それでパニックになっちゃの」
……ふう。
どうやら第一関門はクリアのようだった。
これから俺はこんな心臓に悪いことに挑戦していかないといけないのか?
途方もないな。先が思いやられる。
☆
心身ともに疲弊した俺は憂鬱な気持ちになっていた。
足取りが重い。家に帰りたくなかった。
妻子を持ったサラリーマン――それも冷えた家庭に帰るような気持ちだ。
いや、俺はまだ高校生だが。けどきっと近いんじゃないかと思う。
頭が痛い原因は言うまでもない。
村間先生と黒石の前でさも平然とし、何事もなかったように振る舞わなければいけないことだ。
女性は勘が鋭い生き物だ。まして相手はあの村間先生だ。
俺の疲弊困憊などすぐに見透かしてくるだろう。
しかし大原に銃の存在を明かさないよう脅されている以上、これから俺は猿芝居をし続けなければいけないわけで。
とにかく精神的な負荷が尋常じゃなかった。
吐いて楽になってしまいたい。
はやる気持ちを抑え、今日の報告を脳内ででっち上げた俺は意を決して帰宅した。
「おかえりなさいハジメくん」『おかえりハジメ』
そこには俺の帰還を安心してくれる人が二人もいた。
☆
「Xが存在する可能性が出てきました」
大原結衣の正体を明かせない以上、開口一番、嘘から入るしかなかった。
一番厄介なのはやはり銃の存在。
やはりこれが事情を説明することを踏み止まらせた。
もちろん黒幕の正体だけを打ち明けることができないか悩んださ。
一人で抱え込むのは凄まじい重圧だったから。
だが、大原の正体を話せば必ず『この後どうするか』にぶち当たる。これは避けては通れない。
そうなれば多数決で諮られるのは逃走か闘争だ。
今の俺にはどちらを選んだところで上手くいくイメージが浮かんで来ない。
じゃあ銃の存在さえも話してしまうのはどうか。
結論はNGだ。
抜き打ち検査をすると言った以上、この存在を打ち明ければ短期決戦に挑むことになるだろう。
大原を相手に口を滑らせることなく銃の存在を知らない振りをさせ続けられるか。
残念ながら村間先生と黒石には無理だと思う。
筆記の黒石でさえ、見破られてしまうんじゃないかという恐怖が俺の中にある。
短期決戦ならば遅くとも明日、いや、なんならこれから奇襲を仕掛けることになる。
しかしそれは俺が大原の立場でも想定する。
奇襲を仕掛けた先がもぬけの殻だったなんてこともありえるだろうし、それを防ぐために下見に行くのも怖い。
俺たちの方が監視されていたことがわかった以上、こちらの行動は筒抜けの可能性は大いにある。
以上が俺が嘘をついてまで大原の正体を隠すに至った思考だ。
もしもこれ以外に良案があったら是非聞かせて欲しい。人生で今一番欲しい情報だ。
ちなみに俺が作り上げたシナリオはこうだ。
・香川と大原が上村の協力者でない裏付けは取れていない
・しかし二人は無関係だと主張
・よってXの存在もありうる
そして、これから悪趣味なゲームに参加することになるため、
・俺と大原は引き続き探り合いをしながらも協定を結ぶことになった
(互いに情報交換しつつ、Xをあぶり出すため、一時的に共闘関係となる)
・なのでこれから毎日、大原の元に通うことになった
(抜き打ち検査に備えて、向こうから情報を求めてくることも説明済み。これで突然の大原の来訪に慌てる度合いも小さくなったはずだ)
我ながら悪くないのでは、といったところだ。
大原がXであることは判明しているわけだが、息を引き取ったらしい人物のようにこの島に俺たち以外の人間がいないとは限らない。
不要な不安を抱かせたくないものの、警戒心を怠わらないようにするためにはそこまで愚策とも言い切れない、と自分に言い聞かせている。
だが、やはり村間先生は何か引っかかったらしく、
「うーん」
顎に手を当て天井を見ながら腑に落ちない様子。
「何か納得できないところでもありましたか?」
「要はまだまだ予断を許さない状態ってことだとは思うんだけど……まだ何か隠しているでしょハジメくん」
ドキッと心臓が跳ねる。この人はどうしてこんなに勘が冴えているのだろうか。
どうせ俺の心を読むなら話せない事情まで読んで欲しい。
なんて無茶な願望を抱きながらも、
「いえ、これが俺が知っている全ての情報です」
「……ふーん。海での約束を破るんだ」
咎めるようなその口調に神経が逆立ってしまう俺。
帰宅する前に精神統一が足りていなかったようだ。
疲労と相まって俺の口調も荒くなってしまう。
「ですから何も隠していませんよ。加代先生こそ俺の言うことが信じられないんですか?」
「そんなこと言ってないでしょ? 私はただ、またハジメくんが一人で抱え込んじゃってるんじゃないかって心配しているの。君はいつもそう。私たちのことは第一に考えてくれるのに自分のことは後回し。私はそれが許せないの」
どうやら村間先生も相当不満がたまっていたんだろう。
そりゃそうだ。
大原との探り合いに応じるかどうか、俺は裏の手を使ってまで強引に押し通したわけで。
俺の身を案じてくれる先生ならそのやり方にしこりを残していてもおかしくない。
だが、今の俺に村間先生の感情を汲み取る余裕はなくて。
頼むから俺の言う通りに従ってくれ、という投げやりにも似た気持ちしかなかった。
それを肌で感じ取っているからこそ村間先生も余計に腹が立っているのだ。
間違いなく大原の手のひらで踊らされていた。
彼女の一連の言動は間違いなく仲間割れを起こすためのもの。それがわかっていながらそうなってしまうことが腹ただしくて、情けなくて、申し訳なかった。
気が付けば俺は最低な一言を発してしまっていた。
「いつも俺に頼っているくせに納得いかないときだけ突っかかってくるんですね」
やばい。そう思ったときには俺は胸が締め付けられる光景が目に入っていた。
村間先生の目から一筋の涙が滑り落ちていたのだ。
……やってしまった。これは間違いなく俺の失言。過失だ。
先生は俺のことがただ心配で探ってくれただけなのに。最低だ俺……。
「どうして何も話してくれないの……? 何かあったら相談して欲しいって言ったじゃない。もしかして私じゃハジメくんのチカラになれないと思われているの? ねえそういうことなの?」
俺は黙ることしかできなかった。
村間先生は俺の支えだ。だからこそ守り通したい。安易に口を割ることはできなかった。
「もういい。そうやってまた君は一人で抱え込むんだね。やっと分かり合えたと思ったのに」
そう言って勢いよく家を出て行く村間先生。
視線を感じれば黒石が複雑な表情で俺のことを見ていた。
そう言えば彼女だけはどちらを責めるわけでもなく、ずっと中立の立場でいてくれた。
多分両方の気持ちがわかるからだろう。
頭を垂れて、俺はこう言うしかなった。
「頼む司。村間先生の後を追ってくれ」
黒石はとても苦しそうな顔で俺を見つめたあと、家を後にした。
一人家に残された俺は重たいため息を吐くことしかできなかった。
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