第27話

【田村ハジメ】


 香川と大原と再会した俺は彼女たちが無事であったことに胸を撫で下ろしつつ、どう説明したものかと頭を悩ませていた。


 上村と中村が姿を消した現在、彼女たちがどうやってこの二日間を過ごしたのか、これからどうするつもりなのかも確認しなければならない。


 寝食を共にすることが本意かと問われれば、嘘になるが、こればかりは仕方がないだろう。

 緊急事態に確執を持ち出している場合じゃない。

 

「無事、だったんだな香川、大原。ちょうどいい。少しだけ俺の話に付き合ってくれ」

「はぁ?なんであんたなんかの話を――」


「――中村が死んだ」


 ☆


 事の経緯を説明し終えると、香川は手で口を隠し驚きを隠せない様子だった。

 当然だ。黒石が性暴力の被害にあったこと、中村が熊に食い殺されたこと、上村が殺人に快楽を覚えようとしていること、なに一つ現実味がない。


 だがこれは紛れもない事実だ。

 そう告げた俺に、

「嘘よ……そんなの……嘘に決まってる」


「信じたく気持ちも分かる。けれど全部本当のことなんだ」

「嘘よッ! 雅也が死んだなんて……一輝があんたたちを殺そうとしただなんて……ついていい嘘と悪い嘘があるっての。ねえ、司。嘘よね? 全部田村の嘘なんでしょ?」


 絶望。失望。不安。恐怖。緊張。

 色々な感情が入り混じった顔で黒石に歩み寄る香川。

 足取りもおぼつかない。


「……あっ、うっ」

 香川に肩を掴まれた黒石の言葉が詰まる。

 ……しまった! 吃音症のことはまだ伝えてなかった。


「ねえ司ってば! 黙ってないで何か言ってよ!」

「落ち着け香川。黒石はいま上手く話すことができないんだよ」

「はっ? なにそれ……」


「上村に襲われたショックと残酷な光景を目の当たりにした後遺症だよ。吃音症って知ってるか?」

「そんな……」


 さらなる残酷な現実に落ち込む香川。

 黒石もどう対応すればいいか分からずに複雑な表情を浮かべるしかない様子だった。

 本来ならば香川が落ち着くまでゆっくり時間をかけて今後の対応に入っていくべきだ。


 けれどタイムリミットは一週間。決して悠長にしていられるわけではない。

 俺は酷だとは思いながらも本題に入ることにした。


「これからのことだが、できれば一緒に行動して欲しい。もちろん男の俺と一緒に生活するのが苦痛だってのはよくわかる。だが、今はそうも言っていられない状況だ。それは香川。お前だってわかるだろ」


「……そう、かもしれないわね」

 渋々といった感じで頷く香川。

 よし。このまま二人をこちら側に引き込めば、彼女たちの安全を確保しやすい上に俺も気を配りやすい。


「男女共同生活が嫌なら俺の拠点は少し離れたところでも構わない。それにこっちには村間先生もいる。お前らにとっても悪い話じゃないはずだ」

 村間先生に視線を送る。

 俺の言わんとしていることを読み取ってくれた先生は香川に目で訴えかける。一緒にいた方がいい、と。


「どうする結衣……?」

 この二日間、パートナーとして共に過ごしたはずの大原に意向を確認する香川。

 さすがの俺もこれだけの状況で断られるはずがないと思っていた。


 それは自惚れとかではなく、共に生活をするという選択肢以外など存在し得ないと思っていたからだ。

 だがここで俺は全く想定していない言葉を耳にすることになる。


「私は……田村くんと一緒に生活するのはやめた方がいいと思う」

「「なっ……!」」


 俺と村間先生の口から驚きの声が漏れる。

 さすがの黒石も驚きを隠せない様子だった。

 俺の気持ちを代弁するかのように村間先生が説得に入る。


「ちょっ、ちょっと大原さん? 田村くんの話を聞いてた?」

「はい。それはもちろん」

「じゃあどうしてやめた方がいい、なんて言葉が出てくるの。さすがに理解に苦しいわ」


 大原はどこか毅然とした態度で言う。そこにはいつも黒石と香川の後ろでおどおどしている姿はなかった。


「じゃあ反対にお聞きしますけど、?」

 何を言っているのか分からなかった。いや、理解をしたくなかった。

 心身が疲弊しきっているこの状況で俺たち、いや俺か? ――の方が疑われているなんて。


「待て待て待て。なぜそうなる大原。さすがにそれは暴論だ」

 俺の言葉に首を傾げる大原。

 その様子に驚く香川だったが、心なしか大原の方へ戻ろうとしているように見える。


「率直に言います。私は田村くんが熊から逃げるときに上村くんと中村くんを見捨てたんじゃないかと疑ってます」

 ほら来た。最悪の切り返しだ。

 香川さえ説得すれば集団行動は問題ないとタカを括っていたときの自分をブン殴ってやりたい。


 自分の命は自分で守らなければいけない状況だ。

 横暴だとは思うが、大原からすれば俺の説明に『嘘』が忍び込んでいないとも限らない。むしろ他人の話を鵜呑みにして、完全に信じ込んでしまうのも問題がないとは言い切れないだろう。


 この際、懐疑的になることは不思議でもないし、悪いこととも思わないさ。

 まして黒石は言葉を発せないんだから。

 村間先生という証人が唯一の切り札だが、言ってしまえば彼女は最初から俺の側についてくれた人間。つまり、そういうことだ。


「大原。最初に断っておくが、俺たちは言い争っている場合じゃない。他人を殺めるかもしれない人間から身を守るため、手を携えて協力するべき関係だ」


「それはわかります。ですけど証拠がないこともまた事実」

 最悪の展開だ。一体何がどうなればこんな訳の分からない状況が発生するんだ。

 俺がぼっちだからか? 陰キャのくせに偽告白を断ったからか?


 俺が上村か中村だったらすんなりと信じてくれていたのか。

 いい加減にしてくれ。これ以上、俺に精神的負荷をかけないでくれよ。

 一体俺が何をしたってんだ。


 このときの俺は割と本気で憔悴していた。だから頭が回りきっていなかった、と言えば言い訳になるのだろうか。

 後にして思えばこの大原の言動はやはりおかしいことだらけだろう。

 どう考えても常軌を逸している。けれど余計なことを考えてしまう俺は見落としてしまう。


 


「じゃあどうすれば田村くんの話を信じるのかしら? まさか私が上村くんに襲われたことも妄想や虚言だと思っているの?」


 さすがの村間先生も怒りを隠せない様子。

 声音と視線に明らかに敵意が込められていた。

 けれど、それは大原の計算通りだったことを知るのはやはり先のことだった。


「では上村くんをここに連れて来てください」

 終わった。俺がこの状況で最も恐れていた台詞だ。

 これを口にされたときにどう返答するか、それをずっと考えていた。


 だが、俺の足りない脳みそではどうやっても歯切れが悪くなるようなものしか思い浮かばなかったのだ。

 やられた。なぜ大原がここまで集団行動を拒絶するのかは分からないが、これを出されてしまったら――。


「……田村……あんた……」


 まるで犯罪者でも見るかのような目で後ずさる香川。

 本当に――勘弁してくれ。

 だが、ここで狼狽することが最も悪手だと察知した俺は、冷静を装いながら告げる。


「上村を連れて来ることはできない。なぜならどこに潜んでいるか分からないからだ。なんなら叫んで呼んでもいいが、姿を現す確証はない。だが、村間先生の首を見てくれ。あいつに握りしめられた痕が残ってるだろう」


「首を絞めることは田村くんでも出来るはずです。すでに痕は引き始めていますし、正確な手の大きさだってわかりません。上村くんか田村くんのどちらの手形なのかは言いようです」


 こいつマジか……。さすがの俺でも内心で荒い人格が芽生え始めていた。

「いい加減にしてもらえるかしら。言っていいことと悪いことがあるわよ大原さん」

 まずい。村間先生も本格的に怒りの感情を隠しきれなくなっている。


 サバイバル生活において疑心暗鬼と仲間割れは絶対に避けたい。

 なんとしても最悪を免れられるように誘導しないと。


「理沙ちゃん。たぶんいま私たちは分岐点だよ? このまま田村くんの言うことを聞いて司ちゃんみたいに恐怖で言葉を発せられなくなるまで調教されるか、自分たちの身は自分たちで守るか。少なくとも上村くんをここに連れて来れない以上、そのまま信じ込むのは危険だと思うな。理沙ちゃんが向こうに行くつもりなら止めないけど――私は行かない」


 疑いの目を向けてくる大原に黒石は、

「…………ちっ、ちがっ……ちが……っ!」

 全身を大きく使ってなんとか言葉を出そうとする。


 見ていられない光景に思わず言葉をかけるもそれがまた裏目に出てしまう。

「黒石……嬉しいけど無理はしなくていい」


「そうですよね。言葉が出なくなるまで恐怖を与えたことをバラされたくないですもんね」

 この挑発的な言動。これはもうダメかもしれない。


「司ちゃん。ものすごく怖い目にあったんだろうけど、こっちに来なよ。たしかに私たちは女だしチカラじゃ敵わないと思う。けど三人いればなんとかなるかもしれない」


 大原の誘いに大きく首を横に振る黒石。目には涙が浮かんでいる。

 どうしてそんなことを言うのよ。そんな想いが伝わってくる。


「あんた……司にどれだけ酷いことをしたのよ」

 大原に飲まれた香川はより敵意を込めた眼差しを俺を突き刺してくる。

 黒石が香川たちの元に戻ったときに暴力を振るわれるのが怖くて動けなくなっている、なんて誤解をしているのだろう。


「……ダメだわ田村くん。教師失格かもしれないけれど彼女たちは置いていきましょう。話にならない」

「落ち着いてください先生。俺のために怒ってくれるのは嬉しいですけど、今は言い争っている場合じゃないんです」


「無理よ――私はもう大原さんたちが言っていることが分からないもの」


「中村くんは熊に殺された。でもなぜか田村くんは目の前にいる。さらに逃げた上村くんをここに連れてくることもできない――本当に上村くんは未だ生きているんですか。本当は自分が生き延びるために彼も見捨てたんじゃないですか。だからここに連れてくることができない。だとしたらそんな人と一緒に生活するなんて絶対にできません。今度は私たちがいいように使われるだけです」


 交渉決裂。このヒビはもう元には戻らないだろう。

 理由は分からないが、大原の俺に対する疑いの目が強すぎる。

 これ以上の説得は意味を成さない。


 もちろん最後のカードである中村の死体を一緒に確認しに行くという手もある。

 だが、それには俺自身の心の準備が出来ていなかった。

 さっきから大原の見捨てたという言葉が痛くて痛くてたまらないのだ。

 

 それに中村が襲われたときに、聞くだけで鬱になるような音だった。

 さらに死後から二日が経っている。

 そんな彼を女子高生二人に見せてしまってもいいのか。それがさらなるトラウマを植え付けることになるんじゃないか、そう思ってしまった。


 もはやこの場における正解なんてないのだろう。

 ならば俺がかけられる言葉なんて一つしかない。


「……俺たちは海岸沿いの洞窟にいる。何か困ったことがあったらなんでも言って来てくれ。それと森には決して入らないで欲しい。それだけは守ってくれ」


「お気遣いありがとうございます。それじゃ田村くんたちも気を付けて」

それだけ言い残し俺たちに背を向ける大原。

踵を返す前に、香川の口が微かに動く


「……人殺し」


 そう呟いていたように見えたのは錯覚だろうか。

 錯覚だと信じたい。

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