第16話
田村ハジメが強姦未遂の現場に駆けつける十分前。
そこには教師と生徒の固い絆があった。
――深夜。
田村と村間は交代制で就寝することを決めていた。
先に村間を就寝させていた田村だったが、尿意を覚えて洞窟を出る。
洞窟から少し離れた草むらで用を足していると遠く離れた先に男――それも二人いるところを目撃してしまう。
(人……だよなシルエット的に。問題は誰か、だが……?最悪の
視界は暗闇に覆われている。
かろうじて目で追えるのはこれが限界。
ここで田村の思考は大きく二つに分かれていた。
後を追いかけるか否かである。
探索した限りでは怪しい人物は潜んでいないだろう、というのが田村の推測だ。
しかし、それは島全体をくまなく探索した結果ではない。ほんの一部分である。
断言するにはあまりにも無謀すぎる。
仮に田村が捉えた人物が上村たちではなかった場合は追いかけるべきではない。
相手は複数人。視界も悪い。こんな真夜中に出歩く人物たちである。殺される可能性がないとも言い切れない。
いずれにせよ村間のそばにいるべきである。
そうこうしているうちに森の中に進んでいく男二人組。
(仮にあれが上村と中村たちだとして……なんでこんな暗闇のなか森に?誰がどう考えたって危険だろ)
様子を見に行くべきか否か。
答えが定まらない様子の田村。
彼の脳内には数多の情報が飛び交っていた。
なまじ頭が回るため、どの選択をしてもリスクがあるのだ。
もちろん彼に『上村たちがどうなろうとも知ったこっちゃない』と割り切れるならば、始めからリスクなどないのだが。
決断に踏み切れない田村は一旦、洞窟に戻って村間の横顔を見つめる。
やがて、
「ごめん先生」
そう言い残して彼女に背を向ける田村だったが、
「ダメよ田村くん」
「起きていたんですか⁉︎」
この場から立ち去ろうとした田村の腕を全力で握りしめる村間。
「視線を感じるから寝込みを襲われるんじゃないかって期待していたけど、どうやら違うようね」
「期待するところがおかしい気もしますが」
「茶化さないの」
「そんなつもりはなかったんですが……なんかいつもと逆ですね」
後ろめたさを感じているのか、歯切れが悪い田村。
村間加代は田村ハジメと一緒に過ごすようになってから確信していた。
目の前の少年は優しすぎる、と。それ故に自己犠牲も
いや、そもそも自己犠牲であることを認識できていない。
だから彼女は決意した。
田村ハジメが危ない橋を渡ろうとしたときに腕を引くのは私の役目だと。
彼のちょっとした変化を見逃さず、きちんと引き止めたのは立派と言えよう。
「お姉さんは田村くんの言動で二つ怒っています」
「……一つは先生を置いてこの場を後にしようとしたことですよね?当然です。交代制で見張りをしようって約束している男がどこかに行こうとしているんですから。怒って当然です」
「違います」
「えっ?」
いつになく真剣な表情と声音。
田村が「なんかいつもと逆ですね」と言ったとおり、そこには大人の女がいた。
「まず前提として私たちは無人島に漂流した。今は田村くんのおかげでなんとか事なきを得ているけれど、私だって当然最悪のケースを想定しているわ。そしてそうなったら誰のせいでもないの。ましてや君のせいだなんて絶対にない。自分か運のどちらかが悪かっただけよ」
身の不幸を決して他人のせいにしない。
当たり前のようで実際に思える人間は少ない。
だが田村は村間が嘘をついているとは思えなかった。それほどまでに信念のこもった眼差しだったからである。
「ですけど一言ぐらいかけておくべきですよね。見張りがいなくなるんですし」
「ほらまた」
今度は責めるように指摘する村間。
「君はいつだってそう。自分のことじゃなくて私のことを先に考えている。もちろん私は嬉しいよ?年下の男の子のことが頼もしいなんて初めて思ったぐらい。でもね、田村くんのその自分よりも他人を優先できるという思考は普通じゃないの」
「過大評価ですよ。俺は先生が思うような聖人じゃありませんよ」
「救命胴衣をクラスメイトに配り始めたこと」
「えっ?」
「私が海水で冷えて火を起こしてくれたこと。たまたま黒石さんたちと森で遭遇したとき水の調達を申し出たこと。眠気まなこをこする私に先に寝てくださいと言ってくれたこと。そして今もまた誰かのために駆けつけようとして私に謝ったこと。ほらね、全部他人のためだ」
「それは先生がそう思っているだけで」
「違います」
「いやでも……」
「違うと言ったら違うの」
頑なな態度。これには田村も目を見張っていた。
いつものあのゆるい先生はやはり自分をリラックスさせるための演技だったのだと。
芯の部分はちゃんと教師なのだと。
「そして二つ目は私に相談をしてくれなかったことよ」
一呼吸し、村間は続ける。
「言うまでもなく私は全然頼りないと思う。家も水も火もぜんっっぶ田村くんにやってもらったんだから。でもね、なんでもできるからと言って田村くんが全部背負っていいわけじゃないの。君が誰かを助けたいと思う気持ちと同じぐらい私も田村くんを助けてあげたいんだから。そして――」
――間違った道に進もうとしている君を正しい道に戻してあげるのが私の役目なの。
そう言い放った村間は自分の隣に寝転がるよう手をぽんぽんと叩く。
まるでここで一緒に寝ろ、と言わんばかりに。
「先生……?」
「一緒に寝ましょう田村くん。今夜だけは特別にえっちなことも許してあげるわ」
そう言ってシャツのボタンを上二つほど外し始める村間。
熱いのか、薄紅色にそまった果実にはつう、と汗が滑り落ちていく。
「何をやってるんですか!」
急いで目を手で隠す田村だが、彼女の言動の意図が分かっているだけに複雑な心境だろう。
なにせ村間は『放っておきなさい』と暗に伝えてきたのだから。それも彼女が悪者になることで、だ。
「この際、田村くんが外で何を目撃したのかはどうでもいいの。けれどこんな真夜中にどこかに駆けつけようとしている。それが異常な判断であることだけは間違いない。だから一緒に寝ましょう。田村くんは……えっちしたことある?」
教師失格の発言。そんなことは村間自身が一番よく知っていた。
だが彼女はどんな手段を用いても田村をここから逃さないつもりでいた。
彼を失わないために。善良な少年がバカを見ないために。
「冗談でもやっていいことと悪いことがありますよ!」
「本気で言っているの」
「だったらますますダメじゃないですか」
村間は内心は『汚い役は大人の私がすればいい』きっとそんなところだろう。
「何をそんなに迷っているの?全部私のせいよ?教師が生徒に行くなと指導したんだから。田村くんは何も悪くない。それでいいじゃない。だから――行かないで」
行かないで。その言葉で田村が苦しむことは今の村間なら息をするように理解している。
田村の熟考にしばしの沈黙が訪れる。
「俺は――俺はいつもの先生が好きです。知識を見せびらかしても犬のような反応をしてくれる先生。俺が辛い目にあったときに優しく包み込んでくれる先生。笑顔が可愛い先生。俺を――信じてくれる先生が。だから先生には見送って欲しいです……」
田村の言葉に逡巡する村間。
だが、やがて踏ん切りをつけたのか、
「……そっか。そんな直球で言われると揺れちゃうよ。だって私も田村くんが好きな私でいたいからさ」
「俺もバカだなって思ってはいるんです。放っておけばいい。そう思う自分だっている。でも今行かずに俺が恐れていた光景を目にするぐらいなら駆けつけて後悔する方が納得できる気がするんです」
「お姉さんとえっちできる機会を捨ててでも?」
「はい」
いつもの村間の雰囲気を感じ取った田村は笑みを浮かべながら肯定する。
「そっか残念……。でもこれだけは約束しなさい。必ず私の元に戻ってくること。危ないと感じたらすぐに逃げること。もしもこの約束を破っていなくなったりしたら後を追いかけて針千本飲ませるから」
「怖い先生ですね。でもありがとうございます。勇気をもらえた気がします」
「それは良かった」
こうして村間は田村を見送ることとなった。
取り残された彼女の呟きが田村ハジメに届くことはない。
「あーあ。お姉さん的には結構本気だったんだけどなぁ」
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