第4話

 四人分の救命胴衣を両手に上村たちの部屋へ駆けつける俺。

 すでに廊下には海水が。沈むのも時間の問題だろう。

 ……ったく、なんで俺があんなやつらのために。


 そんな考えが何度も何度もよぎる。

 ちなみに黒石たちの部屋番号は村間先生から聞いてある。

 救命胴衣を渡しに行くことを伝えたら止められたが、振り払って来た。


 俺たちはまだ十代だ。やりたいことやなりたいものなんて山のようにある。

 それは俺が一番よく知っている。

 だからあいつらのことが嫌いでも何でも。


 助けに向かってしまうんだと思う。

 我ながら本当に馬鹿。絶対に放っておくべきだ。

 すでに浸水もしている。下手をすれば俺も海の藻屑さ。


 命を懸けてまでやるべきことじゃない。

 そうは思っているにも拘らず、気がついたら全力疾走をしていた。

 やがて黒石たちの部屋がある廊下に辿りつく俺だったが、


「おいおい冗談だろ……」

 廊下は反り立っていた。

 しかも上部から滝のように水が流れてきており、よじ登るのも一苦労だ。一筋縄ではいかない。


 そんな状況で、

「それじゃ行ってくる」

 なんと一番奥手の部屋から上村が出てくる。なにやら手にロープのようなものを持っている。


「上村っ‼︎」

「田村⁉︎まさかお前助けに来てくれたのか⁉︎」

「四人分の救命胴衣を持って来た! 黒石たちは⁉︎」


 俺の問いに一瞬、感情の読み取れない表情を見せる上村は、

「……あっ、ああ。いるよこの部屋に」

 言って出てきた部屋を親指で示す。


 よし。だったら……。

「上村の頭上に照明機材がある。そこにロープをくくりつけて垂らしてくれ!」

ちなみにロープの括り方も、ねじ結び、巻き結びなど色々種類があるが、この状況下で伝達しても上村はパニックになるだけだ。


 とにかく強く結んでくれと伝える。

 結び終えた上村は、

「よし。それでどうすんだ⁉︎中の黒石たちを呼んで降りればいいのか?」


 そこで俺は思考する。

 この勾配。男子ならともかく女子にすぐに降りろというのも酷な話だ。

 特に大原あたりがビビっちまっていつまでも降りれないかもしれない。


 その間に船に大量の海水が押し寄せてくれば間違いなく人生終了だ。

 ロープから降りるのが恐ければ、最悪、上村と俺が一緒に降りてやれば済む。

 となれば、


「いや、俺がそっちに行くよ」


 ロッククライミングや登山も嗜む俺からすればこれぐらいどうってことはない。

 救命胴衣を腰に巻きつけ、上村の元へと駆け上がる。

 やがて上村と手が届く距離にまで来た俺は、


「まずは上村。これをすぐに着用してくれ」

「あっ、ああ。すまねえ」

「それより中にいるのは三人だけか?足りねえならすぐに取りにいかねえと」


「数はこれでだいじょ――いや、違う、違うっ!中にもう一人いるんだ!」

「なにっ⁉︎」

「どっ、どうする田村⁉︎このままじゃマズい」


 ここで頭をフル回転させる俺。

 正直なことを言えば来た道を戻るのはリスクが高い。

 俺がここに向かうまでに浸水しているところはいくつもあったからだ。


 今取りに戻れば今度こそ命を落とすことになるかもしれない。


 ――ハジメ。これからたくさんの人を救ってあげてね。


 脳裏によぎるのは母さんの最期。

 ガンで命を落とす間際、俺にかけてくれた最後の言葉だった。

 俺は誓ったんだ。たくさんの命を救えるような人間になりたいと。医者になってそれを叶えてみせると。


 だったら、

「わかった。だったらすぐに取ってくる。だが上村、黒石たちに救命胴衣を持たせたらすぐに部屋から出て出発しろ。それともう一人の分はこれを使え」

俺は自分が身につけていた救命胴衣を外し、上村に渡す。


 これで彼の手に四人分が揃った。

「いいのか?」

「これが最善だ」


「わかった。恩にきるぜ。それよかあれはなんだ?」

「ん?」

 ロープをつたって降りようとする俺に指を指す上村。


 すぐさま下を確認する俺だったが、

「がはっ!」

 顔面に衝撃が走る。


 思わずロープから手を離してしまった俺は万有引力の法則にならい落下。

 急いで体勢を整えて受け身を取る。

 何が起こったのかわからない俺が視線を上げると、


「サンキューな田村! おかげでこれで俺の株も急上昇だぜ。船が沈む中で命を顧みず救命胴衣を取ってきたとか黒石たちが惚れねえわけねえよな。あっは。にしてもお前本当バカだよな。もう一人なんているわけねえじゃん」


 上村はロープを引き上げ、口の端をつり上げながら言う。

 さすがの俺も殺意を抱いていることを自覚する。

 なんと上村は救命胴衣を持ってきた俺の顔を蹴り飛ばし、落下させたのだ。


 しかも救命胴衣が足りないという嘘をついてだ。

「じゃあな」

「待てっ!」


 俺の叫びを無視して部屋の中に入っていく上村。

 ふつふつと黒い感情が湧き上がる俺だが、深呼吸する。

 今は感情と行動を分離させなきゃダメだ。このまま怒りに身を任せてやけくそになっても命が危ないだけ。


 まだまだ感情の整理が追いついていない俺だったが、とにかく急いで救命ボートに向かおう。

 そう思って立ち上がった瞬間、


「……嘘だろ、おい」


 振り返った先に大量の海水が押し寄せる光景が視界に入ってきた。

 ――終わった。

 そう思うよりも早く、逆らうことのできない圧倒的なチカラに飲み込まれ――。


 そして俺の意識はそこで途絶えた。

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