推しの女
飛鳥休暇
推しの女
キッチンから香ばしい匂いが
私はテレビの前の定位置に座って、流れてくるオープニングソングをキャラたちと一緒に口ずさむ。
本編が始まると食い入るように画面を見つめる。
「あれ? 前もその回観てなかった?」
料理を乗せたお皿を持って来た拓也が声を掛けてくる。
「何回観たっていいでしょ。この回は特に
私は画面を向いたままそう返す。
私が夢中になっているアニメは「ギャラクシープリンス」、ファンの間では通称「ギャラプリ」と呼ばれるもので、銀河一の男性アイドルグループを目指す内容だ。
当初はスマホのゲームだったものが爆発的人気を集めアニメ化されたものだった。
その中でも私のお気に入り、――推しは「
銀髪で長身、鋭い眼光、何より「オレ様」キャラが私の性癖にぶっ刺さったのだった。
私はあの瞬間を忘れはしない。零士様が画面の中から私の心を根こそぎ奪っていったあの日のことを――。
私が追憶に浸りながらうっとりしていると、拓也がカップに入れたコンソメスープを両手に持って隣に座ってきた。
「はい。それじゃあ、食べよっか」
目の前には湯気の立つパスタとスープ、そしていろんな野菜が千切りにされたサラダが並べられていた。パスタの上に乗った
「いただきまーす!」
そう言って私が大げさに手を合わせると、拓也も隣で小さく両手を合わせていた。
「んんん! 美味しい!」
「ほんと? 良かった」
一口食べて思わず出た感想に拓也が安堵したような笑顔を浮かべる。
「今日はしょうゆベースの和風ソースにしたから、鰹節をまぶしてみたんだけど、……うん。なかなかイケるね」
拓也もパスタを一口すすってから、満足そうにそう呟いた。
「あ、ちょっと待って! 今いいところだから!」
拓也の感想もそこそこに、私は再びアニメに集中する。
もう何度観たかも分からない回ではあったが、零士様の性格が災いしてメンバーとの確執が生まれるこの回は何度見てもハラハラドキドキするのだ。
「あぁ! 零士様! そんな悲しそう顔しないでぇ」
普段は強気な零士様がこの回で見せる切ない表情は、ファンの間でも幾度となく話題に上がる萌えポイントだった。
「ねぇ」
「なによ」
夢中になって視聴していた私に拓也が声を掛けてくる。
「パスタ、冷めるよ?」
「もう! いまは話に集中させてよ!」
強い口調でつっぱねた私の横顔を見ながら、拓也が一つため息をつく。
なんなのよまったく、気分が悪くなっちゃうわ。
「ねぇ」
「あぁー、もう! なに!?」
しつこく声を掛けてくる拓也に不機嫌な声で応える。
「僕とアニメ、どっちが大事なの?」
「そんなの零士様に決まってるでしょ! ちょっと、あと五分だけ黙っててよ!」
私はパスタをがぶりと口に入れ、わざとらしく前のめりになって画面を注視する。
拓也は少し寂しそうだったけど、私の時間は邪魔されたくないの。
その後、アニメを見終わり満足した私は拓也の機嫌を取るように手を重ね合わせた。
「ごめんね、ちょっと言い方キツかったかも」
「……あぁ、うん。大丈夫」
拓也は目を合わせてくれなかったけど、重ねた手の平を少しだけ握り返してくれた。
そしていま、私は拓也に抱かれている。
セックスをするのは決まって私の部屋だ。
私はあえてそうしている。部屋を暗くして抱かれるのを私は好んだ。
目を閉じても自分の部屋は鮮明に思い浮かべることができる。
壁中に貼られたポスター。本棚やテレビ台に並べられたフィギュアの数々。
そのすべてが零士様だ。
私は数多の零士様の視線を浴びながら抱かれているのだ。
――そして。
「あぁ、愛してるよ。恵美子」
拓也が耳元でささやく。
「……私もよ」
――零士様。
その言葉を私は飲み込む。
この腕は零士様の腕。この胸板は零士様の胸板。そしてこの股間の熱も。
私はうっすらと目を開ける。
視線の先の天井に貼られているはずの零士様のポスターを思い浮かべる。
――あぁ、私はいま。
――零士様に抱かれているのだ。
拓也の息と動きが早くなる。
私は拓也の背中に回した腕に力を込める。
「……いくよ?」
拓也の問いかけに私は声を出さずにうなずく。
そして、零士様の顔を思い浮かべ強烈な快感に身をゆだねた。
「ああぁ!」
二人の声が重なり、――愛の営みが終わりを告げた。
******
「え? 別れようって、どういうこと?」
突如呼び出された喫茶店で、拓也の言葉に耳を疑った。
「もう、限界なんだ」
「限界って、何が?」
驚きのあまりうわずった声で私が聞き返す。
「君の趣味も理解しているつもりだった。……理解しようとしていたんだ。でも」
伏せていた目を上げ、拓也の視線が私に向けられる。
「君はその、……君にとっては零士様が一番なんだろ?」
ひどく悲しそうな顔で拓也が問いかけてくる。無理に笑顔を作ろうとして、
「あ、あれは! その、……売り言葉に買い言葉というか」
自分の心を見透かされたようで私はたまらず拓也から目を反らす。心臓の鼓動が手に伝わり小刻みに震えている。
「……もう、いいんだ。君を支える存在は、僕じゃなくてもいいみたいだから。……今までありがとうね」
そう告げると、拓也は伝票を持って席を立った。
残された私は拓也の背中を見送ったあと、汗をかいたアイスコーヒーのグラスの雫をしばらく無心で見つめ続けた。
******
部屋に戻った私はたくさんの零士様の視線を浴びながら、力なくベッドに腰掛けた。
しばらく呆然としていたけれど、ふいにお腹がぐぅと鳴った。
こんな時でもお腹は空くのかと呆れながらも、キッチンの棚からカップ麺を取り出した。
お湯を注いでしばし待つ。
零士様が壁紙のスマホの時刻を確認し、
麺を一口すすると、脳内に拓也の作ってくれたパスタの味が浮かんできた。
料理が得意だった拓也。
私の趣味を理解してくれていた拓也。
――拓也。
『君を支える存在は、僕じゃなくてもいいみたいだから』
拓也の声が脳内に響く。
私は部屋を見回す。
様々な表情の零士様が私を見つめている。
「わ、私には零士様がいるもんね!」
誰に言うでもなく呟いて、垂れてきていた鼻水と共に、少しふやけた麺をずびびと一気に吸い込んだ。
推しの女 飛鳥休暇 @asuka-kyuka
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