28
どうしてこんなことにと……呟いてももう遅い。
まさしく遅すぎたのだと、リヒターはその事実に貫かれていた。
母が生きているのだと知らされたのは十歳の時だった。
そして引き合わされた母の髪は黒だった。魔女になってしまったから母は死んだことにしなければならなくなったのだとわかって、少年王子はこの国に蔓延する問題の一端を認識した。
どうして魔女になってしまうのか?
どうして魔女は恐れられなくてはならないのか?
思い悩む少年はその日、城を出て、王都を出て、魔女たちがよく通うという森に入っていった。
魔女たちはこの森でなにを考えているのだろうと、子供ながらに思ったからであり、自分になにができるのかを考えるのにこれほど適した場所はないだろうと思ったからでもあった。
そこで、一人の少女と出会った。
同い年ぐらいの少女だった。
沈思するリヒターが何者なのかを理解している様子のその少女はなぜか大声で近づいて来て、そのまま池の砂を採っていった。
後でその少女はリヒターを影から守る者たちを相手に大声を出していたのだとわかった。リヒターも気付かない影の護衛の存在をその少女は気付いていたのだ。
わかっていないリヒターは、害意はない欲しいものがあるから来ただけだと主張してそのまま去っていこうとする小魔女を引き留めた。
少し意地の悪い引き留め方をしたけれど、そうしなければ小魔女は強引にでも去っていっただろうとわかったからだ。
そのとき、魔女になってしまったことをどう思っているかと質問した。
彼女はこう返したのだ。
『……腹が立つこともあるけど。でも、魔女も悪くないですよ』
『人にはできないことができますから』
その答えにリヒターは失望した。聞きたい答えではなかった。
だけど、どんな答えなら満足したのかもわからない。
やがて小魔女に向けた嫌味に自己嫌悪していると、また彼女の言葉が頭に浮かんだ。
そして、こう思ったのだ。
「……人にできないことが人を恐れさせるなら、それが恐るべきものではないと思わせればいいんだ」
母をあの窮屈な場所から解放するには魔女が安全な存在だと、皆の役に立つ存在だと思わせなければならないと考えた。
そのためにやれることはなにか?
王子にしか、王にしかできないことはなにか?
そう考えたとき、もう一つの要因に思い至る。
自分が男で、魔女は女だということ。
「王の妻になれるなら、みなは魔女を安全だと思ってくれるかもしれない」
髪が黒くなることを恐れなくなるかもしれない。むしろ特別な力を得たと喜ぶようになるかもしれない。
母が自由になれるかもしれない。
そんな未来が来ることを願って時を待った。十歳ではまだ幼過ぎる。それまでの間に自分の意思で婚約者を決められるだけの力を身に着けよう。
あの夜に出会った小魔女が、バーレント公爵家の令嬢を守っている姿を見てまた失望した。その強大な力にみなは驚愕していたけれど、あの家は魔女を排斥する保守派なのだ。
「あの小魔女は力は凄いけど、未来の見えていない愚か者だ」
発想を与えてくれたあの小魔女を未来の王妃候補にと考えていたけれど、その姿を見たことで選択肢から削除した。未来の王妃は自分だけでなく魔女全体のことを考えてくれる者でなければ。
その後、機会を得てサンドラストリートを取り仕切るサンドラと相談できた。
サンドラはリヒターの考えに賛同してくれ、そしてサリアを紹介した。
「あの娘なら、あんたがちゃんと仕込めばそんな考えにもなるさ」
その前に、魔女はみな我が儘だとも言われた。髪が黒くなったときから一人で生きていくことを覚悟せねばならなくなるのが魔女だ。故に、みな腹の中では誰も信用していないし、自分が一番正しいと思っている。
だけどサリアは違う。
王都生まれで髪が黒くなってすぐにサンドラに引き取られたため、そういう風に覚悟する暇もなかった。それ以前から家庭環境も良くなかったため家族愛にも餓えている。魔女としての実力もさほどではないから次のサンドラになることもできない。そしてそのことをサリアは漠然とだが感じて焦っている。
「お前が必要だと言っておやりなさい。それだけで、あの娘はもうあんたの人形さ」
王妃になるのであれば魔女としての実力など問題ではない。
必要なのは魔女が王妃になったという事実だけなのだから。
サンドラの言う通りにすると、サリアは思う通りになった。
着々と準備は進んでいる。
だが、一つ大きな山ができた。
リヒターの婚約者がバーレント公爵家の令嬢に決定してしまったのだ。
それだけでなく、王と保守派魔女派との話し合いによってリヒターの代での政治体制まで決定されつつあった。
リヒターに決定権を与えまいとするかのようなその動きに、焦った。
その焦りがサリアにも移り、アンリシアを排除するために動き出す。
リヒターはそれを一応は止めようとしたが、止まらなかった。
内心では止める必要がないと思っていたのかもしれない。もしも成功すれば、リヒターの思惑を押し通すことができるかもしれないと期待していたのだと指摘されれば、それを否定できない。
あるいは失敗したとしても魔女が勝手にやったことと言い訳できる。
追い詰められた途端に現れた浅ましさを自覚して怖気を震わせていると、今度はこの報せだ。
その事実を伝えたのは王太后だった。
彼女の離宮に呼び出されて向かうと、それを告げられたのだ。慌てて母のいる建物にいくとすでにそこは片付けが始まっており、その作業を王が寂し気な背で見守っていた。
「父上!」
「……ああ、来たか」
「母上は!?」
「すでに弔った」
「なぜです!?」
「誰にも見せられん。わかっているだろう?」
「わかりません! そんなこと!」
「……だがもう遅い」
「っ!」
強く睨みつけてくる息子を、父親は寂しそうに見下ろす。
「お前は強くなった。以前のお前は自分でなにをすればいいかもわからないぐらい自信がなかったが、いまのお前は違うな」
「目標が、できましたから」
「そうだな。それはいいことだ。だが、焦るな」
お前がやっていることは全て知っているぞと、言外に父親はそう言っていた。
「お前自身が変わるのに大きなきっかけが必要だったからといって、それを全ての民に強いるのは間違いだ。時間をかけて馴染ませることが必要なこともある。ただ虐げられるだけだった魔女がサンドラストリートに集まることを認められたように、な」
「それは……」
「お前の母は不幸だった。だが、私は彼女を愛し、彼女も私を愛してくれた。王妃として公にできずとも私たちの愛はちゃんとここにあった。不幸ではあったが幸せだった」
ずっと続いていた寂し気な表情に不意に何かが混じり、リヒターを威圧した。
「リヒター。自分が生まれたばかりのお前に言うのは酷なのかもしれないが、母は国のために自分を殺すことを厭わなかった。私もまた同じだ。目的を果たすためにはときに自分を殺すことも必要なのだということを覚えておくといい」
「…………」
「間に合うのならば、な」
不穏な言葉を最後に、父親は口を閉ざして作業を見守る。耐え切れなくなったリヒターはそこから去るしかなかった。
「なんなんだ?」
母が亡くなったという衝撃。
自分のやろうとしていることの大半が無意味となってしまったという脱力。
そして父親……王に刺されるように言い含められた言葉。
それらがリヒターの精神をかき混ぜ、数日間、無為に時間を過ごした。サリアが心配してくれるが、昔のような感情のない態度ぐらいしか取ることができず、彼女の不安な表情を取り去ることはできなかった。
いまのサリアを追い詰めてはならない。
それがわかっていても、どうすることもできなかった。
いや、もしかしたらリヒターはこの光景を待ち望んでいたのかもしれない。
もうやるべきことはなにもなくなってしまったのだから。
「オオオオオオオオオオオオオジジジジジジジジサマママママママママママ!!」
壁を壊してリヒターの私室に現れた化け物はサリアの声でそう叫び、その巨大な手で彼を掴んだ。
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